原子爆弾の出現は,第2次世界大戦を終結に導いたが,戦後の外交においても,核兵器は米ソの二柱冷戦構造の中で決定的な役割を果してきた。
この核兵器に象徴される科学技術の驚異的な発達は,国際政治を動かす大きなファクターとなつたばかりでなく,原子力平和利用,衛星通信,海洋開発などを通じ,諸国民の生活に密接なかかわりを持つものとして,現代の外交の大きな課題となつてきている。かくして,軍事,政治,経済など今まで伝統的に外交の対象となってきたもののほかに,科学技術を媒体とする,新しい分野が,外交上の重要課題として登場したのである。
これらの新しい分野については,いわばこれを外交のフロンティアとして国連などの場において新しい形の国際協力が求められている。すなわち,大規模な技術革新による「第二の産業革命」に突入している現代は一方において,科学技術の飛躍的発達を追求するとともに,他方において,技術の暴走を国際協力を通じて制御しようと努力する。核兵器不拡散条約,海底開発をめぐる国連での審議,そして国連人間環境会議などは,いずれもこのような努力の現われにほかならない。
こうした傾向は,今後ますます強くなつてくるものと予想されるが,それに伴なつて,各国とも,国連を中心とする「フロンティア外交」の推進に大きな情熱を傾けはじめている。以下,簡単に,この「フロンティア外交」登場の過程をふりかえりつつ,その実態と問題点をさぐつてみよう。
科学技術が,現代外交の重要な客体として本格的に登場してきたのは,原子力の開発を契機としてであつた。
第2次世界大戦末期に始まつた原子力エネルギーの利用は,戦後米ソを中心に軍事利用の分野で急速に開発されたが,やがてそれは冷戦の激化とともに大国同士のはてしない核兵器製造競争を招き,核戦争の危険を拡大した。この危機感が世界に核軍縮の必要性を痛感させ,部分核実験停止条約(1963年)や核兵器不拡散条約(1968年)を生み出した。
他方,この同じ原子力は,石炭,石油にかわる重要なエネルギーとして,またアイソトープの利用を通じて,いろいろ人間生活の向上に役立つ平和目的にも使うことができる。原子力の平和利用は,第2次大戦後着実に進歩をとげたが,とくに1956年に国際原子力機関(IAEA),が設置されてからは,ここを舞台として原子力平和利用のための国際協力は一段と促進されることとなつた。しかし,原子力は,その“ジーキルとハイド"的な性格上,常に核兵器製造への転用の危険をはらんでいる。このため前記の核兵器不拡散条約では平和目的以外への転用が厳しく禁止されるとともにこれを確保するための手段として保障措置-いわゆる国際査察制度-を定めている。しかし,この国際査察制度は,一歩運用を誤ると特定国の原子力平和利用を阻害し,不平等な結果をもたらすおそれもありうる。そこで,一方では核軍縮の一環として核兵器不拡散の目的を達成しつつ,他方でいかに原子力平和利用のための国際協力を推進して行くかは,とりわけ,わが国にとつて重要な外交の課題であるといわねばならない。
つづいてフロンティア外交として登場したのは,宇宙と海底の平和利用問題である。
宇宙開発は,アポロの月着陸成功により華やかな脚光を浴びたが,実用面においても人工衛星による国際通信網の拡大等大きな成果をおさめている。しかし,宇宙開発は対象領域の性質上,技術的にも,法律的にもデリケートな国際問題をかかえている。国連は,1961年常設の宇宙平和利用委員会を設けているが,国連以外の場においても,2国間の国際協力および通信衛星に関する多国間の国際協力が,この分野において活発に行なわれている。
他方,海洋開発は,地球上最後のフロンティア海底への挑戦という形で,わが国でも近年急速に脚光を浴びてきた分野で,陸上の鉱物資源に乏しいわが国にとつて,石油,天然ガス,マンガン団塊等の海底資源の魅力は大きい。ところで国連で海底平和利用が問題となるのは,海底の大部分が沿岸国の管轄権のおよんでいる大陸棚よりも先の深海海底であり,この部分の開発についてまだ国際法がないため,現状のまま放置すれば,地球上の全海底はやがて技術先進国によつて分割されてしまうおそれがあるからである。そこで,国連は,1968年に海底平和利用委員会を設置し,深海海底開発に関する国際的秩序の確定を急いでいる。海底開発も,その性格上宇宙開発に劣らず難かしい国際問題をいろいろ含んでいるが,さらに海底問題は,必然的に,領海,公海漁業,国際海峡等のいわゆる海洋法問題にも関連しているだけに,これらのすべてに重大な関心をもつわが国にとって,今後の海底平和利用をめぐるフロンティア外交はきわめて大きな意義をもつものといえよう。
最も新しく,かつ重要な「フロンティア外交」の一分節として,このところ世界の注目を集めているのは,人間環境問題をめぐる国際協力の動きである。
環境問題は,わが国においても“公害"問題として極めて切実な関心事となつている。本来,環境問題は,数ヶ国にまたがる広域汚染の発生,全地域的規模の環境汚染現象等により国際的協力を必要とする側面を有しているが,さらに国際経済および貿易に影響を及ぼす各国の環境対策の国際的調整の必要が認識されるに及んで国際関係の新しい分野として登場して来た。これは,近年における先進諸国の科学技術の進歩とこれに基づく産業の量的拡大に伴なつて生じたひずみの一つである環境汚染に有効に対処して行くためには経済成長の質的側面に重点を置くべきであり,国際的規模での対策が必要であるとの認識が各国に急速に定着しつつあることを示すものである。これに伴なつて,環境問題は,現在国連やOECD等の国際機関で,あるいは,日米等の2国間協議の場において,重点的に討議されるようになつている。これらの討議においては,地球的規模での人間環境保全のための国際的な共同措置,たとえば,各種情報・技術の交換,専門家の訓練,環境モニター網の確立等の各種具体的措置のほか,公正な貿易競争を確保するための国際的な規制基準の設定の可能性等の問題が検討されるに至つている。
とくに国連では,従来よりWHO,WMO,FAO,IMCO,ユネスコ等の専門機関において,グローバルな環境問題について重要なイニシァティヴがとられてきたが,以上の事態を背景として,環境問題をより一層有効に解決するため,1972年6月5日から2週間スウェーデンの首都ストックホルムにおいて,「国連人問環境会議」を開催しようとしている。「かけがえのない地球」というスローガンで知られるこの会議は,人間環境保全という全人類共通のテーマをめぐる最初の国際会議として,広く世界の注目を集めている。会議のための準備作業は,過去3年間国連を中心に着々と進められており,わが国も,準備委員会の有力メンバーの一つとして,常に積極的な貢献を行なつてきた。新しい環境外交の幕開きともいうべきストックホルム会議は,環境問題に関し深い関心と豊富な経験を有するわが国にとつても,またとない活躍の場を提供するものといえよう。
他方,こうした国連を中心とする動きと並んで,最近とくに注目を集めるようになつてきたものに,OECD環境委員会がある。この委員会は,従来環境問題の技術的側面をのみ取扱つていたOECD研究協力委員会を,環境問題の経済的側面をも扱うことを目的として1970年に発展改組したもので,先進工業諸国の環境保全措置の持つ国際経済的効果の研究を含めた幅広い検討を行なつている点に特色があり,特に最近では公害対策費用の汚染者負担原則の検討が進められている。
また,ガットは,1971年11月に開催された理事会において環境保全措置とガット規約との関係を検討するために「環境措置と貿易グループ」を設立することを決定した。
このほか,わが国と米国との間には,環境問題を定期的に検討する場として「日米公害閣僚会議」および「天然資源の開発利用に関する日米会議」(UJNR)が設けられている。前者は,公害の判定条件の設定,人的交流,情報の交換,研究の共同企画と実施等について密接に協力することを目的として設置されたもので,1970年10月の第1回会議につづいて,第2回会議が1971年6月ワシントンにおいて開かれた。
以上概説したように,わが国は,種々の国際協力の場を活用して,わが国独自の環境外交を積極的に進めるための努力を行なつているが,今後ますます複雑化する国際的な環境問題に対処するためには,わが国としても,国内の貴重な知識と経験を十分生かしつつ,全国民的な支持の下に,想像力豊かな環境外交の推進をはかつてゆくべきであろう。