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[中国とその近隣諸国等]
建国50周年(10月)やマカオ返還(12月)の年に当たる99年、中国は、国有企業改革や失業者の増大などの問題を抱えつつも、安定と団結を一層重視し、慎重な舵取りで、比較的安定した内政を維持してきた。4月の気功集団「法輪功」関係者による中南海(党・政府中枢機関や中央指導者の住居が集まる地区)周辺座り込みデモや、5月の在ユーゴ中国大使館誤爆事件に抗議する米国大使館等へのデモ活動に穏便に対処して早期に事態を収束させ、6月の天安門事件10周年も平穏に乗り越えた。10月の建国50周年では、15年振りに軍事パレードが行われるなど江沢民体制の安定感を内外に強く印象づけた。また、8月には長距離地対地ミサイル「長征13号」の発射実験を成功させた。
[朝鮮半島]
韓国の金大中(キム・デジュン)政権は、98年の発足以降、特に通貨・金融危機克服や外交政策等に成果を上げた一方、国内政治における与野党の厳しい対立状況は99年に入っても解消されず、春以降には閣僚の関与した不正等が相次いで発覚し、政権への世論の評価も低下した。また、連立与党間の約束事項であった内閣制導入をめぐる連立内部での軋みも生じたが、99年の夏には、通貨・金融危機克服を優先すべきとの雰囲気の中、先送りされた。一方、2000年4月の国会議員総選挙を前に、中選挙区制度導入を目指す与党と野党とが厳しく対立し、年内の調整と法改正は実現しなかった。また金大中大統領は、自ら率いる与党国民会議を全国的規模の政党へと改編すべく、野党の支持基盤出身者を含めた広範な有識者の参画を取り付けた。新党には連立のパートナーである自民連の合流も取り沙汰されたが、年末には見送られ、選挙協力の行方が注目される状況となった。
[東南アジア]
東南アジア諸国連合(ASEAN)は、4月のカンボディアの加盟によって67年の創設以来の念願であった「ASEAN10」を実現した。95年にヴィエトナムが加盟してからわずか4年間でラオス、ミャンマー、更にカンボディアを取り込み10か国体制となったASEANは、東南アジア全域を一つの傘の下に包摂する地域協力体に発展を遂げたことになる。
[南西アジア]
98年5月のインド、パキスタンによる核実験により高まった両国の緊張関係は徐々に緩和され、99年2月には、インド首相が10年振りにパキスタンを公式訪問し、首脳会談が行われた。この結果「ラホール宣言」が発表され、カシミール問題を含む懸案解決のために両国が前向きに取り組む姿勢が内外に示された。しかし、4月にインド・パキスタン両国がミサイル発射実験を行ったのに続いて、5月、カシミールにおいて管理ライン(LOC)を越えてインド側に侵入した武装勢力とインド軍の間に戦闘が発生し、再び両国間の緊張が高まった。7月、シャリフ・パキスタン首相の武装勢力に対する撤退呼びかけにより戦闘が収束に向かった後も、インド軍によるパキスタン海軍機撃墜事件、インド国家安全保障諮問委員会による核ドクトリン草案の発表等両国間の緊張関係は継続した。10月、首相への権限集中を進めるシャリフ首相と軍との亀裂が広がりつつあった最中、シャリフ首相が外遊中のムシャラフ陸軍参謀長の解任を発表したことに端を発する軍事クーデターが発生した。これにより、インド・パキスタン関係は悪化し、情勢は一層不透明なものとなった。また、12月にはインディアン航空機ハイジャック事件が発生し、その背景をめぐり両国が互いに非難し合うなど、対話再開の見通しは立っていない。
[大洋州]
オーストラリア(豪州)は、東チモール問題において、直接投票の結果判明後の多国籍軍の派遣に積極的に関与した。他方で、豪州政府の強硬姿勢及び反インドネシア一色に近い豪州国内の世論・報道は、結果的に、オーストラリア・インドネシア関係の緊張を招いたほか、近隣のアジア諸国に警戒感を抱かせた。このような中で、豪州の親アジア路線からの離反傾向として注目する向きもあったが、豪州政府は、アジア太平洋地域は外交・貿易政策上の最優先地域であり、特に米国、日本、中国及びインドネシアは最重要国であるとする豪州の外交政策に何ら変更はないとしている。また、11月には、共和制への移行の是非を問う国民投票が実施され、反対多数で否決された。その背景として、共和制移行そのものについては賛成が過半数を超えるものの、大統領の間接選挙などを定める共和制移行法案の具体的内容について反対が多かったこと等が指摘されている。
[アジア欧州会合(ASEM)]
アジアと欧州の関係を強化する目的で96年に発足したアジア欧州会合(ASEM)は、アジア10か国、欧州15か国・1機関が参加する大きなフォーラムとして、現在までに首脳会合が2回行われており、2000年には韓国で第3回首脳会合が予定されている。
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[米国]
[カナダ情勢]
カナダでは、クレティエン首相の率いる自由党が引き続き高い支持率を維持し安定した政局運営を行った。経済面では、99年度の第1四半期から第3四半期までを通じ、3四半期平均4%(年率換算)に近いGDP実質成長率を記録した。この高成長は好調な米国経済に支えられた対米輸出の伸び、堅調な国内需要、特に個人消費の伸びに負うところが大きい。失業率も漸減傾向にあり、11月で6.9%(98年平均8.3%)まで低下した。消費者物価上昇率は92年以降安定して推移しており、11月の対前年同月比は2.2%の上昇となった(98年は0.9%の上昇)。
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90年代を通じた市場開放・自由化の結果、中南米は多国籍企業にとって世界拠点の一つへと成長した。また、民間の動きに対応し、政府レベルでも中南米との関係強化が図られ、欧州やアジアとの地域間枠組みづくりも進展した。他方、競争原理の浸透の影では、貧富の格差の拡大や治安の悪化といった社会問題が顕在化し、社会の不安定要因となっている。 [世界経済の戦略拠点としての中南米]
中南米はブラジル1国のGDPが東南アジア諸国連合(ASEAN)10か国の合計に匹敵することに見られるように市場規模が大きく、安定成長傾向にある。99年は、1月にブラジルが変動相場制への移行を余儀なくされ、他の中南米諸国への経済危機の波及が懸念された時期もあったが、国際通貨基金(IMF)の対ブラジル支援が継続されたこともあり、ブラジル経済は急速に回復した。加えて、直接投資の流入が増大し、中国と並ぶ規模の外資受入国となった。北米経済圏に組み込まれたメキシコや、既に民営化を成功させているチリ、アルゼンティン等と併せ、中南米は世界の多国籍企業にとっての競争の場として成長を続けた。
[政治面での動き]
3月パラグァイで政変が起こり、クーバス大統領が辞任し、ゴンザレス上院議長が新大統領に就任したが、99年に行われた他の多くの国での政権交代は、いずれも民主的なプロセスにのっとって行われ、中南米の民主化が深化していることが見てとれた。1月、ブラジルでカルドーゾ大統領が再任され、バルバドスではアーサー首相が再任した。2月にはヴェネズエラにてチャベス新大統領が、6月にはエル・サルヴァドルにてフローレス新大統領が、9月にはパナマにてモスコソ新大統領が就任し、12月にはアルゼンティンにおいて与野党が交代し、デ・ラ・ルア新大統領が就任した。また、パナマ運河条約に基づき12月末日、パナマ運河が米国よりパナマに返還され、それに伴いパナマ駐留米軍は撤退した。
[日本との関係]
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第4章 / 目次 |
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