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[冷戦後の新たな国際秩序の模索]
冷戦の象徴であったベルリンの壁が崩壊し10年を迎えた99年、民族、宗教等に起因する紛争が引き続き世界各地で多発する中、冷戦後の新たな国際秩序を構築すべく、グローバルな枠組みや、地域的な枠組みにおいて、あるいは二国間の取組を通じて様々な努力が続けられてきた。しかし、新たな国際秩序の構築に向けた課題や問題点はなお多く残されていると言えよう。
[グローバリゼーションの進展と情報通信分野の革新的変化]
ヒト、モノ、サービス、カネ、情報などの国境を越えた移動が地球的規模でますます拡大しており、情報通信分野の革新的変化に伴いそのスピードは文字どおり時々刻々と加速化している。このようなグローバリゼーションの進展は、国境を越えた経済活動を大幅に増大させ、活発となった貿易・投資や巨額の資本の流れは世界的規模での経済の効率化を進め、全体として世界経済の繁栄をもたらした。99年は、米国が平時としては最長の景気拡大を続けたのを始め、欧州諸国も年後半には景気拡大基調となった。アジア経済は最悪の時期を脱し回復基調となった。また、貿易及び投資の自由化と新たなルール作りについての議論が一層活発化し、年末には米国シアトルにて、新しいラウンド交渉を立ち上げるため世界貿易機関(WTO)閣僚会議が開催された。同会議では加盟国の立場の違いなどによりラウンド交渉は立ち上がらなかったが、同時に、開発途上国の関心や人々の自由貿易への様々な関心等WTOの直面する課題も明らかになった。
[人間個人に着目した対応の重要性の高まり]
99年にも見られた、紛争における一般市民の被害への国際的関心の高まりやグローバリゼーションに伴う社会的弱者の問題に関する国際的認識の高まりは、国際社会において個人の尊厳の重要性、自由と民主主義、基本的人権に対する認識がより一層高まってきたことの一つの証左でもある。冷戦の終焉を経て、自由、民主主義、基本的人権の尊重という理念は、国際社会において広く共有されつつあり、その結果人間個人に着目した対応の重要性が広く論議されるようになってきている。例えば、頻発する地域紛争において女性や子供を含む多くの人々が犠牲となっており、また、環境、感染症、組織犯罪といった、人々の生命及び安全に対する脅威が顕在化しているが、このような問題を人間個人の尊厳への脅威と捉えて対応するべきであるとの認識が国際的に高まっている。
[99年の日本外交の展開]
99年の日本外交は、日米関係を基軸とし、韓国、中国、東南アジア諸国連合(ASEAN)諸国、ロシア等の近隣諸国との関係の強化、アジア太平洋を中心とした地域協力の強化、国連を始めとするグローバルな取組への積極的な参画などを通じて、国際社会の主要な一員として国際社会の主要問題に積極的に取り組むとともに、アジア太平洋地域の問題を始め多くの問題について独自のイニシアチブを発揮した。
以上、99年を振り返り、国際情勢の三つの動きを概観するとともに、日本外交の展開について簡単に触れた。国際情勢及び日本外交の詳細については、以下の各章及び項目で述べることとする。
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(1)インドネシア及び東チモール
[インドネシア]
6月7日に新しい選挙制度の下で総選挙が実施され、国会定数500議席(うち38議席は国軍配分議席)のうち、メガワティ・スカルノプトリ総裁率いる闘争インドネシア民主党が153議席、ゴルカル党が120議席、開発連合党が58議席、民族覚醒党が51議席、国民信託党が34議席を獲得した。この総選挙に対して日本を含む国際社会からは、おおむね公正かつ円滑に実施され、成功であったとの評価がなされた。日本は、総選挙支援として選挙専門家等の国際協力事業団(JICA)専門家20名及び選挙監視団を派遣したほか、非政府組織(NGO)による選挙監視活動や有権者教育経費として、他国の支援額を大幅に超える約3445万ドルの無償援助を行った。
[東チモール]
東チモールでは、70年代のポルトガルによる植民地政策の転換、インドネシアの併合決定以降、独立派と併合派との間での争いが続いていたが、1月のインドネシア政府による新提案を受け、5月にはインドネシア、ポルトガル、国連の間で、拡大自治案受入れに関し東チモール人による直接投票を8月に行うことが合意された。また、この直接投票を実施するため、国連東チモール・ミッション(UNAMET)が設立され、日本からも文民警察要員が派遣された。直接投票は8月30日、おおむね平穏裡に実施され、8割近くが分離・独立を選択したとの結果が9月4日に発表された。
98年2月にアルバニア系住民とユーゴ当局との戦闘に発展したコソヴォ紛争は、いったんは停戦が実現したものの、同年末には戦闘が再燃した。
[日本の対北朝鮮政策/日朝関係]
日本は、様々な機会に、対北朝鮮政策の基本方針が、韓米両国との緊密な連携の下、北東アジア地域の平和と安定に資するような形で第2次世界大戦後の正常でない日朝関係を正すよう努力していくことであること、及び政策の遂行に当たっては対話と抑止のバランスをとって対応する考えであることを明らかにしてきた。
[南北関係]
韓国政府は、確固たる安保体制を敷きつつ南北間の和解・交流を積極的に進めるとの内容の「包容政策」を引き続き遂行した。
[米朝関係]
98年夏、北朝鮮がクムチャンニの施設で秘密裡に核兵器を開発しているとの疑惑が浮上したが、米朝間の協議の結果、米国の専門家がこの施設を訪問し、6月、米国は、この施設は「合意された枠組み」に違反していないとの報告を発表した。また、9月の米朝協議の結果、米国が対北朝鮮制裁の一部緩和を発表すると、北朝鮮は米朝高官協議が続いている間はミサイルを発射しない旨発表するなど、米朝関係は前向きな展開を見せた。
[KEDO] 日本は、朝鮮半島エネルギー開発機構(KEDO)が北朝鮮の核兵器開発を阻むための最も現実的かつ効果的な枠組みであり、日本の安全保障に密接に関わるとの認識の下、5月、KEDOとの間で軽水炉プロジェクトへの資金供与に関する協定に署名し、6月末、この協定の締結が国会において承認された。12月には、KEDOと韓国電力公社との間で軽水炉建設を請け負わせるための主契約が署名された。 [アジア経済情勢]
97年7月のタイ・バーツ下落に端を発した東アジアの通貨・金融危機は、98年に入り、景気の後退、貿易の停滞、失業者の増大等実体経済に打撃を与えるとともに、当初影響が小さかったフィリピン、マレイシア、ヴィエトナム等、他のアジア諸国・地域に伝播し、世界経済にも影響を及ぼした。
[世界経済情勢]
99年の世界経済は、総じて緩やかながら回復に向かった年であった。米国の景気拡大は99年中も続き、世界経済の回復を下支えした。米国経済の長期にわたる安定的な景気拡大の背景には、生産性の向上、とりわけハイテク産業の生産性の伸びがあると言われており、注目を集めている。しかしながら、株価の水準については割高感も指摘されているなど、先行きには不透明感も見られ、米国経済の軟着陸が世界経済の重要な課題となっている。
8月23日未明(現地時間)、キルギス共和国南西部オシュ州で資源開発調査に従事していた国際協力事業団(JICA)の専門家4名(金属鉱業事業団より派遣)が、キルギス人通訳1名及びキルギス軍関係者2名と共に、タジキスタンより越境してきた武装勢力に誘拐される事件が発生した。犯行グループは、ウズベキスタンにおいて反政府活動を行っていたイスラム過激派勢力と見られている。キルギス政府を始めとする関係者の努力により、事件発生から64日後の10月25日、4名の専門家と通訳がタジキスタンとの国境地帯にあるキルギス領内のカラムイクで無事保護された。 [日本政府の対応]
日本政府は、事件発生以来、(1)事件発生国であり、事件解決の第一義的責任を有するキルギス政府と緊密に連絡を保ちつつ、人質の早期無事解放に向けて努力する、(2)テロには屈せず、犯行グループによる不法な要求には「ノー・コンセッション(譲歩しない)の原則」に従って対処する、(3)タジキスタンやウズベキスタンなどの周辺国を含めて、関係国に対する協力要請を行うということを基本方針として対応を行った。
[人質の解放に向けての経緯] 今回の誘拐事件においては、キルギス政府が第一義的な責任を有する当事者として交渉に当たった。キルギス政府は、対ゲリラ作戦を実施していく中で、軍事的圧力による犯行グループの弱体化を図るとともに、民間人やタジキスタン側関係者も含めた様々なルートを通じて犯行グループとの接触を重ね、犯行グループにとって行動が困難になる冬の到来を背景とする中で軍事面等の圧力を強めた結果、人質の解放に至った。 [教訓と課題]
外務省は、人質解放後、この事件についての問題究明及び教訓を総括するため、(1)誘拐事件発生の背景、(2)誘拐直前の状況、(3)解放に至るまでの対応、(4)今後の取組の観点から内部での調査を行い調査報告書を発表した。
99年のその他の動きとしては、チェチェン情勢、中東和平問題、インド・パキスタン情勢が注目された。 [チェチェン] 8月のチェチェンの武装勢力によるダゲスタン共和国侵入を契機としてロシア連邦軍とチェチェン側武装勢力との紛争が再燃した。ロシア政府は、今回の軍事行動は、「テロリズムに対する戦い」であるとの立場であるが、チェチェンにおける戦闘が激化し、大量の避難民が発生するにつれ、欧米諸国を中心に、ロシアが過大な軍事力を行使しているなどとして非難し、ロシアに対し、早期停戦と政治的解決の必要性を訴える声が高まった。 [中東和平] 7月のイスラエルにおけるバラック政権の成立後、直ちに同政権は和平プロセスへの取組を始め、9月には、パレスチナとの間で、98年10月のワイ・リバー合意の実施やパレスチナの最終的地位交渉のスケジュール等を定めたシャルム・エル・シェイク合意が達成された。また、12月には米国の仲介により、イスラエル・シリア交渉が約4年振りに再開し、バラック首相とシャラ・シリア外相との間で、両国間では初の直接交渉が行われた。 [インド・パキスタン] 98年5月のインド、パキスタンによる核実験により高まった両国の緊張関係は、インド首相による10年振りのパキスタン公式訪問(2月)などにより緩和に向かっていたが、両国によるミサイル発射実験(4月)、カシミールでのパキスタンから侵入した武装勢力とインド軍との戦闘(5月)により再び緊張が高まった。10月のパキスタンでの軍事クーデターの発生は、パキスタン情勢を一層不透明とした。また、12月のインディアン航空機ハイジャック事件をめぐっても、両国が互いに非難を行うなど、両国間の緊張が高まった。
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(1)日米関係
[総論]
新しい日米防衛協力の指針関連法の成立を始めとする日米安保体制の進展、及び日本経済の着実な回復を背景に、99年の日米関係は極めて良好に推移し、安全保障から経済、地球規模問題まで幅広い分野で日米間の協力が進展した。
[日米経済関係]
99年には、経済再生に向けた日本の積極的な取組に対する米国の理解と評価が次第に高まったが、日本経済が厳しい状況をなお脱しなかったことから、早期の景気回復への米国の関心は依然として強かった。また、日本経済の回復が内需主導で実現することを重視し、日本における一層の規制緩和や市場開放を引き続き強く期待した。
[拡大する日米協力]
93年に発足した「地球的展望に立った協力のための共通課題(日米コモン・アジェンダ)」の枠組みの下で、日米両国は、「保健と人間開発の促進」、「人類社会の安定に対する挑戦への対応」、「地球環境の保護」及び「科学技術の進歩」という四つの柱、18分野で様々なプロジェクトを推進してきた。4月にワシントンにおいて、第9回次官級全体会合が開催され、その時々の緊要な課題にアクセントをおいた取組が必要であるという認識に基づき、当面、アジア通貨・金融危機に派生した経済的・社会的諸問題に対し、社会的弱者救済といった面から日米共同で取り組んでいくことで意見が一致し、具体的なプロジェクトに取り組むこととなった。また、3月には途上国の女性支援をテーマに第1回日米コモン・アジェンダ・セミナーが、日米政府関係者に加え、主に両国の非政府組織(NGO)の参加を得て開催された。
[今後の展望と課題] 小渕総理大臣の米国公式訪問を通じて確認されたように、世界の平和と繁栄のために日米両国が一層の協力を行うことは、引き続き両国の重要な課題となっている。日米両国は価値を共有する同盟国として強固な二国間関係を築き上げてきた。こうした両国の関係は、国民レベルの相互理解と信頼関係に支えられるものであり、日米両国の国民同士、特に青年層が、今後ともあらゆる分野において一層交流を進め、相互理解を深めていくことが、日米協力関係を更に進展させるためにますます重要となっている。 [未来志向の日韓関係の進展]
98年10月の金大中(キム・デジュン)大統領による日本訪問を通じて、日韓両国は過去に区切りをつけ、名実共に「近くて近い国」として未来志向の関係を築いてきた。3月には小渕総理大臣が韓国を訪問し、金大中大統領と首脳会談を行うとともに高麗大学において政策演説を行った。首脳会談では、98年に署名された「日韓共同宣言―21世紀に向けた新たな日韓パートナーシップ」及び附属の行動計画の着実な実施が確認されたほか、日韓経済関係の一層の緊密化を図るため、「日韓経済アジェンダ21」が発表された。この首脳会談においては過去の問題は取り上げられず、日韓関係が新しい時代に入ったことが印象づけられた。また、金大中大統領の下で韓国での日本文化の開放が進み、これまで制限されていた日本映画の上映や歌謡曲の公演等が大幅に解禁された。
[日韓経済関係]
日韓両国は、金大中大統領の日本訪問と小渕総理大臣の韓国訪問を通じて、両国経済関係を21世紀に向けて更に高い次元のものとするため、貿易・投資等の促進に努力していくこととした。3月の小渕総理大臣の韓国訪問時に両国首脳によって発表された「日韓経済アジェンダ21」では、日韓間の包括的な投資ルールを定める日韓投資協定の早期締結に向けて交渉を行うことで意見が一致し、2月及び4月に開催された予備的協議を経て、9月末に本協議が開催された。また、98年に引き続き、日韓の投資を活発化するための取組として、12月に韓国の産業資源部長官や経済人が日本を訪れ、官民合同の投資促進協議会が開催された。
[新しい日韓漁業協定]
新しい日韓漁業協定は1月に批准書が交換され発効した。新協定の発効により日韓漁業関係は新しい時代に入ったが、新協定の下での更なる協力関係の構築に向けて努力が続けられている。
[総論]
日中関係は、最も重要な二国間関係の一つである。日中関係の一層の発展は、アジア太平洋地域はもちろん、世界の平和と繁栄にとって極めて重要な意義を持つ。日本としては、あらゆるレベルでの交流と協力の拡大を通じ、中国が国際社会におけるより一層建設的なパートナーとしての役割を果たすことを期待している。
[日中経済関係]
日中間の貿易総額は99年には7兆5328億円に達し、対前年比1%増加した。近年来、日本は中国にとって第1位の貿易相手国、中国は日本にとって第2位の貿易相手国となっており、貿易における相互依存関係が高まっている。なお、貿易収支では88年以来、日本の入超が続いており、99年の入超額は2兆2180億円であった。
[台湾との関係]
日中共同声明第3項において、日本政府としては「台湾が中華人民共和国の領土の不可分の一部である」との「中華人民共和国政府の立場を十分理解し、尊重」する旨明らかにしている。日本と台湾の関係については、この72年の日中共同声明に基づき非政府間の実務関係として民間の地域的な往来を維持してきている。
[東南アジア諸国連合(ASEAN)との関係]
ASEAN諸国は97年に発生した通貨・金融危機によって深刻な影響を受けたものの、国際社会の支援と各国の改革努力によって、99年を通して経済は回復基調を示した(詳細は本章2.(4)参照)。また、ASEANについては、4月にはカンボディアの加盟によって67年の設立以来の念願である「ASEAN10」が実現した。日本は99年を通じ、このような動きを示したASEANとの間で、通貨・金融危機後を見据え、21世紀に向けた新たなパートナーシップの構築に努めた。
[ASEAN各国との関係]
また、ASEAN各国との間での要人往来も活発に行われ、日本側からは、11月に小渕総理大臣がマニラでのASEAN+3(日中韓)首脳会議に先立ってインドネシアを訪問したほか、7月に高村外務大臣がシンガポールでのASEAN拡大外相会議に出席後、インドネシアを訪問した。
[東アジアにおける地域協力]
通貨・金融危機が各国に伝播し、その影響が東アジア全体に広がったことで、東アジア諸国は互いの間に存在する相互依存関係を強く認識するに至ったが、そうした通貨・金融危機の教訓を踏まえ、それら諸国の間で東アジアにおける地域協力を強化する気運が高まった。
[総論]
日露関係については、93年のエリツィン大統領による日本訪問の際に署名された東京宣言が両国関係進展の基盤となっている。日本としては、東京宣言に基づいて北方四島の帰属の問題を解決し、平和条約を締結して日露関係の完全な正常化を達成するために最善の努力を払うとともに、ロシアの改革努力を支持しつつ、様々な分野における協力と関係強化を図ることを対露外交の基本政策としてきた。また、このような日露間の協力関係の強化は、アジア太平洋地域の安定と繁栄に大きく貢献するものと考えられる。
[緊密な政治対話の継続と諸分野における関係の進展]
99年も日露間ではハイレベルの緊密な政治対話が維持され、1回の首脳会談と6回の外相会談が行われた。また、アジア太平洋経済協力(APEC)首脳会議の際の小渕総理大臣とプーチン首相の会談のほか、「貿易経済に関する日露政府間委員会」のロシア側議長を務める第一副首相が2度日本を訪問した。
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冷戦時代には東西対立が国連の場にも反映され、国連はその第1の目的である国際の平和と安全の維持に必ずしも十分な役割を果たすことができなかった。しかし、冷戦の終結に伴い、安全保障理事会が本来の機能を果たし得るような状況が生まれるとの期待が高まり、また、開発、環境、人口、難民など様々な問題への対応に当たって、国連は一層大きな役割を果たすことが期待されるようになっている。
冷戦終結後、世界規模の紛争が発生する可能性は低下したが、地域紛争は頻発している。99年は、特に、コソヴォ、東チモール等の問題に対して国連を含む国際社会全体がいかに対応するかということが注目された。まず、コソヴォ問題への対応を契機として、安保理の紛争への対応能力の強化について様々な議論が行われた。また、コソヴォ問題をきっかけに、紛争を未然に防止することの重要性に対する国際社会の認識が一層深まった。アナン国連事務総長は、第54回国連総会における一般討論演説において、これまでの「対応の文化」(Culture of Reaction)に代わり、「予防の文化」(Culture of Prevention)を育てていかなければならないと訴えた。 99年の日本は、1年後に控えたミレニアム総会及びミレニアム・サミットに向けて、紛争や貧困といった21世紀の国際社会が直面する問題を見極めることが重要であり、これらの課題に国連が有効に対処することを確保するために国連改革・機能強化が不可欠であることを国連の場などで訴えた。 なお、日本の国連に対する大きな財政貢献に比し、国連に勤務する日本人職員の数は望ましい水準に達していないのが現状である。このような状況を改善するため、日本は若手職員派遣制度(JPO)の活用や国連事務局採用ミッションの受入れ等を行い、日本人職員の増強に努めている。 [安保理改革] 冷戦後の安保理は、伝統的な安全保障の分野のみならず、紛争の防止や紛争後の状況の安定化に向けて、人道、人権等の分野でも役割を担うことが期待されている。これは、政治・安全保障面のみならず、経済・社会分野においても幅広く貢献できるような資質が安保理メンバーに求められていることを示している。このような中、安保理改革に当たっては、国際社会の現状を踏まえて新たなメンバーを安保理に加えるとともに、安保理の作業方法等を改善していくことが必要であるとの認識が広がっている。安保理改革については、94年1月以来、「安保理改革に関する作業部会」等の場において集中的に議論されてきている。これまでの議論を通じて、安保理改革の早期実現については加盟国の総意と言え、また、日本の常任理事国入りについては、大多数の国の支持が得られている。しかし、拡大後の安保理の規模、拒否権の扱い、途上国からの新常任理事国の選出方法など具体的な論点になると各国の意見が収斂していない状況にある。日本は、グローバルな責任を担う能力と意思を有する限定された数の国を新たに常任理事国に加え、安保理の実効性を強化し、非常任理事国の議席数の適当な増加により安保理の代表性を強化することの必要性等を主張するとともに、既に6年にわたり議論されてきているこの問題に対する各国の政治的決断の必要性を訴えるなど、議論の進展に向けて積極的に取り組んできた。9月の国連総会の演説において、高村外務大臣は、第2次世界大戦終結後50年以上の間に生じた国際情勢の大きな変化を踏まえ、国際の平和と安全に主要な責任を担う機関として安保理の機能を強化する必要があり、そのためには、常任・非常任双方の構成を改革し、安保理自身が現在の国際情勢を反映した形で生まれ変わることが不可欠であることを訴え、また、日本は安保理改革が実現する中で安保理常任理事国として一層の責任を果たしたいと考えているとの従来よりの立場を改めて表明した。 [財政分野の改革] 財政面では、99年末、米国による分担金の一部支払いはあったものの、同国を始めとする幾つかの加盟国の分担金滞納などにより引き続き深刻な状況にあり、健全な財政基盤の確立のための改革が必要である。特に、加盟国中第2位(2000年の分担率は20.573%)の財政負担を行っている日本としては、滞納金の解消、予算の効率化、財政負担の衡平は引き続き重要な課題であると主張してきている。国連の活動を効果的かつ効率的なものとする観点から、日本としては、今後ともこの分野における改革を推進していく考えである。 [開発分野の改革]
先進国と途上国の「グローバル・パートナーシップ」に基づく冷戦後の新しいアプローチを通じて開発問題に効果的に取り組む必要があるとの認識の下、日本は「新たな開発戦略」を提唱してきている。また、国連諸機関間の円滑な連携、世銀等ブレトン=ウッズ機関との対話の促進、市民社会(シビル・ソサイエティー)の広範な参加と調整といった改革の必要性を主張している。
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第2章 第1節 / 目次 |
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