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キルギスにおける邦人誘拐事件
調査報告書


平成11年11月

序 文

1.本年8月23日午前1時30分頃(現地時間、日本時間午前4時30分)、キルギス共和国南西部オシュ州アルティンジルガ地区にて資源開発調査に従事していた国際協力事業団(JICA)の専門家4名が、キルギス人通訳1名及びキルギス軍関係者2名と共に、タジキスタンより越境してきた武装勢力に誘拐されるとの事件が発生した。その後、10月25日午後1時15分(現地時間、日本時間午後4時15分)に、4名の専門家と通訳がタジキスタンとの国境地帯にあるキルギス領内のカラムイクで無事保護された。

2.人質となっていた方々が解放された後、外務省ではこの事件についての問題究明及び教訓を総括するため、(1)誘拐事件発生の背景、(2)誘拐直前の状況、(3)解放に至るまでの対応、(4)今後の取り組み、の観点から内部での調査を行い、この報告書を取りまとめた。また、調査を行う上では、これまでに入手していた情報及び公開情報を再度検証したことに加えて、人質となっていた方々やキルギス人通訳等の関係者からも事情聴取を行った。

I.誘拐事件発生の背景

 今回の事件の犯行グループは、そもそもはウズベキスタンにおいて反政府活動を行っていたイスラム勢力(ウズベキスタン・イスラム運動。直接的には通称「ナマンガニー」野戦司令官配下のグループで、同グループの勢力は800名とも1000名とも言われている)であるとされている。同勢力はウズベキスタンから追われた後、タジキスタンで同国の反政府勢力とともに活動していたが、同国では97年6月の和平合意達成後、和平プロセスが進展し99年8月24日までに武装解除することがタジキスタン政府と反政府勢力との間で合意された結果、タジキスタン領内での活動が困難になった。このためキルギス領を通過し、ウズベキスタン入りを図る途次、今回の事件を起こしたものと考えられている。今回の事件が発生した歴史的、経済的、民族的背景につき更に述べれば以下の通りである。

1.歴史的背景

(1)事件が発生したフェルガナ地方(ウズベキスタン・フェルガナ盆地、キルギス・オシュ地方及びタジキスタン北部)は、もともとイスラム的な土壌が強い地域であり、18世紀のロシア侵攻の際やロシア革命が発生した際には、時の政権に抵抗するイスラム運動の激しい暴動が発生している。

(2)ソ連邦時代にはイスラムは政府により圧迫を受けていたが、ソ連邦崩壊後イデオロギーの空白が生じたこともあって、中央アジアやコーカサスで「イスラム復興」の現象が見られている。中でも、ウズベキスタンのフェルガナ地方では、1991年以降、イスラム法に照らして不法、不道徳な行為と戦うことを目的とした「アドラート(正義)」と呼ばれる運動が青年層を中心に拡大した。また、政治面でも中央アジア各国で「イスラム復興党」などイスラムを標榜する政党が結成された。ウズベキスタン政府はこれらイスラム復興の動きを国家の安定を損ない、治安を脅かすものととらえ、宗教政党禁止等の厳しい取り締まりを行ってきており、このような動きの中で、一部のグループが政権側の厳しい取り締まりに反発し、イスラム国家の建設を標榜するなど、過激化する傾向が出てきている。

(3)なお、今回の事件の犯行グループとされる「ウズベキスタン・イスラム運動」は、かつてのコーハンド・ハン国(ウズベキスタンのフェルガナ盆地、タジキスタンのイスファ及びアシュト地方、キルギスのオシュ地方)にイスラム法(シャリーア)を憲法とするイスラム国家の樹立を目指しているとされており、ウズベキスタンでの警察官殺害事件(97年12月)やウズベキスタンでのカリーモフ大統領を狙った爆弾テロ事件(99年2月)の犯行グループでもあると言われている。

2.経済的背景

 フェルガナ地方は、ウズベキスタン東部の山脈地帯に位置する盆地であり、もともと水源も豊かで土壌も肥沃な地である。しかし、19世紀以降綿花栽培が強制され、地域経済がモノカルチャー化されたのに加えて、フエルガナ地方は、ウズベキスタンの総人口の3分の1に相当する約700万人が居住する、中央アジア最大の人口密集地帯となっており、これにより、人口過密と土地不足による失業が深刻化しているなど、潜在的な社会不安の要因が高まってきている。中でも、ウズベキスタンのナマンガン市周辺は、十分な投資もなく経済的に取り残された地域となっており、また、ナマンガン出身者は冷遇されてきたことから、過激な運動に係わる傾向にあるとされている。

3.民族的背景

 中央アジア諸国の国境の基本となっている旧ソ連邦時代の「民族的境界区分」は民族分布に必ずしも対応しきれておらず、その結果、中央アジア各国では民族が複雑に入り組んでいる。フェルガナ地方についても、その大部分はウズベキスタンに帰属しているが、キルギス及びタジキスタンの領土も複雑に入り組んでいる。また、民族的にもウズベク人、タジク人、キルギス人、カザフ人等が居住している(例えば、キルギスのオシュ州の人口の3分の1が、また、オシュ市の人口の半数以上がウズベク人である)。このため、同地域の民族関係は不安定になりやすく、実際、旧ソ連邦崩壊前の1989年にはウズベキスタンのフェルガナ地方で民族暴動が発生し、100名以上の死者と1000名以上の負傷者が出た(フェルガナ事件)他、1990年にはキルギスのオシュ市で住宅用地の分配を巡ってキルギス人とウズベク人が対立し、死者230名、行方不明400名、負傷者4000名以上を出す暴動事件(オシュ事件)が発生したとされている。

II.誘拐直前の状況

1.JICAはキルギス政府の要請に基づき、同国の有効な外貨獲得手段となる金及び銅の鉱脈についての資源開発調査を、キルギス南西部のアルティンジルガ地区において平成9年より実施していた(本調査は、鉱工業分野の開発調査として、通産省予算によりJICAを通じて金属鉱業事業団に実施を委託されていたもの)。今回の調査団は、6月15日から11月3日の予定で派遣されていたものであり、6月29日以降現地での調査を行っていた。

2.元人質の方々の証言等によれば、誘拐に至るまでの状況は以下の通りである。

(1)6月29日の調査開始時点においては、キルギスについてテロ・ゲリラ活動の報告はなく、さほどの危険があるとは認識されていなかった。

(2)8月に入り、武装勢力が国境を越えてタジキスタンからキルギス領内に侵入。8月6日頃にはザルダリ村(調査団のキャンプ地アルティンジルガより約20㎞)付近でキルギス政府職員を誘拐し、ウズベキスタンへの自由通過を要求する事件が発生(その後13日に至り、誘拐されたキルギス人は解放された)するなど、国境周辺地域で不穏な兆候も見られていたため関係者間で警戒を強めていた。

(3)8月20、21日頃、ザルダリ村から武装勢力が撤退したとの情報がもたらされ、キルギス軍・警察も実際に撤退した。

(4)8月22日昼頃、アルティンジルガを訪れたキルギス軍関係者により、ザルダリ村が武装勢力により占拠されたことが判明。情勢が急激に悪化しつつあると判断されたため、夜間の移動の危険を考慮し23日朝に撤退する準備を進めていた。

(5)8月23日午前1時30分頃(現地時間)、武装勢力が調査団のキャンプを襲撃し、邦人4名とキルギス人通訳1名に加えて、キルギス人兵士2名を人質にとって逃走した。なお、その際、キルギス人兵士1名が抵抗し射殺されている。

III.解放に至るまでの対応

 我が国は、事件発生以来、(1)事件発生国であり、事件解決の第一義的責任を有するキルギス政府と緊密に連絡を保ちつつ、人質の早期無事解放に向けて努力する、(2)テロには屈せず、犯行グループによる不法な要求には「ノー・コンセッション(譲歩しない)の原則」に従って対処する、(3)タジキスタンやウズベキスタンなどの周辺国を含めて、関係国に対する協力要請を行う、ことを基本方針として対応してきた。こうした基本方針に基づく、本邦での対応、キルギスの現地対策本部での対応、及び、関係国への協力要請等につき詳述すれば以下の通りである。

1.本邦での対応

(1)8月23日午後1時(日本時間)、外務省のオペレーション・ルームに川島事務次官を本部長とする約25名体制の緊急対策本部を設置し、以来、事件解決後の10月26日に至るまで、24時間体制で情報収集と分析等に当った。また、人質の家族の方々に対してはそれぞれの要望に応じた頻度で緊密に連絡を行った。

(2)小渕総理は、事件発生直後の8月24日にアカーエフ・キルギス大統領と電話会談を行い、また、事件発生約1ヵ月後の9月24日にも重ねて電話会談を行った。更に、10月13日には総理メッセージを改めて発出するなど首脳レベルで人質全員の早期無事解放についての働きかけを行った。

(3)なお、8月24日付でキルギスのオシュ州に「家族等退避勧告」(危険度4)、その他の全地域に「注意喚起」(危険度1)を発出。また、8月30日には、キルギスのオシュ州と隣接するウズベキスタンの3州に「渡航延期勧告」(危険度3)を、更に、9月1日には、キルギスのオシュ州と隣接するタジキスタンの地域に「観光旅行延期勧告」(危険度2)に代えて「渡航延期勧告」(危険度3)を発出した。

2.現地対策本部での対応

(1)8月23日、キルギスを兼轄する三橋駐カザフスタン大使を直ちにキルギスの首都ビシュケクに派遣。同大使を本部長とする現地対策本部を設置し、キルギス政府と緊密な連絡を保ちつつ、情報収集と分析等に当った。

(2)隣国のタジキスタンについては、邦人を誘拐した武装勢力がタジキスタンから侵入したこと、及び、タジキスタンの関係者が武装勢力側に一定の影響力を有しているとされていたこともあり、8月23日以降、タジキスタンの首都ドゥシャンベにも拠点を設け、情報収集等に当たった。

(3)事件発生時、近隣国訪問中の武見外務政務次官(当時)は急遽現地入りしアカーエフ・キルギス大統領他と会談(8月26日)した。

(4)8月25日には、本邦及び近隣公館からの応援要員がビシュケクに到着し、現地対策本部は約30名の体制となった。また、現地の医療事情調査等を行うため、国立国際医療センター等の医師を派遣した。

(5)以降、10月25日の人質の無事解放に至るまで、三橋大使以下の現地対策本部員は、アカーエフ大統領、ムラリエフ首相、トポエフ国家安全保障委員会書記(当時)やジャヌザコフ大統領府国防・治安局長(当時)他の関係者と緊密に連絡を保ちつつ、情報収集等に当たった。

(6)今回の誘拐事件には、キルギス政府が第一義的な責任を有する当事者として交渉に当たってきた。その際、キルギス政府は、対ゲリラ作戦を実施していく中で、軍事的圧力による犯行グループの弱体化(注:例えば、10月初旬には軍事攻勢によりザルダリ村周辺を奪回している)を図るとともに、民間人やタジキスタン側関係者も含めた様々なルートを通じて犯行グループとの接触を重ね、犯行グループにとって行動が困難になる冬の到来を背景とする中で軍事面等の圧力を強めた結果、人質の解放に至ったものである。

(7)なお、人質の方々の安否確認については、キルギス政府はもちろん、様々なルートを通じて繰り返し行い、直接的ではないにしろ、人質の方々の安全は概ね確認していた。この間、タジキスタンを通じた情報収集活動も有効であった。

(8)この他、キルギス政府の協力も得て人質の方々への差し入れも実施したが、実際には一部の物資以外は人質の方々に手渡されることはなかった。

3.関係国への協力要請

(1)小渕総理は、8月29日付けで、ラフモノフ・タジキスタン大統領及びカリーモフ・ウズベキスタン大統領に対して、人質の早期無事解放のための協力を要請すべくメッセージを発出。また、APEC非公式首脳会議の際、小渕総理からプチン・ロシア首相に対して、情報提供等について協力を要請。

(2)武見外務政務次官(当時)は、8月23日、ナザルバエフ・カザフスタン大統領、24日、ラフモノフ・タジキスタン大統領及びヌリ・タジキスタン国民和解委員会議長と会談し同様の協力を要請。

(3)川島事務次官より、フォーリー駐日米大使(8月24日)、パノフ駐日ロシア大使(8月25日)に対して情報提供等の協力を要請。

(4)中山駐ウズベキスタン大使より、カミロフ・ウズベキスタン外相(8月25日)及びカリーモフ同大統領(8月26日)に対し協力を要請。また、中山大使が10月8日、兼轄国たるタジキスタンに信任状を捧呈した際、ラフモノフ大統領及びヌリ国民和解委員会議長他と会談し協力を要請。

(5)9月13日、イラン側からの示唆を踏まえ、在京イラン大使館を通じ、ハラズィ・イラン外相のタジキスタン訪問に際し、タジキスタン側の協力が得られるよう働きかけを依頼。

4.解放前後の動き

(1)10月24日深夜(現地時間、日本時間25日未明)、キルギス政府より解放の可能性につき確度の高い情報が寄せられたことを受けて、キルギス政府当局者の案内の下、現地対策本部員をタジキスタンとの国境地帯にあるキルギス領内のカラムイクに派遣。25日13時15分(現地時間)、キルギス政府当局者によって移送された邦人4名とキルギス人通訳1名の無事を確認した。また、邦人の無事解放が確認されたことを受けて、青木官房長官(外務大臣臨時代理)が記者会見でこれを発表。現地対策本部でも同時に発表を行った。

(2)その後邦人一行は、同日夕刻にビシュケクに到着。所要のメディカル・チェックを受けた後、26日にチャーター機にてキルギスを出発し、26日20時(日本時間)、成田に到着した。

IV.今後の取り組み

 今回の事件が発生した背景には、調査団が滞在していた現地の局地的な治安情勢が8月中旬以降に予想以上に急速に悪化したとの事情はあるも、大使館やJICA事務所が存在しない国についての現地情勢の把握にはかなりの限界があること、また、調査団と外務省・JICAとの連絡体制も適切に機能していなかったこと、などがあると考えられる。
 我が国が、中央アジア・コーカサス諸国を含む各国の国造りに協力していくことは引き続き極めて重要であり、こうした努力を今後とも継続していく上で、今回の事件を教訓とし、経済協力実施上の安全対策、更には在外邦人保護の面での安全対策を一層強化していくことが緊急の課題である。今回の事件を踏まえ、外務省及びJICAで当面実施しつつある各種施策は、以下の通りである。

1.経済協力実施上の安全対策

(1)安全対策タスクフォースの設置

 今回の事件発生後の外務大臣の指示を踏まえ、外務省と援助実施機関との間で安全対策タスクフォースを組織し、援助関係者の安全対策につき再検討を行っている(9月1日には、右タスクフォースの第一回会合を開催)。

(2)JICAの安全対策強化

 JICAでは、以下の措置を決定し、平成11年度予算で実施しうるものについては早急に実施し、更に必要なものについては、12年度予算において手当すべく予算要求を行う。

(イ)現地における安全情報の収集能力強化(特に在外公館、在外事務所のない国)
-緊急の通信手段の拡充、現地における安全情報収集能力強化のための要員の雇い上げ等

(ロ)JICA本部における安全情報分析能力の強化と現地との連絡強化)
-JICA本部の安全情報収集能力強化のための「安全対策アドバーザー」の配置等

(ハ)安全・治安状況の見直し体制全体にかかる強化)
-安全対策の見直し及び専門家等に対する安全指導の強化のための調査団の派遣拡大、JICA委託事業の見直し、在外における連絡・協議体制の整備・強化等

(3)JICAにおいて既にとられた措置

 事件発生直後の8月24日には、全JICA在外事務所に対して専門家等の安全状況の再検討を指示したほか、上記の安全対策強化策のうち、すでに以下の措置をとっている。

(イ)在外公館及びJICAの在外事務所が存在せず、特に治安状況につき考慮を要すると認められる国において安全状況の緊急点検を行うため、関係者との協議等を通じて現時点での治安情勢の調査・分析を行うための「安全確認調査団」を以下の3地域に対して緊急に派遣した。なお、中央アジア地域についても、早ければ11月中にも「安全確認調査団」を派遣する予定である。

(a) アフリカA(10/5~15)
ナミビア、スワジランド、モザンビーク
(b) アフリカB(10/16~31)
マリ、モーリタニア、ブルキナファソ
(c) 東欧(10/4~20)
アルバニア、マケドニア、モルドヴァ

(ロ)緊急通信手段の確保に万全を期すため、衛星通信システムのインマルサットを追加購入する。

(4)国際協力銀行(JBIC)の安全対策強化

 有償資金協力を実施するに際しては、JBICにおいて、衛星電話等ハード面の整備、外部専門家の活用を通じた情報分析能力の強化、現地安全調査の拡充等により安全対策の整備・向上を図るとともに、在外公館、JICA等との連携による安全情報の収集、本店と現地事務所の連絡強化等に引き続き努めていくこととしている。

2.在外邦人保護一般の安全対策強化

 今次事件を踏まえ、特に大使館のない被兼轄国の情報収集や情報提供等の体制の強化・整備を図ることとしている。

(1)情報収集の強化

(イ)大使館のない国については、外務本省やこれらを兼轄するいわゆる親公館からの出張回数を増加させ、現地政府や主要国公館等との治安情勢に関する意見交換を通じて情報を収集する。

(ロ)兼轄国の多い地域を中心に治安情報等について関係国政府関係者との地域治安情報会議を開催する。

(2)情報提供の拡充

(イ)「海外危険情報」及びよりきめ細かい留意事項である現地在外公館主導の「お知らせ」や外務本省より発信する「センター情報」により一層積極的に情報を提供する。

(ロ)外務省ホームページの拡充並びに官民双方向の情報交換ネットワーク(海外邦人安全対策官民協力会議:海安協インターネット)を活用する。

(3)安全対策の徹底

(イ)被兼轄国については外務本省や親公館から関係職員を出張せしめ、在留邦人(経協関係を含む)との意見交換や安全対策指導をより緊密に実施する。

(ロ)現地公館主催の安全対策連絡協議会での在留邦人への指導、外務本省への報告を徹底する。

(ハ)在留邦人の緊急連絡網の拡充に取り組む。

(ニ)被兼轄国においては在留邦人の窓口となる責任者(ウォーデン)の発掘及び指名、通信機器等の貸与を行う。

(4)体制の整備

(イ)海外邦人保護体制整備・強化のため人的体制の一層の拡充を図るとともに、一層機動的な対応を目指す。
(参考)在外領事定員については、平成10年度6名、11年度12名を増員。

(ロ)緊急時に備えて通信機器の整備を行う。

3.対シルクロード地域外交

(1)中央アジア・コーカサス諸国からなる、いわゆる「シルクロード地域」は、ロシア、中国及び中東の後背地であるという点で地政学的にも大変重要な地域であり、この地域の安定は、ユーラシア全体の平和と安定の観点からも重要な意義を有している。また、資源開発という観点からも、我が国にとって重要な地域となっている。

(2)こうした中で、我が国としては、今回の事件を踏まえて、既述のようにこれまで以上に安全対策面にも十分配慮しつつ、今後とも「シルクロード地域」諸国に対する外交を積極的に展開していく必要がある。具体的には、(イ)信頼と相互理解の強化のための政治対話、(ロ)繁栄に協力するための経済協力や資源開発協力、(ハ)核不拡散や民主化、安定化による平和のための協力、という3点を柱として、「シルクロード地域」との関係強化に努めていくことが重要である。

(3)また、今回の事件を踏まえ、地域における情報収集体制の強化、東京におけるこれら情報の分析、政策の企画・立案機能の強化を図っていくことが重要である。



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