日本について、我々は何を知っているか? ──中国人の日本観を分析する
中国北京大学 于悦
日本と言えば我々にとって決して見知らぬ国ではない。一方で女性的なやさしい細やかさを、もう一方では武士道で言う尚武の精神を持った国。一衣帯水の地理関係と綿々と続いてきた歴史的関係の故に、日中関係には多くの特別な意味がこめられてはいるが、多くの中国人にとって日本は親しみやすい国ではない。中国社会科学院日本所が最近行った日中世論調査によると、中国国民が日本に対して「とても親しみやすい」と「親しみやすい」と答えた人はわずか5.9%であった。「親しめない」と「非常に親しめない」と答えた人は43.4%。「普通」と感じている人が47.6%、残りの3.2%は「よくわからない」という回答であった。この他に中国青少年基金会が実施した調査によると、日本に対して「良い」と「非常に良い」印象をもっている人が14.5%、「良くない」と「非常に良くない」印象を持っている人が41.5%にものぼり、残りが「普通」と答えた人で43.9%であった。この二つの調査を通じて、中国人は日本に対してあまりいい印象をもっていないし、日本に親しい感情を示したいとも思っていないことがわかる。
これは確かにこの原因が歴史から来ているという結論をいとも簡単に導き出すことができるのである。日清戦争以来、120年の日中関係は日本が中国を侵略してきた歴史でもあった。ただ1972年から現在までの間、日中両国は初めて真に和解し政治、経済、文化の各方面でさまざまな交流を行って来たと言える。中国人はこのような血と炎で形容される民族の恩と怨念を決して忘れることはなく、故に中国人日本への疑念を晴らして親しく付き合うということは、極めて難しいと言わねばならない。特に近年の日本の歴史問題に対する態度、政府高官の靖国神社参拝、教科書問題などは、一層中国人の感情を逆撫でするものであり、これでは中国人が日本に対していい感情を持つのは至難である。
しかし問題はこればかりではなく、単純に一つの角度からのみこの問題を分析したのでは、結論は偏ったものになり、また、こうした分析における最大の落とし穴は、問題の深層部分の分析を疎かにすることであり、歴史という要素以外のさらに重要な原因を見落としてしまっていることである。それにより中国人の日本に対する冷淡な態度が、日本に対する不理解と無知を生むことになる。例えば上述の中国青少年基金会の調査資料が示すところでは、対象者のわずか0.6%の人しか日本に行ったことがない。家族の中で行ったことある人は6.4%、本人または家族共に行ったことない人が91.9%にも達しており、人々はそれよりもテレビ、雑誌その他の媒体によって日本に関する情報を得ているのであって、言うなれば我々のほとんど絶対数が、真に日本を理解してはいないのである。日本を知るという理解の上での偏差が、そのまま中国人の日本問題への見方を主観的且つ憶測でものを言うようにさせていると言えるのではないだろうか。多くの人が日本問題を研究することには興味がないか、又は日本へ行って勉強したり働くことに疑いの目を向けており、相対的に見て、人々は個人の成長発展の空間を欧米に対しより多く求める傾向にある。研究と分析なしに、また日本の社会構造と歴史的特徴を分析することなしに、日本の民族的特長の根源がどこにあるかを理解することはできない。社会構造的に日本はたて社会であり、人と人との間には強い等級意識が存在する。このたて構造は日本語の使い方にも影響しているばかりでなく、日本社会における資格、経歴と長幼の順序の重視という面により端的に見てとることができ、このために中国の留学生にとって、日本は付き合いやすい国ではないということになる。また、日本が資源に乏しい国であるということが、その社会を相対的に閉鎖的なものにもしている。日本が経済危機に見舞われたり、その他の深刻な困難が発生したりすると、日本の右翼過激派が、国土が小さい、資源が乏しい、耕地に限りがある、または中国の脅威などを理由に、中国敵視の態度をとって来た。こうして長い時間の間には、中国人は日本人に対し親しみがもてないばかりでなく、人によっては「日本のことは語りたくない、触れたくない」ということになってしまうのである。
また別の角度から見ると、中国人の日本に対する無理解は、中国と日本の文化の違いから来ているとも言える。日本文化は多元性に富んでおり、長い歴史の中で日本は適時、外来文化を普遍的なものとして受け入れてきた。このため儒教、道教、仏教、キリスト教などの教説は、日本本土の固有文化と融合し、東アジアを代表する文化モデルの一つになるまでの発展を遂げたのである。さらに重要なことは、明治維新以来、西洋に学んで来た経験であり、さらに戦後のアメリカ統治でその文化的薫陶を受け、日本の東洋文化に西洋の色あいを持たせたことである。ディズニーランドやトレンディードラマの中に体現されている西洋文化の匂いが、そのひとつの典型であり、また、浮世絵や歌舞伎、茶道などの文化の中にも、西洋の民主主義と近代的概念とが包含されており、これが歴史と客観的な現実によってもたらされた中日両国の文化の違いである。我々は日中両国の社会制度、文化的背景、両国国民の考え方、精神構造、価値観がすべて違うことを認めることが必要であるにもかかわらず、日本への無理解、行き過ぎた大国意識、民族としての自慰的心理のために、中国人は日本への理解を中途半端に終わらせ、日本について学ぶことを否定してしまう傾向がある。例えば日本文学には日本社会の特徴が表現されているが、自ら体験して深く理解しない限り、その菊の美と刀の気が相和す感覚を理解することはできないであろう。「さくら」の歌声には散りゆくものへ惜しみと恋しさが、「赤とんぼ」の歌声には同じように過ぎ去った美しい歳月への懐旧の念と哀しみがこめられている。また正岡子規の「法隆寺の茶店に憩ひて」の俳句「柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺」は、日本人の習慣と心情していなければ、その中に深く現れている秋の季節感、また秋の季節感の底にある子規の心情を理解することはできないだろう。
「よく知っている見知らぬ人」、まさにこれが中国の日本理解の程度を示す言葉だと言えようが、近代の先達たちはそうとも限らなかった。日清戦争の敗北以後、多くの若者が日本に行き、日本が西洋の侵略を受けながらも如何にして強大になったかを学び、まさにこの日本で教育を受けた若者たちの集団が、中国を変貌させる重要な原動力となったのである。郁達夫の「何が苦しくて日本に来たのか。何が苦しくて学問を追求するのか。しかし来たからには日本人に悔られてはいけない。中国よ!中国よ!なぜもっと強大になれないのか」というため息がこの時代を代表する言葉だろう。中国が弱さにつけ入れられていた時、我々は日本に学ぶ必要があったし、また今、発展を遂げている時もやはり日本に学ぶ必要がある。ある物事を真に理解するまでは、安易に安定したり肯定したりしてはならず、日本がなぜ近代に発展を遂げ、強国になることができたのか?なぜ日本は戦後の焼け野原から繁栄の国になり得たのか?かぜ日本は孤立した小さな島国でありながら大きな力を持ち得たのか?もしこれらすべてを歴史のせいにするとしたら、それはあまりにも安易な考え方であり、もっとよく考えた上で答えを出すべきであろう。歴史を学び、現状を分析するということはとりもなおさず、よりよい未来のためなのだから。
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