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「日中韓ヤングリーダーズ交流プログラム」に参加して


津田塾大学国際関係学科4年 徳屋 友基子


 まず始めに、とても楽しい一日でした。月並みですが、朝バスに乗るとき初めて出会った韓国と中国の人々が、12時間後ホテルで別れる時には昔から知っていた友人のように思えました。私はこれまで短期・長期様々な国際交流プログラムに参加してきましたが、終わってみて一日でここまで親しみを感じられた出会いは久々だったように思います。
 昨年のワールドカップ日韓共催に向け、過去数年急激に「日韓」が叫ばれるようになりました。また、昨年は日中国交正常化30周年の年にもあたり、日中双方で両国関係の更なる進展が確認されたようでした。もう15年も前になりますが、私は1988年からの数年間をソウルで暮らしました。現地では、初めて韓国人の反日感情を目の当たりにし、その矛先は小学生の私にも少なからず及んだことを思い出します。歴史などなにも知らなかった当時の私はそんな「一部の韓国人」の「日本人」である自分への言動に腹を立てたこともありましたが、それ以上に日本に帰国してから知った日本に存在する嫌韓感情とそれ以前の「日本に一番近い国、韓国」に対する無知さに驚きました。当時はソウル市内で日本からの観光客を見かけることも稀で、また日本のテレビ番組で韓国が取り上げられることなどめったになく、仮にあった場合は家族総出でテレビにくぎづけ状態でした。今や多くの者が日韓を往来するようになり、またテレビをつければどこかで韓国の美容や食文化に関する番組が流れていたり、日韓の芸能人が一緒になって活躍しているような時代が到来したようですが、このような今と10数年前の日韓関係を比べるとワールドカップも成功し確実に改善された、と言えるでしょう。また、韓国と中国が国交を結んだのは1992年というほんの10年前のことです。1988年のソウルオリンピックに中国が(ソ連も)参加したことが一大事であったことは幼い心なりに現地で感じとりましたが、その意義を知ったのはずいぶん後になってからのことです。それまでの北東アジア国際関係の「常識」は、韓国・日本・米国VS北朝鮮・中国・ソ連の図式であり、この構造が時を待たず「過去」のものとなることを当時誰が予想していたでしょうか。このような「痛々しい」時代を多少知る者にとっては、まさに先日の日中韓の交流プログラムは、大きな問題もなく当たり前のように楽しく終わりましたが、決して当たり前なことではなく、今の時代だからこそこのようなプログラムが提案され、そして私たちは「なにか」を共有できたのだ、と痛感しています。
 このプログラムはとても意義深いものであり、今後も継続されていくべきでしょう。しかし、いくつか自分なりの提案を、日中韓の人々にさせていただきたく思います。
 まず第一に、我々はもっと真剣に隣り合う国のこと、アジアの一員であることを認識すべきだ、ということです。私は2001年の1年間ロンドンに留学しました。その1年間、私はキャンパス生活、寮生活、旅行先等で本当に多くの韓国人・中国人に出会いました。よく一緒にチャイナタウンに足を運び、イギリスのスーパーでは手に入らないお醤油などの調味料やラーメン、大根などのちょっとした「アジア」の食材を買いに行きました。そして寮のキッチンで欧米人が朝からパンをちぎったり、夜はパスタをゆでてる傍ら、私たちはよく一緒にお鍋で米を炊いたものでした。そして、欧米人のお皿から器用にお箸でスパゲッティーをまき、彼らに'Wow! Incredible!'と言わせたものでした。また、難しい単語は英語で簡単な表現を探して説明するよりも、特に中国人と日本人の間では漢字を書いて用を済ませた方が早かったものです。中国人は同じ言葉(広東語、北京語の別はあるにせよ)を使う「外国」人、つまり台湾や香港(事実上中国に属しますが)からの学生と親しくなる傾向にあったものの、特に目立ったのはイギリスというアジアから遠く離れた第三国で日本人と韓国人が初めて隣国の「生」の存在に気付き、異様なまでに親しくなるという事でした。韓国人にとっては歴史教科書の中でだけ出会ったことのある「日本人」という登場人物の実体に初めてイギリスで触れ、また日本人にとっては海を隔てて隣にある国が韓国である、という何年も変わらぬ事実に初めて遥かヨーロッパまで行って気付いたようでした。私はこのような光景に1年間絶え間なく直面し、それは大変微笑ましいことではあったのですが、一方ではそこまで行かなくては気付かなかったものなのか、と落胆してしまったのも正直なところです。まさに「灯台もと暗し」とはこういうことを言うのでしょう。イギリスというアジアからは遠い第三国で日本人・中国人・韓国人が出会い親しくなるのは、外見的・文化的・心理的な親近感を必要以上に感じられるからかもしれませんが、説得力のある根拠は述べられないものの、その出会い方がとても遠回りな気がしてしまいました。簡単に言えば、もっと近くで出会う機会、お互いを知る機会はなかったものなのか、ということです。そのような機会がないのであればそれは問題でしょうが、私は単に我々の目が遠くのものを見ようとする結果、近くのものを見落としているだけな気がするのです。
 第二の提案として、我々はもっと自分たちが共有する文化を大切にすべきだ、と言うことです。ここで一つ韓国にお願いしたいのは、漢字を復活させてください、ということです。朝鮮語は日本語以上に中国語の影響を生に受けて形成された言語です。更に植民地時代に日本からいわゆる新しい漢字用語がたくさん入り(このことが良かったというのでは決してありませんが)、現在の朝鮮語の多くの単語は漢字で表記できるにも関わらず、漢字を独立後も継続して使用することは日本が植民地時代に押しつけた日本語を排除しにくくなるという理由で漢字の使用に消極的になり、多くの韓国人は漢字の読み書きがまったくできないというのが現実です。しかし、いかなる事情があるにせよ韓国人が漢字を読み書きできないというのはこれから日中韓でアジアの世紀を担っていこうとしている我々自身の提案の促進に少なからずブレーキをかけてしまうものであると感じてしまいます。やはり、言語というのは大きい意味をもつでしょう。ヨーロッパでいつも感じるのは、ヨーロッパ人間の結束力の強さです。もちろん地理的、歴史的な要因も強いでしょうが、私はやはり言語が大きな役割を果たしていると感じます。ヨーロッパ言語はギリシャ語、ラテン語を基に部族国家、国民国家の形成の過程に現在のフランス語なり英語なりに分化していったため、文法が類似しているのはもちろん、動詞の変化や単語の綴りがそれぞれ異なるものの語幹や単語の中のどこか一部になにかしらの共通点を見つけられることが多いのです。ですから、ヨーロッパの友人を見ていると実際いくつものヨーロッパ言語を操る人が多く、しかもそれが彼らの中では驚くべきことではないのです。このような彼らのヨーロッパ言語の操りが非ヨーロッパ人の前で繰り広げられる時に、おそらく私たち非ヨーロッパ人は彼らの結束の強さを感じるのだと思います。このようなヨーロッパの現状に、私たちは「いいな~。でも彼らの言葉はどれも似ているから簡単なんだろう…」とまるで他人ごとのように流してしまいがちですが、私はそこで悲観的に止まってしまう多くのアジア人に、「それはそうとして、アジアの言葉だって似ているのだ!」と叫びたいのです。私は中国語がまったく理解できませんが、中国人の友人に中国語の単語などを尋ねると、日本語に似ているとは言いがたいものの、韓国語の音には似ているものもたくさんありびっくりしました。そして日本語と韓国語は文法もち蛯チとした言い回しも似ている言語です。それならば、中国語と日本語も似得ると言えるかもしれません。言語学的な証明は専門家に任せるにしても、少なくとも素人である私にでも断言できることは、この3か国語は漢字を基礎に成立しているということです。同じ漢字は、音は違えど日本語でも朝鮮語でも中国語でもたいていの場合その後ろにある意味は同一です。今回の交流会でも痛感したのは、例え自分が朝鮮語を使って出会った韓国人と会話ができても、その会話に中国人が入ると3人で会話を運ぶためには、その言語を英語にスイッチしなければその場はそれ以上進まないということでした。もちろん参加者の中には朝鮮語と中国語の両方を使える方もいらっしゃいましたし、英語であっても日中韓の人々皆がそれで会話をシェアできるならば、十分なのかもしれません。しかし、私たちが英語に助けを求める前にもっと身近な言語で相互のコミュニケーションができるのであれば、英語の使用によって少なからず失われてしまう我々固有のコミュニケーション文化や思想をより忠実に共有することができるのでは、と思うのです。
 最後の提案は、これまで書いてきたことと一見矛盾してしまいますが、日中韓が排他的に関係促進をしていくのではもともこもないということです。我々の周辺には北朝鮮問題、中台関係の問題、東南アジア諸国の経済問題等、複雑な問題が山積みです。このようなアジアの中でいわば「大国」といわれる我々3か国だけが自分たちのことだけを考えて関係を促進していくのではその将来は必ずしも明るいとは言えないかもしれません。北朝鮮のこと、台湾のこと、東南アジアのこと、その現状や歴史、文化を一番よく知っているのはおそらく他でもない私たち周辺諸国ではないでしょうか?国際社会に解決を求めるのも一つの解決手段かもしれませんが、まずは我々が身近な問題に目を反らさず立ち向かう姿勢が必要ではないか、と思います。'Globalisation'が叫ばれて久しくなりますが、私は同時に'Regionalisation'の台頭も著しいと感じています。ヨーロッパ連合(EU)や東南アジア諸国連合(ASEAN)はその代表ですが、今年はアフリカ連合(AU)も発足したようです。北東アジアはこのような地域機構が存在しない唯一の地域と言われますが、このまま日中韓関係が促進すれば北東アジアにも近く我々3か国主導の地域機構が発足するかもしれません。その際は是非日中韓だけでなくより広いアジア地域の国々にとっても好ましい地域関係が確立されていることが望ましいと思います。
 私たちは確実に動き出しました。しかし、本当に友好関係が築かれたと言える時とは、今回のような交流会が政府を介さなくても個々で自然に用意できる時ではないでしょうか。もっと極端に言えば、このような交流会が企画されなくなってこそ我々の目的は達成されたと言えるのではないでしょうか。例えばヨーロッパでブレア首相、シュレーダー首相、そしてシラク大統領は、首脳会談等で'英独仏交流会'などを話題に出すでしょうか?おそらく彼らにしてみたら、そのような提案はいい意味で時代遅れであり、わざわざ首脳会談等で議題にあがることなどではないでしょう。現にヨーロッパの友人を見ていると、彼らはヨーロッパ各地に勉強の場、仕事の場を求め、EUパスポート片手にまるで国境など存在しないかのように飛行機で、列車で、そしてバスで移動しています。それは、彼らの間で、またヨーロッパで、大戦後60年絶え間なく相互理解のための交流、対話の努力を続けてきた証なのだと思います。とても印象に残っているのは、お互いがとてもうまくけなし合っているということです。例えば、ロンドンとパリを3時間で結ぶ国際特急'ユーロスター'が開通した時、イギリスの新聞は、「フランスが大陸から切り離された」という書き方をしたそうです。ドイツ人は怠惰なイタリア人を信じられないと言い、イタリア人はドイツ人の真面目さに付き合いきれないと嘆きます。フランス人の話す英語にはヨーロッパの中でも独特のアクセントがありますが、それらを他のヨーロッパ人たちが真似てからかいます。このようなことが、裏ではなく表で言い合えているのです。同じことが日中韓の間で言えるでしょうか?おそらく、仮に日本と朝鮮半島の間に海底トンネルが開通し、日本の新聞が「朝鮮半島が大陸から切り離された」などと書いたら、韓国または北朝鮮の反応がいかなるものか想像できる気がします。ヨーロッパとアジアでは歴史や風土、文化が違います。だからヨーロッパのような域内関係がアジアにとって見習うべきものだとは一概には言えません。しかし、本音でぶつかりあえてこそよりよい相互関係が成立しそうなことは、韓国人や中国人が不満がる、日本人の「本音と建前」論からも察しがつく気がします。
 今回のプログラムは、まさに今まで書いてきた理想のアジア関係へ一歩近づくきっかけになったと思います。私は今後、日本と韓国、アジアの関係に関わっていきたいと思っています。これらの、自分のいる所から近いところの問題に関わっていこうとすると、どうしてもその先に広がる世界に盲目になりがちです。「マンションのご近所付き合い」に例えると分りやすいですが、お隣、向いの家のことはよく知っていても、そのマンション全体で問題が起きた時、上、下の階の家のことを知らなければ円滑に問題に対処できません。それと同じで、韓国や中国のことだけ知っていても、広く地球上のその他の地域、国のことを知らないのではこれからの国際社会には立ち向かえない気がします。イギリスで過ごした1年間予想だにせず遠くから日本や韓国、アジアを眺める機会に恵まれました。そして、私たちは無限の可能性を有していることが分かったと同時に、自分たちで解決しなければいけないことも山積みだということを痛感しました。今回の交流会はこのような私の野望に拍車をかけてくれるいい機会となりました。




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