北岡伸一国連次席大使寄稿論文
「安保理の舞台裏:国連代表部の多忙な一日」
常任理事国入りを目指す日本。その最前線を担うのが国連代表部だ。
代表部の、ある冬の一日から窺える、安保理の実態と日本の存在感とは
(中央公論新社刊「中央公論」3月号より転載)
平成17年3月
本誌1月号に、安保理改革について書いた。しかし、安全保障理事会が実際にどのような仕事をしているのか、また安保理メンバー国が毎日何をしているのか、本当に知っている人はあまりいないのではないだろうか。私も最近まで具体的には知らなかった。日本は今、1月から非常任理事国として安保理に入っている。その中の動きは、内側にいてもなかなか面白い。外交に興味のある読者には知っていただく価値があると思う。
安保理が取り組んでいる問題を紹介するためには、その背景を一応説明しなければならないだろうし、これを取り扱う仕組みについても触れなければならないだろう。こうした問題の背景や制度のダイナミクスに触れながら、安保理を中心とする日本政府代表部の一日の動きを紹介することによって、国連における安保理の仕組み、日本の活動ぶり、さらに世界が直面しているさまざまな問題を、浮き彫りにすることができるのではないだろうか。
もちろん、日によって仕事は違う。しかし、大体のところ、こんなふうですということを、書いてみたい。まだ書けないことはあるが、書いてあることはすべて本当のことである。2005年1月10日の一日である。
国連代表部とは
最初に、国連の仕組みをざっと述べておきたい。国連は現在、191の加盟国から成り立っている。主な機関は、総会、安全保障理事会、経済社会理事会である。ちょっと性格は違うが、国際司法裁判所もその一つである。それ以外に、信託統治理事会などもあるが、これは休止状態にある。国連の本体以外に、独自の役割を持つファンズ・アンド・プログラムズ(計画および基金。国連児童基金など)というのもある。また、安保理や総会や経社理の下には、多くの下部委員会がある。
それから事務局(Secretariat)がある。そのトップがアナン事務総長であり、副事務総長が1人、事務次長は36人(後述の事務総長特別代表11人を含む)いる。国連というと、すぐアナン事務総長を思い出す人が多いが、国連の主役は加盟国であり、事務局はその意思決定の準備と、決定の執行にあたる。事務総長は、国家にたとえて言えば、大統領でも首相でもない。国家なら、普通、首相や大統領は最大与党から出るのが普通だが、国連の事務総長は、大国からは出さないのが慣例である。
国連における意思決定に参加するため、加盟国は国連代表部というものをおいている。そのトップを常駐代表(PR:Permanent Representative)といい、次席代表(DPR:Deputy Permanent Representative)がその下にいる。
最大の代表部を持っているのは、アメリカであり、全部で130人のスタッフがいる(昨年8月現在、以下日本以外は同じ)。その他の常任理事国は、ロシアが86人、中国が66人、イギリスが38人、フランスが29人。日本は55人(1月末現在)で、米中露より少なく、英仏より多い。日本とともに常任理事国をめざすドイツは63人、ブラジルが34人、インドが22人である。これを阻止しようとするイタリアが20人、パキスタンが15人といった具合である。少ないところでは、2人、3人という国がいくつかあるし、ニューヨークに代表部がない国すらある。
日本政府代表部には上記の55人のほか、運転手、守衛、秘書などを含め、44人の現地スタッフがいる。相当多いが、特別多いというわけではない。常任理事国は、自国の言葉を公用語として使えるし、長年の経験の蓄積もある。それに比べれば、日本はどうしても不利である。時差の関係で、東京とはちょうど昼夜が反対で、連絡もなかなか大変である。ドイツの人数が多いのは、昨年末まで安保理非常任理事国だったからで、少し減らす予定らしい。ブラジルは、今、安保理にいるので、いつもより増強された人員である。日本も、安保理で活動しながら安保理改革を進めるのだから、もう少し人手がほしいところだ。
日本代表部の構成は、常駐代表、次席代表(以上2人が特命全権大使)、総括大使と大使が3人いる。アメリカは5人いる。イギリスは2人だが、韓国は3人いる。変わったところでは、イランは大使が4人いる。多くの会合(しばしば同時に開催される)で日本を代表して活動するので、3人という数字はちょうどいいくらいで、安保理改革のためには、まだ足りないくらいである。
それから政務、経済、社会、行財政(予算および人事担当)、総務の各部を担当する公使が5人いる。その下に、参事官7人、一等書記官16人、二等書記官12人……という構成だ。通信や会計の担当者はやや少ないが、とてもよく働いてくれる。
国連代表部は、日本の他の在外公館と比べて、もっとも人数の多いところの一つである。しかし、それ以上に仕事の範囲がとても広い。そのため、若い書記官でも、かなりの責任を任されて、活躍している。とくに女性の専門職や専門調査員の人などに、生き生きと活躍している人が多い。
午前六時半起床
『ニューヨーク・タイムズ』を読む
さて、代表部の一日である。
朝6時半におきる。メールをチェックし、シャワーを浴び、新聞を読む。
『ニューヨーク・タイムズ』の一面に、OFFの記事が出ている。OFFとは、オイル・フォー・フード・プログラム(石油食糧交換計画)のことで、経済制裁下のイラクに、国連の監視下での石油の部分的輸出を認め、その代価を人道目的に充てていたものだ。それがフセインに悪用されその資金源となり、またそこから不当な利益を得た企業があったことが分かってきた。それは、国連の監視が甘かったからであり、しかも一部に汚職も介在していた可能性があるという問題である。アナン事務総長の息子が、OFFを監査するコテクナという会社と関係していたことも分かっている。
この問題の調査は、現在、前米国連邦準備制度理事会議長のポール・ヴォルカー氏を委員長とする独立の委員会にゆだねられている。そのレポートは1月末に出ることになっている。しかし、その途中、昨年12月に、アナン氏の息子は、これまでの説明とは異なり、比較的最近までコテクナとの関係を終えていなかったことが分かり、保守派の論客のウィリアム・サファイア氏が『ニューヨーク・タイムズ』でアナン氏の辞職を求め、また上院の有力議員であるコールマン議員も、同様に辞職を要求するという事態に発展していた。12月初めのことである。
こういうスキャンダルが政治問題化すると、事態の収拾がつかなくなることが少なくない。しかしまだヴォルカー委員会が調査中なのに、アメリカ議会がその資料を要求し、また一部議員が事務総長の辞職を要求するのは行き過ぎだ。われわれにとっては、国連改革を進めようとするアナン氏のリーダーシップを支持し、その勢いで安保理入りを実現しようとしていたわけであり、この問題が広がるのは痛い(もっとも、国連の機能不全が著しいから、大きな改革が必要だという議論もありうるが)。それで、日本もアナン支持の動きをはじめた。日本だけでなく、多くの国々や人々が、アナン信任、激励の動きをして、アメリカもダンフォース国連大使がアメリカはアナン氏を信頼すると発言して、一応、この問題は下火になっている。
今日の『ニューヨーク・タイムズ』は、ジュディス・ミラー記者の署名入りの記事で、ヴォルカー委員会の調査の一部を明らかにしている。いくつかのプログラムの調査の結果、今のところ汚職の証拠はないが、監督がきわめてずさんであったことが分かってきている。
これに応じて、社説では、アナン事務総長は国連の人事を刷新すべきだという提言をしている。OFF以外にも、コンゴ民主共和国におけるPKOで、強姦や買春が起こっている。社説は、ゲーノPKO局長はよくやっていると言い、また、セクハラをうわさされたルベルス難民高等弁務官については更迭を要求するなど、バランスが取れており、むしろ早期の人事刷新によってアナン氏を擁護する立場である。こういう立場が主流になればいいのだが。
今日の大きなニュースは、パレスチナの選挙である。予想どおりだが、9日の選挙で、穏健派のマハムード・アッバース氏が、圧倒的な多数で当選した。日本では、アラファト議長を支持する立場から、その死を惜しむ論調が強かったように記憶するが、アラファト氏は晩年には指導力を失い、彼の存在が和平プロセスに対する阻害要因となっていた。それゆえ、パレスチナの側における新しいリーダー、つまりアッバース氏の当選と、イスラエル側のシャロン首相のガザ撤退のロードマップ(そのための政治的支持が高まらず、内閣を改造しつつある)が、少なくとも過去数年ではもっとも望ましい機会を作り出しつつある。日本はまもなくパレスチナとイスラエルを町村外務大臣が訪問することになっており(選挙後では、最初の主要国要人の訪問である)、新たに6000万ドルの資金援助を計画するなど、本気でコミットしているのも、そう考えるからだ。
もちろん、問題は多い。パレスチナの選挙では、過激派のハマスなどがボイコットして(しかし妨害はしなかった)、投票率はそれほど高くはなかった。それに、イスラエルがパレスチナ暫定自治政府にテロリスト集団を弾圧せよと迫っているのに対し、アッバース氏は彼らを説得すると言っているだけである(もっとも、最初から弾圧するなどと言えるはずはない)。
もう一つ大きなニュースはスーダンの和平である。スーダンでは、20年以上、南北間で紛争が続いてきた。北がイスラム教系の政府で南がキリスト教徒の反乱軍である、というのが、アメリカの捉え方だが、ちょっと一面的な見方だと言われている。この和平に、アメリカは強い関心を持ってきており、とくにダンフォース国連大使は、かつてこの問題についての特使として活躍したことがあった。そして、昨年夏に国連大使となると、やはりこの問題に力をいれ、まったく異例のことなのだが、ケニアのナイロビで安保理の特別会合を開き、和平を促してきた。その結果、今回、ナイロビで和平協定が調印されたわけである。それは、六年にわたる和平プロセスを定めたものであり、6年後には南が分離独立する可能性を認めているところが、なかなか意味深長である。
ただ、スーダンには、ダルフール紛争というもう一つの問題がある。これについては、パウエル国務長官がジェノサイドと言ったことがある。スーダン政府が無能なのか、それとも悪い政府なのか、とにかく統治能力がなく、軍閥が割拠していて、その中で多くの人命が失われていることは確かである。南北和平と比べ、ダルフール問題は一向に進展がなく、難しい問題だ。ある時点で制裁という可能性もある。
だが、これには中国が強く反対している。スーダンから石油を大量に買いつけているからである。それ以外に、ロシアなども反対である。だいたい、国際社会が内政干渉的なことを試みると、中露は反対することが多い。
それにしても、今日はニュースが多い。そしてどれも充実している。『ニューヨーク・タイムズ』の外交記事はたいしたものだと思う。アメリカ人は一般に国連が嫌いだったり、せいぜい無関心だったりするが、『ニューヨーク・タイムズ』はそうでもない。何しろ国連はニューヨークにあるわけだし、ニューヨークにはそれを誇りにしている人も多い。また、インテリには『ニューヨーク・タイムズ』の読者が多い。逆にいうと、『ニューヨーク・タイムズ』だけ読んでいるとアメリカの世論を見誤ることになる。
充実しているのはいいが、やっぱり英語で読むのは時間がかかる。日本の新聞なら、見開き二ページが一目で把握できるが、英語ではとてもそうはいかない。とくに仕事にかかわっているから、必要な部分は熟読しなければならない。そうすると、以前はよく読んだアートとか、読書とか、スポーツという面を読む時間がなくなってきてしまう。
ほかの新聞は、『ワシントン・ポスト』『ウォールストリート・ジャーナル』『ファイナンシャル・タイムズ』『インターナショナル・ヘラルド・トリビューン』『クリスチャン・サイエンス・モニター』などを、インターネットで斜め読み。日本語の新聞もやはりインターネットで読売、朝日、日経、毎日、産経、共同、時事各社のサイトをさっと見る。
午前8時過ぎ出勤
安保理議題に備える会議
朝、8時過ぎに出勤。八時四十五分から会議。大島賢三大使、私、小沢俊朗大使、羽田浩二公使、以下10名ほど出席。大島大使は駐オーストラリア大使から着任したばかりだが、その前は国連人道問題調整部で事務次長を務め、外務省きっての国連通である。その前は経済協力分野で活躍された。前任の原口幸市大使は、穏やかな微笑を絶やさない、内剛外柔の紳士ですばらしい外交官だったが、大島大使はこれとは対照的に、突撃隊長という感じのエネルギッシュな大使である。小沢大使は、北米第一課長、北米局参事官、日本国際問題研究所の所長代理、在ヴァンクーバー総領事等を務めた、該博な知識の持ち主で、かつ行動力旺盛な大使である。羽田公使は、北米第一課長、同第二課長を歴任した切れ者で、物事の全体像と展望を即座に把握する能力には定評がある。
まず今日の安保理の議題についての準備である。
ちなみに安保理の予定は、毎月あらかじめ決まっている。安保理には、公開ブリーフィング、公開協議、そして非公式協議がある。今週でいえば、月曜の午前がアフガニスタンに関する公開ブリーフィングと非公式協議、火曜の午前が、スーダンに関する公開ブリーフィングと非公式協議、水曜がハイチに関する公開ブリーフィング、木曜が中東に関する公開ブリーフィングと非公式協議、金曜が、イラクに関する非公式協議である。
これら、安保理がかかわっている問題については、一般に、事務総長の特別代表が任命されている。そこから定期的に安保理に報告がなされ、それをめぐって、安保理で議論をする、というのが典型的なプロセスである。もちろん、緊急の事態があれば、臨時に招集がかかる。最近では、コートジボワールでフランス軍部隊が同国政府の空軍によって爆撃されるという事件があり、緊急に招集されたことがある。
そういうわけで、今朝の会議の主要な議題は、安保理の議題であるアフガニスタン問題について準備することである。つまり日本は現状をどう把握し、これからどうすべきだと考え、それにもとづいて、今日はどう発言するか、ということである。もちろん以前からの分析と政策判断はあるのだが、最新の情勢を確認して、日本の主張を国際社会にインプットするわけである。
アフガニスタン復興に尽力する日本
アフガニスタンというと、日本がかなりコミットしてきた案件だ。私も若干、個人的な思い出がある。2001年9月11日の同時多発テロのあと、小泉内閣は対外政策タスクフォースを設立し、私もその一員となった。アメリカはすぐにアフガニスタンに問題があると考え、武力攻撃を準備した。日本はこれに協力すべきだと私は考えたし、タスクフォースもそう考えた。テロ対策特別措置法の立案にも若干関与した。アメリカがタリバンへの攻撃を始め、日本はこれにインド洋に自衛艦を派遣するなどして協力した。数年前には考えられないことだった。
またそのために、靖国問題をめぐって硬直化していた日中・日韓関係を緩和することが必要だというので、小泉首相が十月にソウルと北京を訪問された。そのときに出すべきメッセージなど、タスクフォースで議論した。
2001年12月、アフガニスタンの再建のための会議がボンで開かれ、再建に向けたスケジュールが決められた。続いて2002年1月、東京でアフガニスタン支援国際会議が開かれた。そのときNGOとの関係をめぐって、田中真紀子外務大臣が更迭されたことは、まだ記憶に新しい。
その後、アフガニスタンで日本は何ができるか、見に行こうということで、3月に、私はタスクフォースの一員としてアフガニスタンに行った。岡本行夫内閣総理大臣補佐官をチーム・リーダーに、渡辺修前経産省次官(現ジェトロ理事長)、東京大学の山内昌之教授ら。そのとき知り合った、嶋守恵之書記官は、現在、代表部で大活躍している。
アフガニスタンでは、カブールに行き、ジャララバードに行き、ヘラートに行った。ジャララバードでは、ハズラット・アリという軍閥にあった。彼は、離陸しようとしている飛行機をジープで追いかけてきて止め、お土産のじゅうたんを一人ひとりにくれた。一度日本に来てくださいと言っていたら、本当に来て、帝国ホテルで食事をした。子供はたしかロンドンに留学させていたように思う。
それから旅行の最後はヘラートだった。ここは幕末の薩摩のようなところだというのが、私の印象だった。イスマイル・ハーンという軍閥が大きな力を持っていた。日本に来ないかといっても、ほとんど返事もしなかった。それも無理はないだろう。軍閥が拠点を離れたら、その地位は危ないに決まっているから。アリはよく来たものだと思う。
日本の大使館は、そのころ開かれたばかりだった。駒野欽一氏が臨時大使で、東京とろくな交信もできない大使館だったが、張り切っておられた。短期間の旅行だったが、アフガニスタンがおよそどういうところか、ある程度分かった。日本ができることは何か、いろいろ考えて提言し、そのいくつかは実現された。
その後、アフガニスタンでは、2002年6月にロヤ・ジェルガ(古い伝統を持つ国民大会)が開かれて、ハミド・カルザイ氏が移行政権の大統領となり、2002年から2003年の末にかけて憲法制定ロヤ・ジェルガが開かれ、今回、2004年にカルザイ氏が正式の大統領となり、内閣を組織したのである。今回のブリーフィングは、その事態を受けたものである。
かつてあったイスマイル・ハーンの地位も、カルザイ政権の安定とともに、危うくなってきた。彼の兵士は、いわば私兵である。これを帰還させるのが、後述のDDRである。イスマイル・ハーンはカルザイ政権に閣僚として入閣した。独立割拠はできなくなり、また次いで内務大臣のポストを求めたが得られず、有力ではあっても本意でない閣僚となっている。さらに「廃藩置県」が進むのか、もしかしてまた混乱が起こるのか、まだわからない。
それから二年あまり、駒野さんは大活躍された。カルザイ大統領には、アフガニスタンの駐日大使に任命したいくらいだと言われたという逸話もある。そのあとの大使には、日本は奥田紀宏大使を送りこんでいる。奥田さんも前から知り合いだ。最近会ったのは、つい最近、12月20日過ぎに開かれた中東大使会議においてだった。
ちなみに、大使会議というのは、いくつもある。中東でいえば、日本が中東各国に派遣している大使を年に一回呼び返し、一堂に会して本省の幹部と意見交換をするものである。中東各国に駐在する大使と、中東に関係の深い在外公館(米英仏の大使館と国連代表部)の大使または公使が集まった。吉川中東アフリカ局長の司会で、3日間の会議だった。
中東大使会議として総理表敬訪問も、日本経団連訪問も行った。しかし、昔のような、メディアにおける注目はなかった。これだけ中東問題が重要になっているのに、困ったことだ。
中東大使会議に行くと、「なぜ北岡さんが中東大使会議に」と何人もの人に言われた。それは、国連での最大の問題は中東問題であり、また、日本の最大の問題である安保理改革に、中東諸国の協力をどうやって取りつけるかを、一緒に考えるためである。
中東大使会議に来ていた奥田さんは、52歳で、大使の中で断然若い。イラクの鈴木敏郎大使は五十歳で、もっと若い。いずれも東大法学部の出身でアラビア語を学び、こういう大変なところで激務に従事されている。日本の外交官も捨てたものではないと思う。
1月10日の朝の会議にもどる。
アフガニスタンの奥田さんから電報が来ている。今日の会議では、……のラインで発言してほしいという電報だ。提案の内容を一つ一つテキパキと検討して採否を判断していく。全体としてアフガニスタン理解のために重要な電報だったので、今後ともよろしくという電報を打つことにする。
朝の会議はまだまだ続く。
午後には、安保理の下部委員会の一つ、対タリバン・アルカイダ制裁委員会というものが開かれる。その準備をする。また、パレスチナの選挙の話題が安保理で出るかも知れないので、そのおさらい。スーダンの和平についても同様。津波についての話が出たらどうするか、これも事態の推移を踏まえて意見を交換しておく。
それから、その他の話題。新聞その他の情報の分析。プレスの関心の把握。
午前10時、安保理の会合
まずは公開ブリーフィング
10時から、安保理の会合が始まる。日本政府代表部は、国連のすぐ北隣にあって、歩いても数分で行けるが、大使は車で行くことになっている。入り口ではかなり厳重なセキュリティ・チェックがある。九月の総会に各国首脳が集まるときは本当に大変である。なかでもブッシュ大統領が国連にやってくるときは、交通遮断となる。
10時開始といっても、定刻に始まることは少なく、10分くらい遅れることが普通なのだが、この時間も、雑談、立ち話などで、いろんな情報が入ることがあるので、結構、重要だ。
公開ブリーフィングは、安保理メンバー以外でも傍聴できる。公開討論なら、安保理メンバー以外も、希望すれば、たいてい、発言することができる。日本は、グローバル・プレイヤーであることを自負しているから、当然、必ず発言する。日本以外では、これまで、オランダがEUの議長国だったので、EUを代表して必ず発言していた。私もこれまで何度もスピーチをしているが、そのスピーチに基づく討議ということにはならない。言いっぱなしである。必要なときには、別のルートで働きかけないといけない。安保理に入っていないと、どうしても隔靴掻痒となることが少なくない。
今日の公開ブリーフィングは、事務総長特別代表のジャン・アルノー氏によるアフガニスタンの状況の説明である。安保理が開かれるのは、よく写真で見るような大きめの部屋で、馬蹄形の机があって、その真ん中に議長が座る。議長は月番による交代で、今月はアルゼンチンである。アルゼンチンは、日本、デンマーク、ギリシャ、タンザニアとともに今年から入った非常任理事国で、新入りながら早速一月に議長である。そのため、われわれはオブザーバーとして12月の安保理審議を傍聴することができたが、彼らは11月から入っていた。
左から時計回りに、フィリピン(非常任、2年目)、ルーマニア(同)、ロシア、アメリカ、タンザニア、イギリス、アルジェリア(非常任、2年目)、議長、事務局、ベナン(非常任、2年目)、ブラジル(非常任、2年目)、中国、フランス、ギリシャ、日本の順である。さらに、両端にはゲストの席があり、フィリピンの隣にはアフガニスタンの大使が座り、また、日本の隣には、アルノー氏が座る。
議長は、これから第5108回の安保理会合を開くと言い、最初に、スマトラ大地震と津波の犠牲者のために黙祷する。次に、今年最初の安保理会合だというので、新年の挨拶、議長としての覚悟、新たな参加国に対する歓迎、任期が終わって安保理から出たドイツ、チリ、アンゴラ、パキスタン、スペインに対する謝辞。前月に議長を務めたアルジェリアのバリ大使に対する謝辞。あわせて2、3分である。
次に、アフガニスタンから出席の希望が出され、投票権なしでアフガニスタンを出席させると決定。さらに、アフガニスタン問題担当の事務次長であり、国連アフガニスタン支援ミッションの長であるアルノー氏に報告を求めると決定。
先ほども述べたとおり、安保理メンバー以外が発言するときは、この馬蹄形の机の両端のどちらかで発言する。アフガニスタンの代表やアルノー氏の座っているところには、何度も座った。しかし、それ以外のところに座ったのは初めてだ。前の席に大島大使、その後ろに各国とも四つ席があって、私や羽田公使などが座る。やっとここに来ましたね、と羽田公使が言う。
アフガニスタンの問題
選挙、治安、麻薬、武装解除
アルノー氏のブリーフィングは、ポイントをついたもので、アフガニスタンの大統領選挙の成功、組閣の成功、DDRの進展などを述べる。DDRとは、Disarmament,Demobilization, Reintegrationであって、兵士を動員から解除し、武器を返させ、社会に再統合するというものである。
まず大統領選挙の成功についてである。選挙は十月九日に行われ、カルザイ氏が当選した。12月7日に就任し、複雑な交渉の末、23日、閣僚を任命して内閣が成立した。内閣の閣僚は、民族的なバランスが取れており、高等教育を受け、アフガニスタンの国籍だけを持つ人々(このあたりが指摘されるのが面白い)が選ばれ、女性も3人いて、大変バランスが取れている。それは、2002年6月のロヤ・ジャルガ直後は、軍閥間のバランスという側面が強かったのに対し、とても国民的性格が強まったと、アルノー氏は評価している。
次の課題は、国会選挙と地方議会選挙である。
今後は、5月か6月に地方議会と国会の選挙がある。これは選挙法の施行と公布があってから4ヵ月かかるという。これらの選挙は、候補者の数がまず大変に多い。大統領選挙は、カルザイ氏が本命で、全部で十数人だったから、候補者資格の認定は簡単だった。
一般に、候補者資格の認定はなかなか難しい。なぜなら、多くの国で犯罪者には被選挙権がないが、反体制派の政治家は、犯罪者扱いされることも多い。そういう形で反対派を弾圧するわけである。
アフガニスタンで言えば、タリバンが復活しても困るがタリバンという烙印を押すことで、政治から排除することも問題だ。かつて少しくらいタリバン寄りであっても、今は善良な市民なら、むしろ取り込んだほうがいい。その意味で、言い換えれば、地方選挙は難しくもあるが、社会再統合(reintegration)のチャンスでもある。このあたり、大変説得的である。
私はがんらい、紛争解決プロセスの中で選挙を重視することについて、やや懐疑的だった。公正な選挙が本当にできるのだろうか。僅差で多数をとった政権が、反対派を弾圧し、その結果、また混乱が起こることはないのだろうか。いろんな疑問があった。
しかし、少々意見が変わってきた。本当に混乱している社会において、選挙はやはり重要だ。なぜなら、選挙は普通の人が意見を表明できる貴重な機会だからである。他方で、戦闘は、過激派勢力のものである。多くの普通の人々は、安定した生活を望むものだが、一部の明確な主張を持つ人々は、徹底的に争う。
いずれにせよ、来るべき選挙は重要であるが、それには資金が必要であるとして、アルノー氏は120ないし130ミリオンドル、国外での選挙を含めれば、さらに30ミリオン必要だろうという。ちなみに、国連では、「〇〇ミリオン」ということが多い。これは、ほぼ、〇〇億円と同じなので、日本人にも分かりやすい。われわれも「ひゃくにじゅうミリオン」などとやっている。
次にセキュリティの問題である。国軍と警察は増強されていて、選挙でも重要な役割を果たすだろう。ISAF(International Security Assistance Force:国際治安支援部隊、これはNATO中心)と多国籍軍の役割も引き続き重要であるという。
他方で、もっとも難しい問題は、麻薬である。ケシの栽培は、アフガニスタンの経済の六割近くを占めている。これは軍閥などの資金源にもなっている。これを根絶するのは、とても難しい。根絶のためには、別の生活手段が必要である。いったい何があるのか。しかしまったく悲観的になる必要はない。カルザイ大統領は麻薬問題担当相を任命して、本気で取り組んでおり、成果をあげつつあるという。かつて日本は台湾において、後藤新平がアヘン制圧に成功した。これは世界的にも稀有の例である。こういう経験を提供できれば、と思う。
それから、DDRの問題である。
日本はこの問題で主導権をとっていた。三ヵ月ほど前までは、必ずしもDDRは順調ではなく、私も3ヵ月ほど前に、その点について、より強力な推進を求めるスピーチをしたことがある。それ以来、2万2000人の元兵士が武装・動員解除され、75%の重火器が回収されたという。このようなDDRの進展は、アフガニスタン国民の努力とともに、「日本にリードされた国際社会の協力」によって可能となった、と日本の役割を賞賛してくれた。やはりうれしい。
DDRはかなり進んで、残りはあと2万人か3万人かというところだ。しかし、非正規の軍人の武装・動員解除までやる必要がある。そのためには、また資金がいる。日本の名前をあげて感謝してくれたのは、これからもよろしくというメッセージでもある。それは分かっている。
国連改革で、日本が分担金の20%も負担していると言うと、金がすべてではないという反論がある。そのとおりである。しかし、資金なしでできることは少ない。よい目的のためにお金を出すのはよいことだ。ただし、言われたとおりに出すのは問題だ。当然、使い方について、口も出すべきだ。出されるほうも、むしろ歓迎してくれる。
続く非公式協議の議題はアフガニスタンと「その他」
その後、非公式協議に入る。小さな部屋である。やはりテーブルに議長を中心にしてメンバー国がさきほどと同じ順番に座っている。
議長国のアルゼンチンが、正面のスクリーンに、写真を映して見せる。今日はブエノスアイレスの有名なオペラ・ハウス、テアトロ・コロンの写真だった。戦前のアルゼンチンは豊かな国であり、この劇場は世界有数の劇場だった。トスカニーニが指揮者としてデビューしたのもここである。最近は低調だったが、日本の援助などを得て復活している。
ちなみに、先月の議長国はアルジェリアで、やはりいろんな写真を映していた。その一つはカスバの写真で、ここは映画『アルジェの戦い』で不滅の地位を与えられた(immortalized)と言っていた。われわれは植民地主義に反対だ、という意思表示である。アルジェリアは決して過激ではないが、中東問題などで、中東諸国の意見を代表してやりあうのは、現在はアルジェリアである。
最初に本日の議題について決定する。もちろん、アフガニスタン、それと、「その他」である。何かその他の議題があるかと議長が言い、フランス大使が発言を求め、レバノン南部で過激派のヒズボラがイスラエル側を攻撃し、これに対してイスラエル側が反撃し、その結果、PKOに参加していたフランス兵士一名が死に、その他に負傷者が出た件を取り上げるよう要請する。
アルノー氏の報告はもうすんでいるので、すぐに大使たちの発言である。最初に大島大使の番である。なお、この順番は、各国の希望を事務局が適宜斟酌して決める。どの国も、言いたいことがあるときは、早い順番を取りたい。そうでないと繰り返しになってしまう。今日、一番を取れたのは、日本がアフガニスタン問題のリード国(それぞれの議題について決議案を用意したり審議を促進したりする国)になっていたからだろう。それも、日ごろ地道に努力して関係国の信頼を得て、また、事務局とも親しい関係を築いていたからだ。何事も、日常の地道な努力が大切だ。
大島大使の発言は、とてもよかった。アルノー氏への感謝、アフガニスタン問題へのこれまでの日本の取り組み(やり過ぎないように宣伝する)、日本の現状認識、選挙についての展望、DDRについての評価と続行の必要性、そのための国際社会への資金援助呼びかけ、非正規の民兵についても、DDRを行うべきだ。麻薬問題への取り組みについて、など。それほど目新しいことはないのだが、日本はDDRでは実績を上げてきたので、説得力がある。他の国は、麻薬問題でイニシアティヴを取ってきたイギリスが、いつものように興味深いことを言った以外は、とくに注目すべき発言はない。
この場では、質問をして理解を深めることも重要だ。タンザニアの大使から、選挙に向けてどのような政党が登場しているのか、質問があった。選挙の期日について聞いた国も多い。
ちなみにタンザニアの大使は、かつて緒方貞子元難民高等弁務官と一緒に仕事をしたことがあり、その弟子だと(社交辞令にせよ)言っている。この点で、大島大使とは波長があっている。また、やはり新入りのデンマークの大使とは、前から親しくしている。独身の女性で、人権派でなかなか迫力がある。なおこうした発言は、どの国も紙に書いたものを読むことが多い。昔は違ったのだろうが、今は本国と密接な連絡なしに議論する国はない。
非公式協議のためのコンサルテイション・ルームに入っているのは、大島大使、私、羽田公使、ほか4、5名である。
前の席には、アメリカが次席代表であるほかは、すべて常駐代表が座っている。しかし、英仏中露などは、途中で抜けて次席大使あるいはそれ以下に替わることが少なくない。非常任理事国は、大体、常駐代表がずっと出席している。こういうところが、格の違いだろうか。
アフガニスタン問題が終わると、その他の議題となるが、ここで少しもめた。フランスが提出した決議があったのだが、そこでヒズボラを批判し、またレバノンの南部における治安の維持強化を要請する部分が問題となった。ヒズボラはレバノンでは合法政党である。そしてレバノンが厳しい態度をとらないからテロが起こるというのが、イスラエルの言い分である。アラブの側を代表してレバノンへの言及にもヒズボラへの言及にも反対したのがアルジェリアである。そこで、専門家の会議にゆだねようということになった(この件は、予想以上にもめて、結局、ヒズボラを批判するが、レバノンには触れないということになり、そういうプレス・ステートメントを出すということになった。プレス・ステートメントにはコンセンサスが必要なので、一国が反対すれば、非常任理事国でもブロックできるのである)。
その他、パレスチナの選挙の成功を祝し、和平プロセスの進展を期待するもの、それから、スーダンの和平を歓迎するもの、二つのプレス・ステートメントが出た。
午後1時、国連の昼休み
サックス教授との電話
国連は1時から3時までが昼休みである。公式の行事は、公用語の通訳が入るため、あまり予定の時間を超えることはない。公用語は、英仏中露、それにスペイン語とアラビア語である。予定の時間を超えるとこういう通訳に超過勤務手当を払わなければならない。しかし、今日は大分食い込んで、1時半を過ぎていた。
昼休みにオフィスに帰ると、秘書のところに、ジェフリー・サックス教授から連絡が来ていた。今ナイロビにいるが、すぐに連絡をほしいという。
サックス教授は、経済学者としてだけでなく、現実の政策との関係でも有名だ。とくに、体制転換後のロシア東欧におけるショック・セラピーが大きな話題となった。その頃、現在の郵政民営化担当大臣の竹中平蔵氏と、文芸評論家の三浦雅士氏と3人で、東欧を回って、ずいぶんこの問題を議論したことがある。
サックス教授は、現在の国連では、ミレニアム開発目標関連のレポートで注目を浴びている。ミレニアム開発目標とは、2000年のミレニアムの年に、国連が改めて南北問題というか、経済格差の問題に取り組むことを決め、その目標を決定したものである。その見直しが、今年、2005年にある。そのためのレポートを書いているのがサックスである。
日本では、新しい脅威にいかに対応するかという課題に取り組んだハイレベル・パネルのレポート(2004年12月発表ずみ)が著名だが、国連では同じくらい有名である。むしろ、国連加盟国の大部分は途上国で、開発に関心を持っているから、サックス・レポートのほうが関心を集めている。
サックスとは、昨秋知り合って以来、何度も話し込んでいる。日本の経済発展の成功を高く評価しているし、日本が東アジアに対して借款中心で援助を行って成功を収めてきたことも知っている。しかし、これからアフリカの貧困などに取り組むためには、先進国から途上国への資金の流れをともかく増やすことが必要であると言い、一人当たりGDP比0.7%を先進国は出すべきだという意見である。日本は、総額ではかつて第一位、今は第二位で、さらに下がる可能性が高い。一人当たりだと、0.2%ほどであって、先進国でアメリカと並んで最低クラスである。
この点を強く批判されると痛い。それに、こうした資金の問題だけでは片づかないというのが日本の(そして私の)主張である。問題は借り手のほうにあるのではないのか。清廉で有能な政府と勤勉な国民があれば、たいていの問題は克服できる。お金を借りて、せっせと働いて、これを返す。他方で、政府が腐敗していて無能なら、いくらお金をつぎ込んでも無駄ではないか。これが近代日本の発展の思想だったと思う。日本がサックス・レポートに警戒を持っているのはそういうことである。
サックス教授は、私の言うことも分かるが、しかし日本の援助は少ないという。やや歩み寄ってきているが、まだまだである。
そのサックスの携帯電話に連絡をとった。今、彼のいるアフリカではマラリヤによる被害がひどい。蚊をどうやって防ぐかが大問題だ。そのための一番よい方法は、ある種の薬を塗った蚊帳であり、それを作れるのは日本のS社が世界一であるという。大量にほしい、お金はある、生産や在庫はどうかという話である。うまくいけば、日本の大変な外交的得点になるかもしれないという。
そういえば、二日ほど前に、アメリカはDDTをもっと積極的に使うべきだという記事がのっていた。これによる害よりも、蚊による害のほうがずっとひどいという話である。この蚊帳の話は、日本は前にもやったことがあるが、改めて力を入れるのは、もちろんいいことだ。サックスの話は、早速、担当の須永公使につないで、前向きに検討するように依頼した。
昼食は、サンドイッチですませ、電報を読む。
午後3時
対タリバン・アルカイダ制裁委員会
午後は3時から、対タリバン・アルカイダ制裁委員会である。
安保理の下には、サブコミッティーがいくつかある。その一つが、対タリバン・アルカイダ制裁委員会で、アルカイダやタリバンに関係したテロリストのリストを作り、国際的に協力しあって、彼らを封じ込めようというものである。データベースを作り、資産凍結、渡航禁止、武器禁輸などの措置がとられる。
この議長は、アルゼンチンの常駐代表である。今日は今年第一回だというので、アメリカの国務省と財務省から、2人のアシスタント・セクレタリーが出席して、アメリカの立場を述べる。こういう高官が出席するので、なるべく大使が出てほしいと、案内状に書いてあるので、普段は担当官が出るのだが、今日は私が出席した。
この分野は、実際、国際協調がきわめて重要な分野である。テロリストに国境はないから、その資金源を断ち、移動を抑えることが重要である。日本にもアルカイダがいたことには驚いた。実は、かつての赤軍派にせよ、北朝鮮による拉致にしても、ヨーロッパが関係していることが少なくなかった。オウムについてもそうだった。私も経済産業省で安全保障貿易管理委員会の座長をしたことがあり、危険な物資の拡散を防ぐために、国際協力がいかに必要か、ある程度は理解しているつもりだ。
テロ関係では、あと、テロ対策委員会(CTC)があり、その議長はロシアで、途中からデンマークとなる。デンマークはこの委員会の議長の座を強く望んでおり、ロシアはこれを手放したくない。ロシアはテロの定義に強い関心を持っている。ロシアや中国はテロの弾圧に強い関心を持っている。しかし、いくつかの国で、テロリストと呼ばれているのは、実は反体制派だったりするから、大変に難しい問題である。この点、デモクラシーに強い関心を持つデンマークと、ロシアとは、かなりの差異どころか、対立を抱えている。それで、妥協の結果、しばらくはロシアが議長を続け、途中でデンマークに渡すことになったものである。このCTCには、事務局を強化して、テロ対策委員会事務局というものを作った。今後、活動が拡大する部門の一つだろう。それ以外に、不拡散委員会というものがある。これもテロ対策と関係している。したがって、対タリバン・アルカイダ制裁委員会とCTCと不拡散委員会とは、その性質上、密接な関係を深めることになるだろう。二人のアメリカ政府のアシスタント・セクレタリーは、アメリカのテロ対策の仕組みについてかなり実際的なブリーフィングをしてくれて、いくつか質疑応答があって、解散。
午後5時
幹部会議で情報を共有する
午後、5時から代表部で幹部会議。
各部からの現状の報告とこれからの予定、方針の確認である。
国連代表部は、きわめて広範な仕事をしているので、情報の共有が重要である。実は、多くのことを電報にするのも、情報の共有が目的である。たとえば大島大使が誰かと会って、ある情報を得たとする。それを代表部の中の多くの人が共有し、世界中の関係者が共有することになる。迅速で正確な電報が要求されるわけである。もっとも、大使レベルは、誰かがついてきてくれて、記録をとってくれるので、自分で記録をとらなくてもよいことが多い。
今日の会議には東京から出張の鶴岡公二審議官も出席して、安保理改革関係の有益な情報交換ができた。東京では、総合外交政策局の西田恒夫局長と鶴岡審議官が、この問題のヘッドクオーターである。鶴岡審議官は、私のもっとも信頼する外交官の一人だが、かつての鶴岡千仞国連大使の子息である。そして鶴岡大使は、日本の安保理常任理事国入りを最初に提唱した大使である。不思議な縁だと思う。
午後から夜にかけて
来客、そして大量の電報
午後、駐ノルウェーの齋賀富美子大使が来訪。齋賀大使は「女性差別撤廃委員会」の委員である。これは、経社理に付属の委員会の一つで、来週、その委員二十数名を招いて立食のディナーをすることになっている。齋賀さんは、かつて在シアトル総領事の頃にお世話になったことのある方で、国連にはここの総括大使を含め、三度勤務したことがあるという国連通である。委員会の現状を聞く。
ちなみに、こういう委員会の委員は選挙で選ばれる。国連には実に多くの選挙がある。そして、大体において、票の交換が行われる。日本はA委員会にB候補を出しているが、それをあなたの国も押してくれませんか、そうすれば、あなたの国からC委員会に出ているD候補を支持します、という具合である。ところが日本は実に多くの委員会に立候補する。そのため、相手と取り引きするためのカードが少ない。日本は大変選挙に強いので有名なのだが、もう少し戦略的に、選択的にやらないと、そのうち痛い目にあうかもしれない。
その後、N社の幹部の来訪があった。民間との交流も重要である。新年の表敬訪問だったが、業界の最近の状況などを聞かせてもらう。
一日こういう仕事をしていると、電報を読む時間がなくなってしまう。代表部には電報が山のように来て、そのうち、重要なものだけが大使のところまで上がってくるのだが、それでも相当な量である。目を通すのに、数時間はかかる。それで、二時間ほど仕事をして、途中でオフィスを出て、急いで夕食を食べて、またオフィスに戻る。帰宅は午前零時だった。寝る前に蚊帳の件で日本に電話を入れる。
一日を終えて
安保理改革を進めるために
今日はずいぶん盛りだくさんで、充実していた。毎日これほど充実していたり、成果があったりするわけではない。うまくいかない日もある。しかし、この程度充実している日も、かなりある。
今日はとても忙しかった。しかし、幸い、仕事関係のランチもディナーもなかった。だから一応電報は処理できた。ランチは2時間つぶれるし、ディナーはしばしば夜中になる。早く終わったときは、そのあとに仕事に戻る人もいる。日本だけでなく、国連は仕事人間の多いところである。それで、タキシードなどは、持ってはきたが、着たことがない。
今日ほとんどしなかったことの一つは、安保理改革の仕事である。幹部会議での若干の意見交換を除き、安保理改革のための案を練ったり、190ヵ国に説明したり、働きかけたり、そういうことを今日はしていない。というより、とてもできなかった。
明日からは、またランチやディナーや安保理改革の仕事がやってくるだろう。外交、とくに国連外交は、思った以上に知的な仕事である。腕力を振り回すわけではなく(時にそういう国もあるが)、事実と論理で他人を説得しなければならない。私が国連大使の話を受けたのは、何よりも知的好奇心からだった。それは120%満たされている。その上に、国連を通じて世界の平和と秩序に役立つことができ、さらに安保理改革を進めることができれば、これ以上うれしいことはない。
きたおかしんいち 1948年奈良県生まれ。東京大学法学部卒業。立教大学教授を経て、東京大学教授。専攻は日本政治外交史。2004年4月より現職。著書に『清沢洌』(サントリー学芸賞)、『自民党 政権党の38年』(吉野作造賞)、『「普通の国」へ』『日本の自立』などがある
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