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国際都市ジュネーブの素顔を考える (時事通信「世界週報」2004年7月13日号より転載) 平成16年7月
在ジュネーブ総領事 遠藤 茂 内陸の貧しい町から国際都市へ ジュネーブは今日、国際都市としての名声と地位を得ています。誰もがこれを疑わず、そういうものだと思っています。現に赤十字国際委員会の本部があり、かつて国際連盟がおかれ、現在では国連欧州本部、世界貿易機関(WTO)、世界保健機関(WHO)、国際労働機関(ILO)等多数の国際機関が集中しています。誰もが一度は訪れてみたいところとなっています。 他方、私にはジュネーブが、どうしてこれだけの国際都市になったのか、不思議に思われます。人口はわずか18万強、うち4割以上が外国人です。いったい日本にこのような町が出来るでしょうか?私は着任以来10カ月間、ずっと考えてきました。スイス自体が小国かつ内陸国です。その小さな国の3分の2は山岳地帯。天然資源もなく、昔から「雪と氷では食っていけない」といわれ、皆貧しい生活を強いられてきました。ジュネーブの民も貧しかったといわれます。また、内陸国の人々はどちらかというと保守的、内向的になりがちですが、ジュネーブの人々は、自分たちの町が国際都市であることを大いに誇りに思っています。私はスイスの友人に会うたびに必ず問い掛けています。どうして、このような国際都市が出来たのか。 ある人は、それはかつて多くの宗教難民を受け入れたからだと答えてくれました。確かに16世紀にはあの宗教革命を断行したカルバンはじめ多くの難民をフランス、スコットランド等から受け入れました。結果、町の人口が倍以上に膨れ上がっています。されど、ジュネーブ人自身貧しかったはずなのに、どうしてかくも多くの難民を受け入れたのでしょうか。疑問が残ります。 ある人は、ジュネーブは他のスイスの町とは異なり、交易の十字路であったからだと説明してくれました。そうかもしれません。 またある人は、スイス人は資源が無い分、本当に苦労した。生活のために同胞を外国に傭兵として送り、時には互いに敵味方に分かれて戦わなければならない時代もあった。同胞を外国に送り出した結果、多くのものが国内にもたらされたと……。しかしジュネーブの場合、これがどの程度当てはまるのでしょうか。 私は、ジュネーブの友人に怒られそうですが、このような答えにいまだ十分には納得できていません。ジュネーブの人々は保守的でありながら、なおかつ自分たちと違ったものを受け入れる受容性、寛容性を備えています。ジュネーブの特徴は、この地で呼吸した人々の「生きざま」「生き延び方」と大いに関係があるのではないかと感じています。 日本とスイスは似ている 日本とスイスは多くの点で似ているといいます。 先日、私の友人や同僚が紹介してくれた文献を読んでいたら、「なるほど」と思ったことがありました。日本、スイス両国における赤十字運動のことです。国際赤十字運動はアンリ・デュナンによって始められましたが、そのきっかけになったのは1859年、北イタリアでのソルフェリーノの戦いでした。デュナンはその戦場での惨状に圧倒され、1863年、他の4人のジュネーブの名士と共に赤十字国際委員会の前身たる「国際負傷軍人救護常置委員会」を設立しています。 一方同じ頃、日本では1877年、西南戦争が勃発、官軍と薩摩軍が熊本を中心に半年以上にわたって戦いました。とりわけ田原坂の戦いは熾烈を極めた悲惨なものでした。この惨状の報に接した2人の元老院議官、佐野常民と大給恒が、敵味方の分け隔てなく負傷者を救護する恒久的な救護団体をつくろうと政府に嘆願書を提出しました。彼らはヨーロッパでの赤十字運動を知っていたのです。当初政府は否定的な態度をとりましたが、後日これを認可し、同戦争中に博愛社が設立されました。これが後の日本赤十字です。 ここで注目すべきは、当時ジュネーブで国際赤十字運動に従事していた人たちが、このような日本での動きを承知し、高く評価していたことです。彼らは、歴史のほぼ同じ時期に異なる二つの地で同じ状況が現出し、同じような解決策が生まれる趨勢にあったことを認識したというのです。さらにこのような運動は、歴史的必然性から生まれたものであるとさえ結論付けています。当時、日本の博愛社とジュネーブの赤十字の共通の友人であったシーボルト男爵は、日本人の親友たちに、誕生間もない博愛社とジュネーブの赤十字との間に多くの共通点があることを指摘していたと文献には記されています。 翻って、現代の日本・スイス関係において、共通点は何でしょうか。是非皆さんに来訪願い、見つけていただきたいと思います。 ワンポイント・アドバイス 夏の旅行シーズンに入り、ジュネーブにも多くの方がお見えになります。防犯対策等は何度もこの欄でアドバイスされてきましたが、私はそれに加えて、「ボンジュール(こんにちは)」「メルシー(ありがとう)」を、と申し上げたいと思います。ジュネーブの至る所でこのあいさつの言葉を耳にします。チョコレートや時計のお店で、パン屋で、カフェで、ホテルで、アパートで…。「ボンジュール」はジュネーブの人の心の扉を開きます。そして「メルシー」を耳にする時、ジュネーブの人は心のよろいを脱ぎ捨てます。笑顔が返ってきます。そこからジュネーブの人との交流が始まります。 |
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