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「論座」猪口軍縮会議政府代表部大使寄稿文
「ジュネーブより~軍縮外交記8『国連会議の議長として』」
(9月朝日新聞社発行「論座」9月号より転載)


平成15年9月


 小型武器とは、自動拳銃、突撃銃、迫撃砲、携帯型地対空ミサイルなど戦場用殺傷兵器の総称であり、一人ないし少人数で操作できる手軽さゆえに戦争終結後も社会の深部で非合法拡散を続け、大量の戦争関連死をもたらす。犠牲者は毎日平均1,400人余り、年間50万人を超え、その過半数が戦場とは無縁のはずの女性と子供である。少年兵の増加も軽量で管理が容易なこの種の武器の氾濫による。過去10年間で200万人もの子供がこの武器で殺害され、その何倍もが重症を負った。 
 アナン国連事務総長が「事実上の大量破壊兵器」と注意を喚起し続けたこの武器の軍縮が進まずにきたのは、なぜか。
 7月11日、6時。ニューヨーク国連本部。私が議長を務めた国連第一回小型武器中間会合の終盤。数々の難局を乗り越え、議長総括を添付した報告書が満場一致で採択された瞬間、議場から万雷の拍手がわきあがった。閉会を宣言すると、各国代表団が一気に議長席に走り寄り、押し合いながら私に握手を求めていく。「ありがとう! 不可能に思えたことが成功した。議長として我々の大陸を助けてくれた」。アフリカ諸国代表の大きな手。アジア、バルカン、中南米の紛争地域からの代表の輝く表情。涙目の人もいた。モザンビーク出身のホンワナ国連通常兵器課長が「こんなに多くの国が議長に率直に喜びを表現する会議を見たことがない」と隣でつぶやく。小型武器軍縮の実施方法を世界に示し、今後の具体的な取り組みの方向性を各国に与えることになったこの会議の成果を破顔で喜ぶ代表団の姿は、悲劇の深さや対応の遅れへの怒りの裏返しにほかならない。ささやかな成果をかくも喜ぶほど、五十万人の悲劇は世界から見放されてきたのであった。
 「なぜですか。なぜ、もっと早く取り組みがなされなかったのですか」
 代表団が去った議場で報道陣に問い詰められた。ひたすら議場の操縦桿に全神経を集中させてきた私は、ようやくなぜ取り組みが遅れたのかを考える。 
 第一に、小型武器は、いかに人命を奪おうとも主要国の戦略バランスには影響を及ぼさないので、大国は無関心になりがちである。第二に、テロや組織犯罪との関連性など問題の複雑さゆえに諦めがあったのかもしれない。第三に、この武器の特徴は、戦争が終わっても生活の奥深くで非合法拡散を続ける点にあり、世界の関心も果つる時空での犠牲は見過ごされやすかった。そして第四に、犠牲者の多くが声を政治にも外交にも届けることのできない女性や子供や貧者など弱者であったからかもしれない。  「ですから、問題を訴えることのできない人々の嘆きを世界の議場に届け、小型武器問題と戦う各国の政治的意思を引き出すことが私の悲願でした」

自負と自制と多国間主義

 小型武器規制への国連プロセスは1990年代の政府専門家会合等による調査研究から始まり、2001年には国連にて非合法取引禁止の行動計画が採択された。行動計画には法的拘束力はないが、加盟国は実施への政治責任を負い、したがって実施状況の点検と実施方法の具体的な方向性を編み出すフォローアップ会合は国連小型武器軍縮の中核を成す。
 今日の国際社会では、文書の交渉と合意を経ても実施が確保されずに問題解決が実現しないことが多く、ゆえに実施に関する会議の重要性を高め、合意文書遵守への国家責任の強化を求めていくことは私のひそやかな戦略的ポイントでもあった。先月号記載のとおり、本省の鋭意によって6月初旬のエビアン・G8サミットでは、今次国連会合を歓迎する旨の文言が議長国の作成した総括文に入った。続くASEAN地域フォーラム(ARF)閣僚宣言においても同様に支持が表明されるなど、開会前夜には各地で政治的勢いが見られるようになった。
 この行動計画の再交渉は採択から5年後の2006年に予定され、今回の国連会議はその間に行われることから中間会合と呼ばれる。今回が最初のものとなるため運営方法や討議内容などの前例がなく、会議を成功させるにはまずリードアップ=準備プロセスに時間をかけられるよう早く議長が選任される必要があった。日本はもともとこの分野の主導国としての実績を有し、国連の政府専門家パネルなどでの堂之脇光朗元軍縮大使の多大な貢献もあることから、軍縮・不拡散政策当局の天野之弥軍備管理・科学審議官はどの国よりも早く、日本の立候補を決めた。議長職を獲得し、国連会合を成功に導くとの命が私に下ったのは民間大使として着任間もない約一年も前のことである。 
 小国も含め広く誠実に協議を重ねるなかで日本議長への支持をとりつけるという天野軍科審の作戦は、その迫力ゆえか対抗勢力がいずれも立候補を見送るという奇跡的な結果をもたらし、昨年10月18日、国連にて加盟国は全会一致で私を議長とすることに合意した。
 拡散と被害が全世界的規模となっている小型武器分野においては、一国も疎かにせず、どの地域も取り残さない多国間主義の復活が必要である。議長として、一国でも反対すれば押し切ることはしないという自らの脆弱性と、全世界で犠牲者を減らすために軍縮の新たな地平を開くという妥協なき志との双方を常に明らかにしていくなかで、加盟国は次第に私への信頼の温度を高めていった。そして、多国間主義の成功の鍵となる自負に満ちた自制と協調的精神に光る自画像に、各国がそれぞれにたどりついていく。
 2年前の行動計画策定時には国連プロセスを否定する勢いで議場を牽制した米国政府は、初日の7月7日朝、パウエル国務長官の私あての激励の書簡を国務次官補を通じて議長席に届けてきた。ロシアのイワノフ外相も期待と支持を記したメッセージを発出した。代表演説を希望する国や、小型武器軍縮の国家報告を提出する国の数は増えつづけた。さらに、国益との相克も多い小型武器軍縮の手法別討議では、かつては後ろ向きの姿勢の目立った諸国も具体的な取り組みの方向性を議場で相次いで明らかにしていった。
 議場の操縦桿を握りながら、さまざまな懸念と向き合う場面もあった。予想を超える多数の諸国が発言を希望し、時間が不足する場合、議長は発言者数を制限したり、長引く人の発言を止めるべきか。しかしどの発言の背後にも、たくさんの犠牲者の声がある。発言を制するより逆に、私は各発言の重要点に議場の注意を喚起していった。すべての発言を尊いものとして扱う議長の姿勢が協調を促したのだろうか。各国はやがて時間内にその日の議事が終わるよう互いに配慮しながら発言するようになる。後日、EU議長国イタリアの大使らが告げてくれた。「内容面の成功はむろん、議事運営面でみなが話題にしていることがある。貴使はだれの発言も止めずに、集中力をもって聞き入った。発言者はみなフェアに大事に扱われたと感じ、節度を心得るようになった」。
 マルチ(多国間)の議場にバイ(二国間)対立が持ち込まれ、議事が脱線することもある。米国とキューバが激しく相互に個別攻撃を展開し続ける場面があった。その直前にスーダンでの航空機事故で幼児一人を残して140人が亡くなり、バングラデシュでは400人余りがフェリーの事故で亡くなった。私が議場を代表して哀悼の意を表すと、発言の際に哀悼の言葉を付け加える代表団が増えた。そこで議場に伝えた。「皆様の哀悼の表現を聞きながら、全員が現代世界のさまざまなリスクを免れてここに参集していることを思います。我々は飢餓で未来を奪われることもなく、識字の機会を剥奪されることもなく、国連議場で能力を活かすまれな確率に恵まれました。その能力は他国をののしるためではなく、世界の悲劇をなくすためにあると議長としては思いますが」。議場は静まりかえり、非難の応酬はぴたりとやんだ。
 終盤で、かつての行動計画交渉会議の際の米国との死闘を再現するシナリオを描こうとする途上国が二カ国あった。議場が凍りついた瞬間である。議長が対応を誤れば、議長総括を添付した報告書の採択が危うくなる。最後のところで多国間主義の敗北を世界に告げることになる。米国は火に油を注ぐまいと沈黙する。欧州各国も彼らを煽ることを警戒して不安げに議長を見つめている。大きな国連議場で数百の瞳が日本議長を凝視し、だれも微動だにしない。そのとき、シエラレオネの国連常駐代表がネームプレートを掲げた。
 「閣下、発言をどうぞ」。どちら側の発言となるのか。私の声も凍りついていた。
 猛然とした議長案擁護の言葉が年配の大使からほとばしり出る。「この会議の成果を無にしてはいけない。小型武器問題と戦う合意がここまで勢いを得たというのに。被害国の苦悩に議長は誠実に現実的に取り組んだ。議長案を支持する。強く支持する」。続くナイジェリア、ブラジル、パキスタン、アラブ諸国等々。対立の傷を振り返るより、未来へと議場を引っ張った議長を支えるという圧倒的な鼓動が議場に波打ち、やがて議長総括を添付した報告書は全会一致の採択となった。

等身大の自分へ

 自分の培ってきたすべての経験と力を出し切った感じがした。議場を去るとき、倒れそうになった。絶対に挫けてはいけないと言い聞かせてきた自分に、もう倒れてもいいのだと言いながらホテルにもどる。部屋にファクスが届いていた。この一年間の努力を東京から見守った夫から。「邦子、よくがんばった、おめでとう」と大書してあった。
 そのころ東京では、川口順子外務大臣が大臣談話を出してくださった。「今回の中間会合は国際社会の小型武器問題への取り組みを前進させるもので、大きな意義があったと考える」。その1枚の紙をいつまでも見つめていた。全過程を本省サイドで支えた小笠原一郎軍縮課長が東京での報道ぶりを電話で知らせてくれたので、実感は希薄だが、本省の評価に救われると述べた。「大使! 外務省だけではないです。日本中が喜んでいるのですよ!」。戦い果てた者の心境を機敏に見舞ってくれる心ある本省。ニューヨークから不拡散案件でテヘランに飛んだ天野軍科審も電話で祝福してくれた。東京から来て連日議場を見守った進藤雄介通常兵器室長や百瀬和元記者は、共有する細部の記憶や忘れがたい場面の数々を一緒に再確認してくれる。虚脱感が次第に和らいでいった。皆に役立つことができてよかったと思う。世界のためにと背伸びしきった自分が倒れ去り、非力の私を信じてくれた何人かの人々のよかったという言葉に救われる等身大の自分がもどってきた。
 後日、天野軍科審にどうしても伝えたかった今次会合のエッセンスを、一言で伝えることができた。「私、シエラレオネのような被害国を助けようと思って議長を務めたのですが、逆でした。最も深い犠牲を被っている国が、国連議長を助けたのです。多国間主義の真実です。皆、だれかに助けられている。そして皆だれかを助けている。大国も小国も」。


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