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「ジュネーブより~軍縮外交記7『議場外交へのサポート』」 (8月朝日新聞社発行「論座」8月号より転載) 平成15年8月
政府専用機が視界に入る。6月1日。尾翼の大きな日の丸のひときわ映える白い機体がジュネーブ空港に滑り込むと、直ちに機側(タラップのすぐ下)に走り寄り、小泉純一郎総理大臣が降り立つのを当地の大使としてお待ちした。 今年の先進国首脳会議の開催地であるフランスのエビアン市はレマン湖の南岸にあり、最寄りの国際空港はジュネーブとなるため、総理一行はここでフランス空軍ヘリコプターに乗り継いでおいでになる。動くメタルの塊のような装甲車から次々と出てくる完全武装の兵士や警護官が、臨戦時のような警戒態勢を展開する。反グローバリゼーションを唱えるデモ隊が世界中から結集するなかの到着でもあり、欧州における首脳警護の徹底した水準を目の当たりにする。むろん到着時刻は極秘。小国スイスはドイツから警官700人余りを借りて空港周辺の警護に万全を期した。 そのものものしい警備に気後れせず、主役は外交であることを示すためにも堂々と晴れやかに総理と挨拶を交わすが、何かのときには至近距離にいる日本大使の自分こそ総理の盾になる決意を秘めてのことである。ヘリへの50メートルほどの歩行時も、最も脆弱な角度となる総理の外側の斜め横の位置を絶対に外さない。軍用ヘリは見事な安定感をもって発進し、フランス国境へと向かった。視界から消えるまでの安全を確認し、空港施設内に戻って無線連絡を待つ。20分後、総理一行無事着陸の無線を聞いて空港を出た。 「元気そうだな。後でゆっくり話す」。総理から短くもはっきりと言葉をかけられたことを執務室に戻って思い出す。 サミット終了後には、ジュネーブで非公式懇談等が組まれている。本省から届いたばかりの大部の極秘公電にテロ関連情報が含まれていないかを確認し、軍縮代表部サイドで本件を担当する森野泰成一等書記官に情報収集の強化を改めて指示する。総理の安全のためには非公式日程についてはいつでも予定を取り消す覚悟も必要。私の一貫したその立場は、本省で俊敏にサミット日程の全段取りを統括する高原寿一経済局総務参事官によく伝えてある。 CNNでサミット情勢を追う。画面では、かつて中東シャトル外交で勇名を馳せた米キッシンジャー元国務長官が中東和平へのロードマップを解説している。彼の外交論を徹夜で読破したエール大学大学院生であったころを思い出しつつ、早朝から総理の身の安全を気遣い、優れたスタッフに恵まれて軍縮外交を担当するこの日の幸運を思う。 華麗なる外審たち サミットは1975年、第一次石油危機後の不況下で主要先進国首脳が率直に協議して世界経済の課題に対処しようという、当時のジスカールデスタン仏大統領の提唱で始まった。日本は発足時からのメンバー。サミットは当時の予想をこえて定例化し、議長国は持ち回りで今年から五巡目に入る。毎年初夏のころに開催されるサミットは、主要国間の共通認識を育み、首脳同士の信頼関係を培養しながら国際政治経済過程を主導するプロセスとして機能してきた。 首脳間の率直な意見交換を旨とすることから、定例化しても常設事務局は設置されず、首脳が険しい山頂=サミットを極めるのを手伝うという意味でシェルパと称される、首脳の個人代表による事前調整をもってサミットは運営されてきた。もともと経済問題への対処から始まったため、シェルパは外務当局の経済担当幹部であることが多く、日本でも経済担当の外務審議官がその任に当たってきた。 川口順子外相の外交事務を支える本省最高幹部の構造は、竹内行夫事務次官を頂点に田中均外務審議官(政務)と藤崎一郎外務審議官(経済)から成る三角形を基本としている。次官は原則として首都にとどまって内閣のために日本外交を統括する責任を負い、両外審は対外政策の最重要部分や特別に困難なミッションを、世界各地に緊急発進して仕上げていく。 両外審は外交官の代表格として市民社会の関心にも応え、ときには政策批判の矢面に自らを置いて体制を守る密命を負うこともあろうが、彼らの本来の才能は、国益の防波堤として各地の外交当局との執拗な交渉に負けないところにある。彼らは逃げず、避けず、諦めない。そして見抜き、出し抜き、やり抜いていく。迷路の出口を探し回る連続的緊張に耐え、国家への強い思いを燃焼させていく力こそ、その華麗なる表層とは裏腹に、外審に求められる決定的な資質に違いない。 G8サミットのような総理の外交は、次官の下で両外審によって準備され、守られていく。藤崎外審は総理のシェルパであり、田中外審は政務プロセスを総括するPD(ポリティカル・ディレクター)と呼ばれる立場にある。今回も北朝鮮、イラク、イラン問題などが討議されたように近年では安全保障テーマの比重も大きいことから、両外審は協同してサミットに対応してきた。 6月3日午後。両外審とそのチームは、今次サミットを成功裏に終えてジュネーブのホテルの幹部控室にいた。私は最上階の総理の居間で、上野公成内閣官房副長官や総理秘書官らに見守られ、今回は主要な軍縮・不拡散案件が包括的にサミットの議長総括に入ったことのお礼を深々と述べ、総理に勧められるまま謹んで歓談に参加した後、階下の控室に合流した。 サミットで成功する秘訣は何か。外務省改革の手本のようにミネラルウオーターのみが置かれたテーブルで、両外審に尋ねてみた。「最高の一杯だ」。藤崎外審は、冷水を飲み干して笑う。田中外審もほっとした表情を隠さない。サミットの主管局長でサブシェルパの佐々江賢一郎経済局長の肩越しに、後ろの方から横地晃経済局総務参事官室課長補佐が答えてくれた。「拉致問題を含め北朝鮮問題のように、日本が重視する点がきちんと議論されるように対応すること。そして各国の理解と協力をしっかりと確保することでしょう」。国益の防波堤たるエッセンスは、険しい任務をともにする若い世代にこうして確実に伝授されていく。 サミットと小型武器軍縮 7月7日からニューヨーク国連本部で開催される小型武器会議(第一回国連小型武器中間会合)の議長に加盟国全会一致で選任されていることから、私は最大規模の戦争関連死をもたらす小型武器の軍縮について世界認識を強化していく責任を負っている。毎年50万人以上もが亡くなるこの兵器は、事実上の大量破壊兵器にほかならない。もし、G8サミットのような国際政治の最高峰でこの問題を世界の優先的課題として位置づけてもらえれば、さまざまな波及効果が生まれ、各地でどれほどの命が助かるだろうか。四半世紀をこえるサミットの歴史のなかで小型武器軍縮は議論されたことも発出文書に含まれたこともなく、それが大国の首脳の主要な関心事に突然なるとも思えない。しかし誰かが働きかけ始めなければ、世界認識はいつまでも深まらない。 無茶な要求とたしなめられることを覚悟しつつ、年末に一時帰国をした折、シェルパに面談を申し込む。12月25日。本省藤崎外審室。上手に伝えなければと発言要領を細かな字でびっしり書き込んだノートを広げる。「すごい準備だね」。外審は辛抱強く、無茶とも言わず、大丈夫とも言わず、じっと聞いてくれた。 二度目の面談は、ジュネーブの我が大使公邸。サミット準備でエビアン市に向かう途中、唯一空く時間が日曜の朝食時という過密日程のなか、外審は横地課長補佐を伴って駆けつけてくれた。「大使の希望を重く受け止めている」。澄んだ湖畔の大気を射って、朝日が庭の新緑に注ぐ日曜日であった。 難局もあった。明るいニュースは伝達者を選ばないが、つらい内容は親元を通じて予告される。私の主管組織長の天野之弥軍備管理・科学審議官が、所管下の大使の気持ちを慮りつつも今回は無理かもしれないと伝えてくれたときは、引き際を直観し、即答した。「外審たちにこれ以上の負担をかけることは日本の国益に反するかもしれないので引き下がりたい」。 その後、本省内や主要国間でどのようなやりとりがあったかはわからないが、事前調整の大詰めで、両外審は猛烈に巻き返していく。各国が国連小型武器軍縮プロセスへの認識を新たにしていく分水嶺がはっきりと公電に表れてくる。そして政務プロセスの終盤で、この問題の重要性を認め日本の指導性を支持するという決定的な言質を田中外審は主要国から引き出していった。 6月2日。サミット2日目の午後。大使執務室の電話が鳴る。エビアン市内の会場の藤崎外審の携帯からだ。「たった今、総理が小型武器軍縮の議論を展開なさった。総理がやってくださった。議長総括に入るかは最終的には議長国の裁量だが、あと一晩我々もがんばり抜くから」。外審たちのその気迫を、私は生涯忘れ得ないと思う。 翌日。サミット最終日。大使の心配事をいつもよく察してくれる小型武器担当の福井康人一等書記官が誰よりも早く、仏政府のサイトからダウンロードした議長総括をもって私の執務室に飛び込んでくる。「入っています!! 国連と小型武器のことが! サミットの総括に」。担当官、大使、主管、外審、総理。それぞれの気持ちがつながって、日本の思いが世界に届いた。 1週間後。ニューヨークにて。国連本部のアナン事務総長直下のリザ官房長は私に丁寧に謝意を表してくれた。「貴使は我々の議長として主要国の信頼をつなぎ留めてくれた。国連による軍縮の地平に」。ほほ笑みをもってすぐ訂正した。「いえ、私の総理です。そうしてくれたのは日本の総理です」。 総理とレマン湖畔で サミットの公式日程を終了した後、総理は、未来の日本が裾野広く国際社会に貢献していく方法について、在ジュネーブ国際諸機関の幹部邦人職員も含め意見交換をしてくださった。場所はレマン湖畔の目立たないレストラン。治安状況の回復で予定を決行する。疲れも見せずに快活に手際よく懇談する総理。人間的で配慮のある首脳の姿に間近で触れ、その集中力と物事への関心の示し方に啓発される。上野副長官も皆の意見を副大臣会議等で生かしていくと励ましてくださる。 日照時間が長い季節。食事を終えてもまだ夕刻の落ち着いた明るさの残るレマン湖畔に皆で繰り出し、しばしの散策を総理を先頭に楽しむ。湖面の透明感に感心しながら、小魚の群れを探す総理。「自然がお好きですか」と私。「ほっとしていいね」と首脳。このまれなチャンスに、大使として軍縮政策の一層の強化を願い出ようとしつつも、湖水を見つめて思わず交わしたのはそのような会話。しかし本当に大切なことはそのようななかにある。「ほら、猪口さん、なんでもじっと見ていることが大事なんだよ。初めは見えなくても必ず見えるようになるからね」。民間大使への最良の忠告である。 |
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