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「ジュネーブより~軍縮外交記6『議場外交へのサポート』」 (7月朝日新聞社発行「論座」7月号より転載) 平成15年7月
日本が春爛漫のゴールデンウイークに入るころ、ジュネーブでは核兵器不拡散条約(NPT)に関する緊迫した会議が始まっていた。純白に耀くアルプスの麓のこの街に世界各地から政府代表が参集し、北朝鮮、イラン、イラクなどの喫緊の事項を含む専門的かつ政治的な意味合いの強い軍縮・不拡散会議(NPT運用検討会議第二回準備委員会)が行われていた。 このような公式の多国間協議の場合、総司令部である本省はまず、日本の国益ラインや事前に想定し得る内容への対応を定めた対処方針を代表団に示すが、協議が実際に始まると、代表団長は夜まで続く外交活動の合間に現場からの所見を付した請訓電報を打ち、早朝までに当日の作戦を回電(公電への返答)願う方法で本省と連絡を取り合う。さらに予断を許さない難題続きの議場から、携帯電話で逐次助けを求めることも少なくない。 天野之弥軍備管理・科学審議官の率いる日本の軍縮・不拡散の司令塔と、ジュネーブの議場との時差は7時間。連休中、いつ電話を入れても私の主管課長である小笠原一郎軍縮課長が直ちに本省ならではの総合力を作動させ、鋭く素早く不退転の調整を実行してくれる。幹部自らが休むことなく遠方の議場における実質的内容の詳細に目を光らせ、代表団という前線部隊の任務遂行を守り抜く司令塔。川口順子大臣―竹内行夫次官指揮下での多国間議場外交を重視する新外務省の気迫が、右翼課(局等の筆頭課)を通じて議場に立つ民間大使に伝わってくる。機構改革や倫理規定を超え、川口外務省改革が目指そうとする外交の本質を垣間見る思いでもある。 核兵器不拡散条約を守るために NPTは、1967年1月1日以前に核兵器その他の核爆発装置を製造し、かつ爆発させた5カ国(米ロ中英仏)を「核兵器国」と定め、非核兵器国による核兵器取得等の禁止、IAEA保障措置の受け入れ、核兵器国による核軍縮のための交渉義務等を定めた国際条約で、68年に成立し、70年に発効。日本は76年に批准した。条約発効から25年が経過した95年には無期限延長が無投票のコンセンサスで決定され、今日では締約国の規模もほぼ普遍的な水準に達しつつあり、国際安全保障の根幹を成す。他方でインド、パキスタン、イスラエルが加入していないほか、最近では核施設問題を指弾された北朝鮮が脱退する意向を表明するなど、条約体制の強度が問われるようにもなっている。 今回の会議は、条約の要を成す5年ごとの運用検討会議である2005年会議の第二回準備会合としての性格を有するが、同時に、イラクの大量破壊兵器、イランの核施設疑惑、北朝鮮の動向など最近の複雑な軍縮・不拡散問題への国際社会としての立場を示す場裏にもなることから、議場での混乱が現下の危機を悪化させたり、会議が決裂して条約体制を弱体化させることが懸念された。 2000年運用検討会議のために98年に行われた第二回準備委員会は大混乱に陥り、その数週間後に、偶然のタイミングとはいえ、この条約体制を嘲笑するかのようにインドとパキスタンの核実験が決行されたことが想起される。絶対に繰り返してはならない道である。 直前に北京で行われた初の米中朝会合において北朝鮮の核兵器保有発言がなされるなど国際情勢が大きく動くなか、開会を控えた週末、ワシントンからジュネーブ入りした米代表団長が直ちに打ち合わせを求めてきた。会議に備えての猛勉強を終え、一息ついていたときであったが、スーツに着替え、外交ナンバー1の大使専用車で指定の場所に赴く。明るく軽い服で出かけたいという思いを捨て、協議を楽観していないという意味と、日本は光を与え得るという気持ちを込めて、発色のよい紺系の格調のある服を選ぶ。 「日米で完全に共有すべき事項がある。条約体制の信頼と尊厳を損なうような混乱のシナリオを確実に回避することであり、また焦点となる北朝鮮問題については、現下の危機を悪化させずに検証可能かつ不可逆的な非核化を含む平和的解決へのラインを国際社会の総意として打ち出すことである」 きらめく湖面でヨットがゆったりと時を刻むのを見下ろしながら、バルコニーでまず私が明確にそう告げた。部屋の奥では米代表団全員が揃って待っている。ほんの短い時間であったが、代表団長同士で重点事項を確認し合う。本省で長時間の検討を経て決裁されたという数々の内容が胸に迫るが、絶対に譲れない部分を最初に確実に伝える方法をとる。「この二点において失敗は許されない。同盟国として一緒に守ってもらえると信じている。北朝鮮問題については局長級で築いた日米韓三者の協議枠組みを大使級でも準用して調整基盤とし、バラバラの行動は避けよう」。準備段階から熱心に米国に伝え続けてきた内容だが、瞬きもせずに先方の眼をみつめて改めて伝える。 思わず自分の存在をかけるような強さで言ったのかもしれない。それから約2週間後の会議の大詰めの段階で、もし日本の強い主張がなかったら、米国はもっと激しい一方的な行動への勢いを抑えることができたかどうかわからないと、米代表団は私に恩を着せながらも、約束を果たすための外交努力を貫いてくれた。そのコミットメントを感じてか、各国も自制をし、会議は高度に政治的な問題に切り込む議長総括を添付した報告書を採択し得た。日米韓3カ国が北朝鮮問題についての一致した立場を調整しつつ保ち得たことから議場ではその求心力が増し、直前に米中朝の協議で大役を担った中国も加えた四者の言い分に、世界は驚くべき水準の信頼を寄せて会議のまとまりを可能にしてくれたのだった。 バイとマルチの連携 米国の現政権の外交手法については一方主義などさまざまなことを人は言う。しかし、この1年間の実務経験から確実に私が知っていることは、日本が国益を厳密に厳選して特定可能な形で伝え、死守への協力を願い出れば米国は約束を破ることはない国であり、また多国間議場への取り組みについても、日本が米国の不安や懸念を真摯に受け止めれば妥協点を編み出す余地は決して少なくないということである。小泉総理―ブッシュ大統領間の敬意の相互性を含め長年にわたる日米関係への細心かつ誠実な日本の外交努力がもたらした信頼関係ゆえであろう。バイ(二国間)とマルチ(多国間)の外交を二項対立の概念としてとらえる傾向があるが、米国のみならずどの国との調整においても、バイの関係性に基づかない議場での調整力は私には考えられない。また同時に、多国間場裏での対応が二国間関係の深化と広がりに資するよう努力したいとも思う。 バイとマルチの連携のもうひとつの好例が今回の会議にはあった。東ティモールのNPT加入である。会議直前に矢野哲朗副大臣が今次会議中に同国が条約加入を果たすようハイレベルで積極的に働きかけ、その様子がジュネーブの議場に電報で届いたので私は政府代表演説を行う際その旨を急遽付け加えて読み上げた。それから1週間後、同国は条約加入手続きを完了し、そのことを議場で最初に全締約国に伝えたのも日本であった。条約の普遍性が問われるなか、アジアから新締約国が出たことをアジアの軍縮・不拡散推進国が堂々と告げる構図を世界は歓迎した。 かつては細かく本省に問い合わせる議場外交のスタイルを、代表団に権限がないと揶揄する雰囲気もあったようだが、今日ではそのようにしない国はむしろ信頼されない。多国間議場が各国の国益の本質に強く作用する傾向を強める今日、総司令部のある首都(外交では自分の本省をこのように呼ぶ)とのシームレスな連絡を保つ姿勢は代表団の水準を象徴するようになりつつある。議場で新しい提案がなされたときなど、とりあえずのコメントと前置きして感想を述べたあと、「訓令を仰ぐ時間が必要である」と動議を出すことは、自らの仕える政府が、外交ラインの揺るぎない一元化を含め強い指導力を誇っていることを示す表現でもある。 儒教と子供と拉致被害者の家族 多国間議場を担当する大使の場合、マンデート(委任事項)=守備範囲が機能的に明確化されており、たとえば軍縮代表部大使としてはジュネーブで北朝鮮の軍縮・不拡散にはかかわっても人権分野等に正式には踏み込むことはできない。しかし今回のNPT会議の準備段階における米国とのさまざまな非公式協議の場で、ときには私人としてでも拉致問題の解決の重要性を説き続けた。 ワシントンから先遣隊がジュネーブ入りしたときは、夕飯を挟んでの軍縮・不拡散協議を終えると、そのまま深夜まで先方も関心を寄せるなかで問題の深さを指摘し、儒教における家族の概念などへと議論を広げたこともあった。人権侵害と人道破綻の著しいケースという普遍的な視点からの説明と合わせて、固有の社会文化への理解を願うことが共感を引き出すこともある。子供を親元に戻すのを拒むことは、親孝行をするという人の儒教的権利の剥奪を意味してアジアの文化の深層に抵触する、北朝鮮は同じ儒教国として、アジアの家族観に基づく対応を自らの尊厳をかけて行うべき等々。 NPT会議中のある疲れ果てた晩、老いた東京の両親が代表演説の新聞報道を見て電話をかけてきた。元気にやりがいのある任務をこなしていると伝えたつもりだったが、数日後、和菓子をいっぱい詰めた段ボール箱が母から届いた。短い手紙が入っていて、勘違いかもしれないが、いつもより心もち疲れ気味かと思って、と書いてある。母は今も胸元の幼児のように、遠方で大使を務める子供の状態を手にとるように読む。 すでに体調を崩している母のそばにいてあげることもできず、自らの夢に生きるのみの自分の親孝行はどうなっているのかとふと思う。外交ではもっともらしいことを言いながら、儒教の思想にも恥じる自らの現実がある。私は戦後占領期を終えて日本が独立を回復した5日後の憲法記念日に生まれた。平和と自由と民主主義の時代への希望のなかで子育てをし、名前にもそのような国(邦)に役立ってほしいという思いを込めたそうだ。電話口で妹たちが、立派に大使を務めることが最大の親孝行だから東京のことは心配をせずに仕事に専念してと言ってくれる。アジアの深く強い家族的つながりのなかで生かされている自分を思う。 北朝鮮は、儒教国の誇りを世界に示すためにも、直ちに北朝鮮に残る御家族の帰国と親子の自由な往来を保障すべきである。それによって北朝鮮が失うものは一寸もない。むろん得をすることもない。なぜなら、親孝行や墓参りは、北朝鮮も共有しているはずの我々の古来からの文化の本質を成し、そして文化の本質とは、損得や取引のためではなく、自らの存在の気高さをかけて守り抜くべきものだからである。 |
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