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「論座」猪口軍縮会議政府代表部大使寄稿文
「ジュネーブより~軍縮外交記2『国連総会に核廃絶決議案』」
(朝日新聞社発行「論座」3月号より転載)


平成15年3月


 「世界にはいま軍縮という機運はなく、そのようなときに軍縮の大使となるのは大変と思うが……」。昨年、ジュネーブの軍縮会議政府代表部特命全権大使への依頼を受けたとき、外務省でそう告げられもした。戦闘的な気分の広がる9・11テロ以降の世界で軍縮外交は逆風のなかにあり、大きな成果は期待できない時なのにその任務を依頼している、という率直な告げ方にある種の誠意を感じた。またその一言は、この時期の軍縮外交のウイニング・ストラテジー(成功戦略)を考える際に重要であった。
 まず、逆風のなかでは、灯火を守るということがひときわ大事である。ヒロイックな成果を目指すのではなく、軍縮外交の灯が吹き消されないよう匿名なるパートを確実に担っていかなければならない。第二に、順風満帆のときには見逃すかもしれないささやかな可能性の兆しにも敏感でなければならない。第三に、単純な二律背反の基準で他国や他者をとらえる短絡は許されず、すべての国となんらかの側面で手を携える余地を見いだすよう努めなければならない。そして第四に、小さな成果を礎に軍縮コミュニティーの自信回復を図り、軍縮の翼に未来をのせていくという自負を各国から引き出していかなければならない。
 前回記した生物兵器禁止条約の条約強化のための交渉に成功したとき、「これは我々の自信回復につながる。この成功の自負が、もうひとつの大量破壊兵器の軍縮への機運を生むかもしれない」。核軍縮で頓挫しているカットオフ条約(兵器用核分裂性物質生産禁止条約)の交渉開始に照準を合わせようと、間髪を入れずに小声で伝えてきたのは英国のデヴィッド・ブローチャー軍縮大使。七つの海に勢力を張った歴史は、英国の外交能力を今日でも別格なものにしている。視線は常に今日より明日にあり、成功を目的ではなく手段としてとらえ、そして自負は突破力の母であることを知っている。

ロシアからの理解

 軍縮大使としての最大の任務はいうまでもなく核軍縮。着任以来、新たな核軍縮条約の交渉開始への戦略を考えない日はなかった。世界で唯一の被爆国を代表する大使として、核軍縮のためのだれよりも猛烈な大使でありたいと思う。アフリカへの支持要請で、ケニアのアミナ・モハメッド大使と協議したとき、ジュネーブ外交界の唯一の黒人女性大使は言ってくれた。
 「貴使の言葉には、南アフリカのネルソン・マンデラが人種差別全廃を率いるのと同じ正統性がある。最も苦しんだ人こそ、その分野で人間社会を真に率いる立場にある」。忘れ得ない言葉である。
 日本はここ数年、核廃絶決議案を国連総会に提出してきた。それはまさにカットオフ条約の早期交渉開始と当面の核分裂性物質の生産モラトリアムを求める決議案で、国是をかけた課題のため総理大臣にも決裁をあおいでいる。これが総会で否決されることはあり得ないが、新たな核軍縮交渉への扉を開くには、政治的に特別の意味を含む成功があったと万人が認める圧倒的な表決結果を得て、核軍縮への国際の総意のベクトルを明示する必要がある。採決は10月23日。
 核兵器不拡散条約上の核兵器国である米露英仏中のうち、すでに英仏の二カ国は日本の決議案に支持票を投じていたが、私の念願は、今度ロシアが棄権から支持に転じてくれることであった。そうすれば日本の核廃絶決議案は、非核兵器国はもとより核兵器国の過半数にも支持される国際の総意という位置づけが明白になる。そのための粘り強い外交努力は、5月24日、国連欧州本部に着任の信任状を提出した直後、ロシアのレオニード・スコトニコフ軍縮大使を表敬訪問したときから始まっている。まさにその時、ささやかだが新たな可能性の兆しが見られた。米露二カ国間で核弾頭削減のモスクワ条約が署名されたのだ。
 高い天井と重厚な絵画を掲げた格式のある巨大な会議室を抜け、こぢんまりとした赤いソファの部屋に通された。「着任の挨拶に参りました。外交官としての経験はなく、突然に軍縮会議大使となり外交を学んでいる最中でありますが、国際政治学の研究者としてはロシアがいかに軍縮と平和の分野で重要かは知っています」。前口上を謙虚にかつ臆せず堂々と述べることは、どのような面談でも重要で、その言い方とテンポで協議の調弦がほぼできる。続いて、モスクワ条約を誉め、二国間の軍縮の勢いを多国間場裡にも活かすことに軍縮会議担当の大使同士としての共通の利益があると伝えた。初回から一時間を超えたこの会談で、核廃絶決議案への国民の思いを述べ、また、総理の決裁が下り次第いち早く案文をもって支持要請に来ますから、とさりげなく日本政府トップの関与マターであることを想起させた。相手は鋭く、知的で、穏やか。慎重であっても現状打破への洞察力がある。マルチ場裡にロシアが送り込むエリートの水準に狂いはなく、この大使とは有意義な仕事ができることを直感する。
 この日から秋まで、各種の軍縮課題で日露協議を進めつつディテールでもロシアとの良好な関係維持に特別の注意を払う。独立記念日のレセプションに真っ赤なスーツで行ったときは、その色に感謝しないロシア大使はいない、と彼は気づいてくれる。「あら、日の丸の色でしてよ」と応えて周りも爆笑。
 9月に入るとモスクワでも日本大使館が動いてくれた。同時期に本省では、岡村善文軍備管理軍縮課長がロシアのさまざまな軍縮問題をG8との関連で精力的に調整している。ジュネーブでは私が一条ずつ丁寧に露軍縮大使と決議案の読み合わせを行い、あと一歩というところまで来たが、最後の一カ所でモスクワの許可が下りないという。米国の新たな安全保障政策にもかかわるところだ。いずれにしても米国が前年と同様に反対票を投じることは、包括的核実験禁止条約(CTBT)の条項緩和を日本が拒否し続けているのでわかっているが、同盟国の新たな重大関心事の個所で妥協するわけにはいかない。同じ赤いソファで、黙りこくる私。念のため前掲の佐野利男公使の方を見る。気づかれないほど少し首をかしげる。ダメ。当然ながら、もはや一切の交渉はダメ。
 「ここに来るまでの日本の誠意はモスクワでもよくわかっている。本省の決定がどう出るか。わかり次第知らせる」。長い階段をゆっくり下りて車寄せまで大使が送ってくれた。
 翌日夕刻。直通電話が鳴る。「スコトニコフだ。本省でたった今支持を決定した。いち早く貴使に伝えるようにとのことだ」。直ちに大臣あて公電を打つ。日本の核廃絶決議案へのロシア連邦の支持決定を伝えるだけの短い電文だが、前線に立つ大使としては万感をこめた電報であった。

太陽を背に

 初夏のころ原案が整った決議案文は、本省でさまざまな修正を経て夏の終わりには決裁され、その後、支持要請のデマルシェ(相手国本省への直接の政府間申し入れ)の大臣訓令がすべての大使館に発出された。私はまずジュネーブにいる各国軍縮大使への働きかけを加速させ、9月末からは館員数名のオペレーション(実施)部隊を組織してニューヨークに移り住み、票の取りこぼしのないよう外交戦線を張った。国連代表部では原口幸市特命全権国連大使が磐石の態勢をもって迎え入れてくれ、自身の大使室の近くに私のための大使室と館員たちのオフィスが設営されていた。そこで毎朝8時半から戦略会議を開き、大使級協議のアポを確認したり各国の動向分析を行い、10時からの議場での議論と交渉に備える。さらに50本以上も提出されている各種の決議案の詳細分析をして日本の投票態度の原案もまとめ、自分の政府代表演説の原稿も仕上げなければならない。
 この複雑を極める作業を、佐野利男公使の下で鋭敏かつ冷静に執り進めるのは戦略的読みに卓越する森野泰成一等書記官。本省からは軍縮課の総務班長を堅実に司る大西進一事務官が一貫して詰め、森野書記官と共にブレのない万全の後方ラインを築いてくれる。不祥事や政治絡みの事件で大揺れの外務省だが、外務省最強の匿名チームはここにあると自負する布陣だ。原口大使の政務班からも条約局の首席事務官を経たばかりの石川浩司参事官が一緒に多国間外交の正面に打って出てくれる。奥の院のようなその存在への批判の絶えない条約局だが、新時代への答えを示唆する姿がそこにはある。
 重要な協議は、議場近くのデリゲーション(代表団)・ラウンジと呼ばれる広い協議スペースで行う。必ず早めに行き、太陽を背にして陣取る。自分の表情は逆光で読まれにくく、相手の表情は読みやすくなるからだ。ここで何十時間戦ったであろうか。さまざまなドラマやテクニックがあった。協議内容を暗記し、大使自らが専門的で知的な圧力をかけることが効果をもつこともある。逆に、大使は気持ちのみを切々と伝え、公使が緻密に細部をネゴることが有効な場合も多い。要人との関係を活用することもある。ある国との協議が長引き困っていたとき、安保理での活躍で大物大使として名高いロシアのセルゲイ・ラブロフ国連大使が通りがかった。視線が合うと勘のよい大使は「重要な協議の最中なのはわかっているが、貴使の姿が見えたので挨拶だけでも許してほしい。昨日の話は大変有意義であった」と豪快に握手を求めてくれ、私もできるだけ豪華に応じる。なぜか効果があった。他方で絶対にやらなかったことがある。援助や他の外交ツールを支持要請の取引に使うという発想は一切なく、核廃絶決議案は崇高にして、その価値を各国に正面から受け止めてもらうという姿勢を当然ながら貫いた。
 10月23日、採決の瞬間。国連の電光掲示板でロシアの国名に緑の支持ランプが灯った。核兵器国の新たな支持票への転換と、昨年を大幅に上回る支持票の増加に議場はどよめいた。
 「イランが支持票!」。公使が駆け寄ってきた。そうだったのか。例年、キラー・アメンドメントと呼ばれる、土壇場で決議案の本旨を葬る修正提案を出す恐れで知られるイラン。ジュネーブでイランのモハマッド・レザ・アルボルジ大使と協議を重ねるなかで、そんなことはあり得ない先見性に満ちた誠実な大使と信じ、支持を懇請してきた。日本とペルシャの歴史的な文化論にまで話が及ぶことも多かった。棄権票を覚悟していたが、予告なしの緑ランプ。感激の一瞬にほかならない。米国は、CTBT早期発効条項が不満で前年に続き反対票を投じたが、その他の部分は支持できるという異例の前向きの投票理由説明(EOV)をやってくれた。
 最終日、もはや人影もなくがらんとしたそのラウンジを通り抜けると思わず公使が言った。「我々の主戦場でしたね」。私にとっては鎮魂の場であった。戦争を知らない世代の大使だが、核廃絶決議案は鎮魂の思いを込めて守り抜きたかった。無数の無念の無告の思いを、次の核軍縮交渉へとつなげるためにも。


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