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「訪露前夜に思うこと~日露関係を新たなレベルに」 (中央公論新社刊「中央公論」11月号より転載) 平成14年11月
私は、8月に札幌で開催された外務省タウンミーティングに出席し北海道民の皆様と日本のロシア外交について話し合いました。その後根室を訪問し、外務大臣としては14年振りに北方領土を視察しました。好天に恵まれ、国後島、歯舞群島をこの目で見ることが出来ました。また旧島民の方々、長く返還運動に携わってこられた方々のお話を直接伺い、今まで長い間、島に帰りたいという強い思いを持ち続けていらっしゃる様子をひしひしと感じることができました。思えば私が外務大臣に就任した翌日には初めての会談が待っていましたが、その相手はロシアのイワノフ外務大臣でした。それ以来、私はロシア外交を優先課題のひとつとして取り組んできました。先日の根室訪問、北方領土視察を通じ、日本外交を預かる者としての責任の大きさを改めて痛感するとともに、日露間で平和条約を一日も早く締結し、日露関係を質的に新たなレベルに引き上げなければいけないという決意を新たにしました。 今月12日から私はロシアを訪問します。イワノフ外相との会談では、北海道で見聞きしたことを心の中にしっかりと置いて、平和条約交渉を行うと同時に、日露関係の潜在的可能性をさらに活用すべく、話し合いたいと思います。 ロシア外交については、鈴木宗男議員を巡る一連の問題や、北方四島住民支援問題等との関連でさまざまな批判を受けてまいりました。今後対露関係や北方領土問題をどう進めて行くべきなのか、といった点について、多くの意見・質問があると思います。外務省を代表する者として、皆様方にご心配をおかけしていることについては大変心苦しく思っております。訪露を前に、ここで改めてロシア外交についての私の考え方を述べたいと思います。 1.ロシアをとりまく国際環境と日露関係の現状 日本とロシアが外交関係を初めて開設したのは、今から約150年前の1855年に日魯通好条約が結ばれた時のことです。当時ロシア側は帝政ロシア、日本側は江戸幕府という時代でした。川路聖謨とプチャーチン提督との間で行われた交渉の結果、日魯通好条約において、択捉島とウルップ島の間に両国の国境が定められたのです。その後の150年の時の流れの中で、日露双方ともに、国内外の情勢は大きく変化してきました。 特に、ロシアは、ここ数年、大きく変わってきています。例えばロシアの米国やNATOとの関係を見ても、これまでとは質的に異なる新たな関係が築かれ、NATOとロシアは首脳レベルで毎年協議会を開き、安全保障・軍縮等にかかわる広範な議題について話し合うこととなりました。また、小泉総理が出席された6月のカナナスキス・サミットでも、2006年にロシアがG8サミットを主催することが決定されました。これは、今まで政治面でのみ参加していたロシアが、国際経済も含めてG8の全面的な一員となることを意味します。昨年9月の米国におけるテロ事件以降、ロシア国内の一部で批判があったにもかかわらず、一貫して米国や欧州諸国との協調路線を堅持したプーチン大統領の姿勢は高く評価するべきだと思います。 今や、ロシアは自由と民主主義という価値観をわが国と共有する国になり、国際社会の中で、ますます責任ある役割を果たすことが期待される国だと言えます。そのような状況にも拘わらず、例えばG8諸国間の二国間関係を考えてみた場合、日本とロシアの間には平和条約も結ばれておらず、関係の完全な正常化がなされていないのです。私は8月1日の日・ASEAN外相会談の機会にブルネイでイワノフ外相と会談しました。この日露外相会談で、私からイワノフ外相に対し、このようにロシアを巡る国際情勢が変化している中、日露関係においても、平和条約が未締結のままとなっている現状を克服し、新たなレベルの協力関係を構築していくことが重要であり、そのために協力していきたいという考えを伝えました。 最近、特に90年代後半以降の日露関係は、これまでの150年の日露関係史の中でも非常に良好な状況にあるといえます。例えば、わが国の総理大臣の相手国への公式訪問は、外交の中で最も重要な行事の一つですが、日ソ間では、1973年の田中総理の公式訪ソの後、1991年12月にソ連が崩壊するまで、日本の総理の公式訪ソは一度も行われませんでした。しかし、新生ロシアの時代に入った後は、首脳・外相レベルの政治対話が活発化し、特に近年の日露間の接触は実に頻繁なものになってきました。イワノフ外相とは、先述したブルネイでの会談の後も、国連総会の際にニューヨークでお会いしました。こういった多国間の場では会うことが通例となる状況になっています。これは、わが国にとって重要な隣国であるということを考えれば当然のことかもしれませんが、ひと昔前にはちょっと考えられなかったことだと思います。1956年に日ソ共同宣言が署名されたものの、日ソ・日露関係の改善に向けた諸先輩方の努力にもかかわらず、それ以降1966年まで外相会談が一度も行われなかった時期すらあったのです。今後の当面の日程としては、私が訪露した後、来年1月には、小泉総理の公式訪露も予定されています。 もちろん、これらの一連の対話は日露関係がソ連時代に比べて緊密になってきたことを示す一つの側面ですが、他方で現在の日露関係はまだまだ満足できる水準にまで至っていません。意外に思われるかも知れませんが、日露関係は、例えば貿易額では、日米間の40分の1、日中間や日EU間の20分の1に留まっています。また、人的往来についても、日露間は日米間の65分の1、日EU間の60分の1、日中間の30分の1というレベルにすぎません。このような数字からも分かるとおり、ロシアは、わが国にとって隣人ともいうべき場所には位置していますが、残念ながらまだまだ遠い存在であると言わざるを得ません。 ロシアとG8各国との関係を見ても、また、日露両国が位置する北東アジア地域の主要国との関係を見ても、二国間関係の中では日露関係が相対的に最も弱いと見られています。日露関係の発展・強化は、日露両国と北東アジア地域の安全保障環境の改善にも繋がるものです。我々は、ロシアとの間で、平和条約の締結、経済分野における協力、国際舞台における協力という三つの課題を同時に前進させるため、幅広い分野での関係の進展に努めています。平和条約を締結することにより、日露間に真の信頼関係を構築することが重要です。また経済関係は、いかなる二国間関係においても大切な柱の一つです。日露間の経済貿易関係が発展し相互依存性が高まることは、必然的に両国関係の基盤の安定化に繋がります。さらに国際舞台における協力は、国際社会における両国の役割や貢献を相互補完的に高めることになります。例えば今回の小泉総理の北朝鮮訪問については、総理とプーチン大統領との間で訪問の前後に電話会談が行われました。18日の電話会談では、プーチン大統領より「今回の訪朝は正しい方向に向けた決断であり歴史的なものであった。望みうる最大限の成果を達成し、非常に生産的であった」との発言がなされ、小泉総理からは、訪朝に先立ちプーチン大統領から有益な助言を受けていたことに対する謝意が述べられました。このような双方がともに関心をもつ国際問題に関する日露間の協力は、平和条約の締結、経済分野における協力とともに日露関係の三本柱の一つであり、北朝鮮をめぐる日露間の緊密な意見交換が日露二国間の関係の進展にも好ましい影響を与えるという良い先例となることを期待します。 日本の50倍の面積と日本とほぼ同規模の人口を抱えた大国ロシアとわが国の関係は、未だその潜在力を十分に生かし切ってはおりません。日露経済関係の発展の可能性にも大きなものがあります。例えば、極東・シベリアでの石油・ガス等の資源開発の分野で日露が協力することができれば両国にとって大きな利益となることでしょう。すでにサハリンでは大規模な石油・ガス開発プロジェクトが開始されています。また、エネルギー等の大規模案件もさることながら、日露の相互利益につながるような新しい協力分野の発掘も重要だと思います。もちろん、日本企業がビジネスを行う上ではロシアの投資環境の改善という課題があります。その関連では、ロシアは現在WTO加盟を目指しており、そのための国内法整備を進めています。これはわが国を含む外国企業にとって好ましい動きです。日本政府もロシアのWTO加盟を早くから支持しています。 またこの他にも、ロシアとの間では、銃器や麻薬の取引、密漁といった問題での協力、テロや環境の問題、地域情勢など様々な分野で協力をしていかなければなりません。一例を挙げれば、8月1日、ブルネイで行われたイワノフ外相との会談で、私は、アフガニスタンとタジキスタンの間の国境地域での麻薬取締プロジェクトでロシアと協力することを伝えました。テロという人類共通の敵に立ち向かうというグローバルな課題に日露両国が共同で取り組んでいることの一例です。 2.北方領土問題 これまで述べたように、日露関係が飛躍的に発展する潜在性を秘めているにもかかわらず、まだまだ満足できるレベルに達していないことの最大の要因は、未解決の北方領土問題の存在です。領土問題の存在のために平和条約が締結できず、最終的な戦後処理が行われていないため、日露関係が完全に正常化されないままになっているのは両国にとり大きな不幸であるといわざるを得ません。 私はここで、北方領土問題の解決に向けた政府の基本方針について、はっきりと確認しておきたいと思います。 まず申し上げておきたいのは、北方四島はわが国固有の領土であり、この立場が変わることはあり得ないということです。しばらく前、新聞紙上等で、いわゆる「二島先行返還論」が取りざたされましたが、このような政府の立場からすれば、政府が二島の返還のみで交渉に終止符を打つような提案をロシア側に行うことはないことをはっきりと申し上げておきたいと思います。政府は、「択捉島、国後島、色丹島及び歯舞群島(いわゆる四島)の帰属の問題を解決して平和条約を締結する」という方針を堅持しており、これからも堅持していきます。2001年3月に日露首脳間で署名されたイルクーツク声明にも明記されているとおり、日露両国は、1956年の日ソ共同宣言が平和条約締結交渉プロセスの出発点を設定した基本的な法的文書であることを確認し、その上で、1993年の東京宣言に基づいて四島の帰属の問題を解決して平和条約を締結することを共通の認識としています。ロシア側に対しては、国後・択捉の帰属の問題について結論を出さなければ、「四島の帰属の問題を解決した」ことにはならず、したがって、平和条約を締結することもできないことを明確に説明しています。 ロシア側と繰り返し確認しているとおり、1956年の日ソ共同宣言、1993年の東京宣言、2001年のイルクーツク声明をはじめとするこれまでに蓄積された成果を踏まえつつ交渉を続けていくことが重要であると考えています。領土問題の解決は決して簡単なことではありませんが、この問題はわが国として、決して曖昧にしてはいけない重要な問題です。最も警戒すべきは領土問題の「風化」であり、国民一人一人に粘り強く取り組んで頂くことが重要です。北方領土問題を解決することにより日露関係を新たなレベルにまで引き上げ、日露新時代を切り開きたい、というのが私の強い希望であり、また、外務大臣としての責務であると考えております。 3.四島住民支援・青年交流・文化交流 この関連で、最近問題となった四島住民支援にも触れておきたいと思います。北方四島住民支援に関連して、外務省から2人の逮捕者を出しました。外務大臣としてその責任を痛感しています。北方四島住民支援は、これまで支援委員会を通じて行ってきましたが、この支援委員会については、マスコミや国会などの場でさまざまな問題点が指摘されました。こうした経緯を踏まえ、外務省としては、各界の専門家をお招きして専門家会議を設置し、支援委員会の改革について検討頂き、4月26日に提言を受け取りました。私としては、この提言を重く受け止め、今年度末までに支援委員会を廃止することとしました。問題とされた北方四島住民支援については、規模・形態等を抜本的に見直した上で、問題の再発防止を確保できるような支援のあり方を検討していきたいと考えております。問題とされたのはあくまで手段・形態であり、北方四島住民支援の意義・目的が否定されたとは考えていません。真に緊急かつ人道的な支援かどうか、島側のニーズが高いか、といった観点から考えていかなければならないと思います。 一方、支援委員会は、北方四島住民支援だけでなく、ロシアにおける市場経済化を助けるための技術支援も行って参りました。これは、例えば市場経済・ビジネスに関する講座を開いてロシア人が聴講する、ロシア政府の公務員が市場経済の下での活動に適応できるようにするために教育する、といったプログラムです。この分野で中心的な役割を果たしてきたのが、ロシア各地7ヶ所にある日本センターです。この日本センターの活動については、イワノフ外相から私自身に対して高い評価と謝意が伝えられており、また、専門家会議の提言でもその意義が指摘されています。支援委員会が受けた批判を弁解するつもりは毛頭ありませんが、私としては、これらの点を考慮し、日本センター事業については、ロシア側のニーズの確認や支援実施の透明性の向上など、これまでに指摘された問題の再発防止策を講じた上で、来年度以降も継続・発展させていきたいと考えております。なお、こうした日本センター事業の意義に鑑み、日本センターの活動については、本年度においても事業内容を厳選し、透明性、公正性を確保しながら行っていきたいと思っております。 また、日露青年交流委員会の事業についてもいくつかの問題点が明らかになりました。この青年交流事業というのは、1998年11月に小渕総理大臣がロシアを公式訪問した際、エリツィン大統領との間で、今後の日露関係の発展のためには青年層の交流を深めることが不可欠であるという考えで一致し、開始されたものです。既に約1300名以上の日露の青年が相互に訪問しています。訪日するロシアの青年は、皆大変日本を気に入って帰っていくと聞いています。今後の日露関係を支えていくためには、国民一人一人の交流が何よりも重要であり、青年交流の意義はむしろ高まっていると言えます。こうした観点から、透明性の確保など、実際の事業のあり方についてロシア側と協議して改善を図っていきたいと考えています。 また、日露の相互理解のために、今後は文化交流にも一層力を入れていきたいと思っています。特に、両首脳により、来年が「ロシアにおける日本年」と位置づけられたことを受け、日本の文化をロシアで紹介する事業を進めていきたいと考えています。ロシアでは、これまで日本文化は専門家・愛好家の間での関心の対象であり、日本人がトルストイ、チェーホフ、チャイコフスキーに親しんでいるほどには、ロシア人はまだ日本の文化のことをよく知らないのです。ただ私は、私の限られた経験に照らしても、ロシア人はヨーロッパやアメリカの人々と比べて、アジア的なメンタリティというものをどこかで持っている、共鳴しあえるところが多いと思います。ここでアジアとヨーロッパの文化論といった難しい分析が必要かどうかは自信がありませんが、ロシアの国民の中には日本文化に対する関心を受け入れる素地が十分あると思います。今後は、「日本年」といった催しを通じて、日本文化に対する関心を広くロシア国民全体に拡げていきたいと考えますので、ご関心をお持ちの皆さんにも是非積極的に参加していただけることを期待しています。 4.結語 以上、最近の日露関係について、私の考えていることを述べさせていただきました。 来年1月には、小泉総理のロシア訪問が予定されています。既にカナナスキスでの日露首脳会談において、小泉総理の公式訪露の際に、平和条約問題も含め、日露の幅広い協力につきまとめた「行動計画」を作成することが決定されています。これに先立つ10月の私のロシア訪問では、大きな可能性を秘めた日露関係の発展に向けて、この「行動計画」に盛り込むべき内容について、イワノフ外相とじっくり議論してきたいと考えています。 |
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