占領地における文民の損害を巡る事件
Homeria v. Pandem
- ドンド(Dondo)、パンデム(Pandem)、及びホメリア(Homeria)は国連加盟国である。また、これらの国は1949年8月12日のジュネーブ諸条約、及び1907年のいわゆるハーグ規則の当事国である。ドンド、パンデムはジュネーブ条約追加議定書の当事国でもある。
- パンデム、ドンド間の国境線は南北に走っており、およそ800kmに渡っている。この国境線は国際的に承認されている。パンデム南部に位置するカフア(Kafua)地方は、200kmに渡りドンドと国境を接する。ドンドは、パンデムのカフア地方領有について不満を持っているが、これはこの地域に住む人口の半数以上がドンド系であるからである。
- 2003年1月14日、ドンドはカフア地方に侵攻し、その地を支配下に置いた。パンデムはドンド軍を撃退しようと戦い、一方では北部国境線をドンド側に越えてカフア地方とほぼ同程度の面積の領域を支配下に置いた。両国はそれぞれに占領された地域の回復に努めたが、両国とも侵入軍を追い出すことはできなかった。
- ホメリアはパンデムとドンドともに友好的関係を有していたが、どちらかといえばパンデムよりもドンドとの関係の方が親密なものであると感じていた。ホメリアは、2003年1月14日に始まったパンデム・ドンド間の戦闘に関して、どちらの側も支持しない旨を宣言した。この軍事行動が開始された後、ホメリアを含む数カ国の大使一行はパンデム、ドンド両国の首都から引きあげた。
- ドンド・パンデム間の交戦状態が開始されると、国連安全保障理事会はただちに両国の衝突を議題に取り上げた。多くの理事国はドンドを非難したが、ホメリアはドンドを非難する決議を採択することに反対した。2003年1月17日に採択された決議は、ドンドを非難することはなかったが、以下のような文言を含んでいた。
「ドンド・パンデム間の現在深刻化しつつある事態を深く憂慮し、
これ以上のさらなる武力行使をただちに差し控えること、公正原則及び国際法に則った平和的手段によって紛争を解決することを両国に要求する。」
この決議が採択されたのにもかかわらず両国は戦闘を中止せず、侵略及びそれぞれの占領地域における住民の迫害についてお互いに非難し合った。
- これを受けて、2003年2月17日、安全保障理事会は以下のような文言を含む、決議を採択した。
「パンデム・ドンド間の継続する紛争を深く憂慮し、
両国は国際人道法、特に1949年8月12日のジュネーヴ条約及び2つのジュネーヴ条約追加議定書の規程の義務を負っていることに留意し、、
両国が適切な仲裁、調停の申し出を受け入れること、地方機関への出訴、協定の締約など、あるいは両国が取り得るその他の平和的手段を行使することを両国に強く求める」
- 2003年2月17日に採択されたこの決議の後でさえも、パンデム及びドンドは戦闘を中止しなかった。
- この状況を見て、安全保障理事会は、2003年3月3日、以下の文言を含む決議を採択した。
「国連憲章第39条及び第40条に基き、
速やかに停戦すること、全ての軍事行動を中止し、国際的承認を受けている国境線まで全ての部隊を遅延無く撤退させることをパンデム・ドンド両国に要請する。」
- この決議の2日後、国連事務総長は、この紛争を解決する唯一の法的根拠として2003年3月3日の決議を履行することについて直接会談を開始することを両国に要求した。事務総長の要求の2日後、パンデム国大統領は、3月3日の決議が重きを置く、無辜(むこ)の人々の生命の保全の重要性を言及し、パンデムはこの決議を受け入れる旨を事務総長に伝達した。
一方ドンドは事務総長の要求に対し応じなかったため、その後も武力紛争は続いた。このような背景の下、パンデムは占領地をドンド領内部に拡大しストラヴィア(Stravia)地方までをも支配下に置いた。
- ストラヴィア地方河川には、1994年にドンドの国家的開発事業として建設されたダムがあった。このダムの建設は、ドンド内外で表明された反対を押し切って達成されたものであった。ダム計画の反対者は、ダムによって地域の環境が破壊されると主張した。ダムの近くには水力発電所が建設され、この水力発電所は軍需工場をも含む工場に電力を供給した。ダムの建設された川沿いには、ダムによって制御される灌漑用水を利用して農場や牧畜場が経営されていた。パンデムがストラヴィア地方を占領した時、ここには10万の住民が暮らしていたが、ダム建設以前からこの川沿いに居住していた人は稀であった。パンデムはドンド政権下の地方行政システムを利用してストラヴィア地方を統治した。また、パンデムはその地方行政システムをパンデムの占領統治当局に服させ、その占領当局は占領軍最高司令官によって指揮された。
- ストラヴィア地方への侵攻からおよそ2ヶ月経った5月末ごろ、ドンド側の攻撃によりパンデムは当地方からの後退を余儀なくされた。ストラヴィア地方からの退却に際して、パンデムは、当地への電力供給を切断するため水力発電所を破壊するという意図を表明した。パンデムの占領軍最高司令官は、2003年5月26日正午に実行する発電所破壊の爆発による危険があるため、24時間以内に安全な場所へ避難するようストラヴィア住民に警告した。
- ジェイド氏はホメリア国籍であるが、ドンドで事業を運営するため、ストラヴィアのダム建設が完了した1年後の1995年以来、家族と共にドンドに滞在することを許可されていた。彼は、地元の平均的住民が所有する10倍の広さの川沿いの土地を購入し、機械化された農業と牧畜業を営んでいた。彼の経営は、全ストラヴィア住民が納める税の大部分をまかなうほどに成功をおさめていた。ドンド・パンデム間の戦争が勃発した後、ドンドに滞在していたホメリア国の人々が出国していく中、ジェイド氏はドンドを離れなかった。
- ストラヴィア地方で開始されたパンデム軍による占領の後、主に地元住民から成る小武装集団がいくつも結成され、占領軍に対し攻撃を始めた。占領統治機関はジェイド氏がこれらの集団の支持者ではないかとの疑いを抱き、彼の自宅を捜索した。
- 占領当局による捜索を受けたすぐ後、ジェイド氏は本国に帰国しようと考えを改めた。彼は占領軍最高司令官の事務所を訪れ、ドンドを出国する許可を求めた。占領当局は、ドンド国内法によって定められる手続きに従って地方行政府にて申請するよう指示した。彼はその指示に従い、地方行政府で出国許可の申請をおこなった。
- ジェイド氏がドンドを離れようとしていた時、彼は48歳であり、妻と2人の子供、そして母親を伴っていた。彼ら家族は、今回の武力紛争のどちら側の国のものでもない船でドンドの港から出発しようと準備万端整っていた。その港はパンデム軍によって管理されており、予定の船はホメリアの港行きのものであった。ジェイド氏は地方行政府に、許可証を発行するようせかしたが、この件に関しては占領当局が何も指令を下してきていないとの返事が返ってきた。そのため、ジェイド氏は再び占領軍最高司令官の事務所を訪ねねばならなくなり、極力素早い許可証の発行を求めた。しかし、ここでも前回と同じ指示を受けた。ジェイド氏による出国許可申請が提出されてからおよそ2ヶ月あまり後、ストラヴィア地方のパンデム軍は水力発電所破壊の計画を公表した。この破壊による危険を避けるため、ジェイド氏一家は他の住民と共に安全な場所へと避難した。
- 警告から25時間経過した2003年5月27日13時、パンデム軍は水力発電所を破壊し、直ちにストラヴィア地方から引き上げた。この発電所破壊によってダムは被害を受け、灌漑機能も崩壊した。ダムの崩壊で引き起こされた洪水は、ジェイド氏の主要な農場を含むこの地域の農場のほとんどを洗い流した。
- 破壊の際の爆発により、避難所近くの森林で火災が発生し、ジェイド氏の母を含む200名の住民が命を落とした。パンデム軍が退却した後、ドンドはストラヴィア地方の支配権を取り戻した。しかしながら、退却に際してパンデム軍が当地で行った発電所の破壊行為は非常に深刻な被害をもたらしており、短期間で回復することは不可能であった。具体的には、農場は土砂で埋まり、家屋は崩壊し、地域全体で電力供給が断たれるといった状況であった。
- ダムの崩壊から10日後の2003年6月7日、ドンド国大統領は、国連事務総長による停戦要求を受け入れる旨を宣言した。2003年3月3日の決議を基礎に、ドンド・パンデム間で休戦協定が合意に至った。この協定は3つの主要事項の規程を持つ。(1)決議の完全な履行、(2)国境の最終的な合意確定のための交渉を開始すること、(3)この一連の戦争で生じた損害に関して、賠償要求を相互放棄すること、である。2003年7月20日にこの休戦協定は効力を発したが、それに先立ってドンド及びパンデムはそれぞれの軍を撤退させた。
- ジェイド氏と彼の家族はこの戦争を生き延びたが、農場を失ったため避難者キャンプに住まわざるを得なくなった。休戦協定が実施される前に、彼らはホメリアに帰国することをドンド当局により許可された。
2003年1月、ジェイド氏は、ドンドとの戦争中にパンデムの違法行為によって引き起こされた損害に対して賠償を求める訴訟を地方裁判所に提起したが、敗訴となった。ホメリア政府はパンデムの占領によりもたらされたジェイド氏がドンドで負った損害に補償を与えなかったことに対し、パンデムに抗議した。パンデム政府は、我が国にはジェイド氏がドンド滞在中に負った損害に対して補償を与える義務はないと返答した。そのためホメリアは、国際司法裁判所規程36条2項に従い、2003年1月14日から7月20日にかけてパンデム・ドンド間の一連の武力紛争によってジェイド氏が負った損害に関するパンデムとの紛争を国際司法裁判所に付託した。
- 原告ホメリアはICJが次のように判決し、宣言することを要求する。
「2003年1月14日から同年7月20日にかけての一連の武力紛争で、パンデムがストラヴィア地方を占領下に置いていた期間に行われた国際人道法の違反により、パンデムはホメリア国民のジェイド氏が負った損害に相当する程度の賠償をホメリアに支払う義務を負う。」
- 被告パンデムはICJが次のように判決し、宣言することを要求する。
「2003年1月14日から同年7月20日にかけての一連の武力紛争で、パンデムがストラヴィア地方を占領下に置いていた期間、パンデムは国際人道法に違反していないため、パンデムはホメリア国民であるジェイド氏が負った損害に相当する程度の賠償をホメリアに支払う義務を負わない。」
※この事件はいかなる現実の事件をも描写しようとしたものではない。著作権はアジアカップ国際法模擬裁判主催者に属す。
※この日本文はILSECが運営の便宜上作成したものであり、あくまで正文は英語のみであるので、大会参加者は注意されたい。
また、この日本文は予告無しに変更されうる。この訳文を大会中使用したことによる責任をILSECは一切負わない。
|