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演説

小渕総理大臣演説

シカゴ日米協会連合20周年記念夕食会における小渕総理大臣スピーチ

平成11年4月30日

 トーマス・フォーリー大使閣下、

 ただ今の心温まるご紹介のお言葉、誠にありがとうございます。

 大使のようにすばらしい方にお褒め頂ければ私の評価もぐんと高くなります。日本へ戻りましてからも、大使、またよろしくお願い致します。
 ところでフォーリー大使には、長年日米議員交流の関係で大変お世話になってまいりました。下院議長を務めておられた頃には、私どもがワシントンを訪問しましたときには、必ず議長室に招き入れて頂き温かくもてなして頂きました。
 私は、自分が最も敬愛する大使が日本に到着されたとき外務大臣でありましたが、大使が皇居で天皇陛下に信任状を捧呈されるにあたり、全く異例のことでありますが、この儀式に侍立する光栄ある役目を引き受けさせて頂いたのであります。
 大使にあらためて深い敬意を表したいと存じます。

 リチャード・デイリー・シカゴ市長、実はお隣でお話を聞いておりましたら、四選の栄誉に輝かれたということでございます。もとより市長の実力とあらゆる面におけるシカゴに対する貢献により、当然なことだと思いましたが、四選されるという素晴らしさであります。心からその力量に深い敬意を表したいと思いますが、ただ私大変うらやましく思いましたのは、まだ、二選も致していないということであります。是非見習っていきたいと思います。

 またお隣のアドレイ・スティーヴンソン・シカゴ日米協会会長、本当にありがとうございました。会長は牛を飼育されているというお話を今日致しておられましたので、そこで我が国との協会との会長を引き受けて頂いているわけですので、私は実は牛のネクタイをしてここにまいったわけであります。と申し上げますのは、私は日本では大変遅い牛だと言われておりますが、是非これからはスピーディな、力のある牛になりたい。是非スティーヴンソン会長に良く飼育をして頂きたい、というわけであります。

 そのほかジョン・スティード・日米協会連合会長、ジョン・ショーナック・中西部日米協会会長、デュアン・バーンハム・シカゴ外交評議会会長、本当に今日は素晴らしい会に出席することができまして、ありがとうございます。

 偉大なシカゴ市の皆様、美しいイリノイ州の皆様、近隣のすばらしい中西部諸州の皆様、日米協会の古くからのそして新しい友人の皆様、

 ご臨席の皆様、

 改めて、私、日本国総理大臣の小渕恵三でございます。ありがとうございます。

 実は私共は当初の予定を一時間以上繰り上げてロサンゼルスをけさ早く出発してシカゴにやって参りました。「ナポリを見て死ね」との諺がありますが、私は「シカゴを見ずして世界経済の動きは分からない」と聞き、オヘア空港からシカゴ商業取引所に直行致しました。やはり、「百聞は一見に如かず」であり、様々な商品、農産品、そして金融商品などの先物取引が賑やかな場立ちの中で繰り広げられている光景は大変見事でありました。特に日本はこの中西部地域からの穀物輸入を含めて、世界一の農産品輸入国でありますので、シカゴの相場が1ドル動くかどうかは大変大きな関心事なのであります。
 日本では「早起きは三文の得」と言われますが、私も朝食抜きで飛んできただけのことはあったと喜んでおります。

 このたびは日本の内閣総理大臣としては12年振りの米国への公式訪問でありますが、本日シカゴに到着致しまして以来、既に市民の皆様から大変温かい歓迎を頂いておりますことに、感激致しております。あの米国が生んだスーパースター、フランク・シナトラが日本公演の最後の日に熱唱した歌が、実は私もそこに聞きに行っておりましたので、今でも耳に残っております。そのすばらしいシカゴ市とシカゴの皆様に早くお会いしたいと思ってやってまいりました。「マイ・カインド・オブ・タウン」、こんばんは。

 家内と娘、そして日本政府代表団一行に代わりまして、皆様に心から厚くお礼を申し上げる次第であります。

 本席には、特に全米各地から日米協会の関係者の方々がお集まりになっておられますが、伺いましたところでは、第20回目の年次総会が当地で開催された、その格好の機会に私共の訪問を受け入れて頂いたとのことであり、大変光栄に存じておるところであります。

 そして何よりも、日米協会の皆様が、日頃から全米で日米両国間の、特に草の根レベルでの相互理解と友好協力のために地道ながらも素晴らしい貢献をして頂いておりますことに、日本政府を代表して心から感謝の気持ちをお伝え致したいと思います。

 また、本日は各方面で活躍しておられる多くの在留邦人の方々が出席されていると伺っておりますが、皆様がアメリカ社会の良き一員として日米の友好関係の促進に種々貢献されていることに対しまして、お礼申し上げたいと思います。

 私は、米国の未曾有の繁栄を支える活気あふれる金融、製造業そして農業の中心地でもある、正に米国のハートランドでありますここシカゴ市におきまして、今宵皆様との共通のテーマである日米関係の未来について私の思うところをお話しさせて頂く機会を頂戴しましたことを大変嬉しく思っております。

 ご列席の皆様、

 はじめにシカゴと日本のご縁につきまして少し触れさせて頂くことをお許し願いたいと存じます。

 シカゴと日本は伝統的に密接な関係を有しております。1872年に初めてシカゴを訪れた明治政府の岩倉訪米使節団は、前年のシカゴの大火災後の復興支援のため全米及び欧州の市民から500万ドルもの救援金が集まっているのを知り感銘を受け、使節団としても5千ドルを寄付したそうであります。またシカゴ大学の博士号第一号は、1893年に日本人である浅田榮次(あさだえいじ)に与えられました。シカゴ美術館はすばらしい日本の浮世絵のコレクションを所蔵しておられます。

 そして今、日本ではサミー・ソーサを知らない子供はおりません。もちろん大人も。それは、彼がマーク・マグワイヤと昨年あの球史に残るホームラン競争を演じたからという理由だけによるものではありません。サミー・ソーサは、昨年11月に来日した時、ハリケーン災害を受けた母国のために私費を投じて被災者用の仮設住宅を贈る計画を発表し、我々日本人に感動を呼び起こしました。このように、彼は一流の野球人であるとともに、一流の市民として、人間としての生き方を子供達に教えてくれるからこそ、日本の子供達にも大変愛されているのでありましょう。私も明日、リグリー球場でサミー・ソーサにお会いするのを楽しみにしております。

 実は、小さな声で申し上げますが、50年前の野球少年として、明日の試合の始球式でサミー相手に投げさせてもらうことになっているのです。東京で、プロ野球の元エース投手から特訓を受けてきたのですが、球がホームプレートまで届くかどうか心配です・・・。まさに今回の私の訪米における唯一最大の心配事項であります。

 それからシカゴ生まれのマクドナルド・ハンバーガー。これは今や完全に日本の風景の一部となっております。最近シカゴに着任した日本のビジネスマンの子供が、「パパ、アメリカにもマクドナルドがあるんだね。」と驚いたそうであります。またマクドナルドはベオグラードでは「M」の文字を書き直したそうでありますが、売り上げはますます好調とのことでありまして、おめでとうございます。

 その他にも、ユナイテッド航空、モトローラ等々、日本に進出し活躍しておられるシカゴ生まれの米国企業は沢山あります。但し、残念ながらシカゴ生まれのピザ屋さんはまだ日本に進出していないようであります。

 私は配達が早いので最近どんどん評判があがっております。皆さんもホットでクイックが売り物の「オブチ」ブランドのシカゴ・ピザを日本で売ってみる、ビジネス・チャンスをお考えになってみてはいかがでしょうか。勿論、私が今の職を辞めてからの話ですから、まだしばらくの間お待ちを頂きたいと思います。

 さて、ご列席の皆様、日米関係について少し真面目な話を致したいと思います。

 しかし、晩餐会のスピーチという性格上、尊敬する「シカゴ学派」のフリードマン教授の学説から説き起こす訳にはなかなかまいりませんので、お許しを願いたいと存じます。

 私が本当に皆様に訴えたいことだけを簡潔に述べておきます。

 第一は、日米関係は、今、最高の状態にあること、従って、私は、我々の将来について全く何の心配もしておらず、極めて楽観しているということであります。

 日本と米国のおつきあいは、1853年に4隻の黒船が浦賀沖に現れてからまだ146年しか経っておりません。その間、両国の関係には正直晴れの日もあれば大嵐の日もありました。勿論、どんな仲の良い夫婦の間でも時々口論することがあるように、私の家内とも、などとは申し上げておりませんが、同盟国である我々両国の間でも、時に貿易上の問題とかで諍いが生じることは避けられないことであります。しかし、我々にとっていかなる困難であっても、乗り越えられないものは決してないというのが私の信念であります。

 ここで私はA-50という日米の民間イニシアティヴに一言触れたいと思います。それは、21世紀を目前にした今日、戦後日本の再建にあたり、ガリオア・エロア等、米国から差し伸べられた様々なご支援とご協力に対して、今も日本人は決して忘れていないということをお伝えするために企画されている草の根活動としての事業であります。A-50のAは感謝(Appreciation)とアメリカの頭文字であり、50は講和条約50周年と全米50州、さらに日米関係の次なる50年を意味しております。私は日米協会の方々と協力してこのようなすばらしいイニシアティヴが進められていることを、大変嬉しく思っております。

 ご列席の皆様、

 シカゴ外交評議会の最新の世論調査によりますと、米国民の9割が日本を米国にとって重大な利害を持つ国と考え、日本政府の調査によると8割近くの日本人が米国に強い親しみを感じております。また、米国における日本語学習者数は、中・高校生等の若い世代を中心に全国的な広がりを見せており、5年前の5万人から昨年の12万人へと大幅に増えております。本日も、オヘア空港到着時にシカゴで子供たちの歓迎を受けましたが、米国の小さな子供から上手な日本語で話しかけられまして、改めて感激致した次第であります。また、米国の小学生が言葉ばかりでなく、日本の書道を学んでいる写真が、最近日本の新聞に出ておりましたが、誠に沢山の米国の若い方々が日本語を学習されているとの事実は、日米関係の土台を更に強固としたものにしていく、素晴らしい傾向であります。

 我々は、世界一、そして二の経済大国であり、文明大国でもあります。我々がお互いの立場を思いやりつつ、学ぶべきことを学び、それぞれのすばらしい力をうまく組み合わせて手を取り合っていけば、日米両国のパートナーシップは21世紀において、史上最高・最強のものとすることができるものと確信致しております。

 ご列席の皆様、

 第二に私が申し上げておきたいこと、それは、日本と米国という2つのパートナーは、自由、民主主義、人権の尊重という共有する基本的な価値を基に、その世界第一位と第二位の経済力を活かしながら、転換期にあり、混迷する世界の中で、実に様々な建設的なことが出来るし、またしていかなければらないということであります。

 コソヴォで、アフリカで毎日多くの人達が、とりわけ子供達が今この瞬間も生命と生活の脅威にさらされております。そのような時に私達は自分だけの平和と繁栄と幸福の追求に明け暮れていることは許されないのであります。東洋の言葉に、「義を見てなさざるは勇なきなり」というのがありますが、米国は、自由な世界を率い、世界の平和と繁栄のために極めて重要な指導的役割を果たされてきました。日本も米国のこのような役割を常に出来る限り支援してまいりました。コソヴォ問題に関しても、日本は難民支援及びマケドニア・アルバニアへの支援を中心とする総額2億ドルの支援を行うことを決定したところであります。

 また、日米両国はその持てる力を可能な限り合わせることによって、地域の問題やグローバルな問題に適切に取り組んでいくことが出来ると信じております。それは、例えば、アジア・太平洋地域における平和と安定の確保のための共同の努力であり、また、ポリオの撲滅を含む途上国支援や珊瑚礁の保護等の分野における協力であります。

 ご列席の皆様、

 第三に私が申し上げたいこと、それは、日米が21世紀に向けて、様々な分野で力強く協力していくためには、日本、米国それぞれがしっかりと元気な状態になくてはならないということであります。今、米国は非常に元気な、風邪一つひかない健康体でありますが、これに対して日本の方は、この10年間ほどは病気がちで若干精彩を欠いております。

 私は就任以来、日本経済を立ち直らせるためにあらゆる施策を果断にとってまいりました。その効果に下支えされて、景気は下げ止まりつつあります。また、昨年までは沈滞したムードに覆われていた日本の産業界も前向きの意欲・姿勢に転じつつあります。私は、不退転の決意で、問題があればそれを克服していくことにより、日本経済の再生を確実なものにしていきたいと考えております。

 ご列席の皆様、

 私は、総理大臣に就任致しまして以来、日本と日本人が21世紀の国際社会の中でどういう国として、また、どういう国民として生きていくべきなのかを問いかけてきております。人間には、寿命がありますが国にはありません。従って、自分の次の世代にいかなる松明を引き継ぐかによって国の未来は栄えもすれば、衰えも致します。

 私は現在を、日本の近代史の中で、明治維新、第二次世界大戦後の復興に次ぐ、日本にとりまして「第三の改革」の時期と位置づけております。厳しい経済情勢の下、日本の経済社会構造は大きく変わりつつあります。過去に有効であったシステムに替えて新たなシステムを構築するという変革はしばしば非常な痛みを伴うものであります。例えば、世界に誇っておりました終身雇用システムの下、これまでわずか2%台であった日本の失業率は、今や4.8%と米国の失業率を上回る数字となっております。しかし、これこそが日本の経済に活力と競争力を再び取り戻す上で避けて通ることの出来ない、規制緩和を含む懸命な構造改革の努力の結果として、日本人自身が直視しなくてはならない数字であります。

 私は、日本国民の力を信じております。そして、国民あげての意識改革と努力を呼びかけ、確固たる意志を持ち、建設的な楽観主義を抱き、自信を回復するよう訴えております。より平易な言葉で申せば、コップ半分の酒を、もう半分しか残っていないと嘆くのではなく、まだ半分も残っているではないかと考えることが重要であるということです。

 私の名前は小渕と申します。この音はオプチミズムに似ている。従って私は、Mr. Optimismとも呼ばれることがあります。実は先日ナイジェリアのオバサンジョ次期大統領と話しておりましたら、ナイジェリアの言葉で「オブチ」は「It's a god. 」「それは神である」という意味であると伺い、びっくり致しました。ナイジェリアでは神様になってしまいましたが、勿論、本当の神様になってしまったわけではありません。せめて、日本の経済再生の救世主ぐらいになれれば良いとひそかに願っているところであります。

 ご列席の皆様、日本は変わることが出来ます。そして実際に変わりつつあるのです。日本の社会は、より自由で開放的な社会システムに変わりつつあります。例えば、我が国は男性社会と言われておりましたが、実際は、現在、労働力の4割は女性によって担われております。今年の医師国家試験合格者の3割は女性でした。

 もっとも、私の地元の上州・群馬県では昔から「かかあ天下」が名物でありまして、女性に対する敬意は伝統的に大変強いものがございます。私の家内も同郷の出身でありまして、私は常日頃、家内に対して深い尊敬の気持ちを有しております。

 シカゴの、また中西部の有力な方々にこの壇上からお伝えすることは非常に大切なことであります。

 こうした中で、子供を安心して産み育てられる環境、子供の情操教育、美しい国土の保全、働きがいを感じる仕事と安定した雇用、そして豊かで安心した老後、と今や国民の関心事項は日米共通であります。

 我々は相互の理解を更に深め、対話を促進する目的で、近く全米各地に日本から両国の関心分野に精通した専門家達を派遣する予定であります。彼らが米国各地で有意義な対話を行えるよう、日米協会の皆様のご協力をこの場をお借りして改めてお願い申し上げます。

 また我々は、日本における民主主義社会の成熟に伴い、政府だけではもはや十分にきめ細かな対応が出来なくなっていることが非常に増えていることをよく認識しており、企業やNGOなどの市民社会による国境を越えた公益活動との連携を図るようになってきております。我が国としては、市民社会の活動の先進国である米国に学ぶところは大きく、日米のNGO間における協力が進展していくことを希望し、奨励していきたいと思います。

 ご列席の皆様、

 先ほど申しましたが、私は経済困難に直面して、ともすれば自信を失いかけている感のありました日本国民に対して、建設的な楽観主義に拠って立ちながら、21世紀に向かって橋を架けようと国会で呼びかけました。それは、世界への架け橋、繁栄への架け橋、安心への架け橋、安全への架け橋、そして未来への架け橋という5本の橋であります。

 橋を渡ってその向こうにある21世紀の日本。それは、明るい希望に満ちた、そして思いやりに満ちた、志の高い、世界に貢献する堂々たる日本と日本人であってほしいという願いによるものであります。賢人たちの力を借りながらその橋を架けることに尽くすのが私の仕事であります。

 ご列席の皆様、

 いよいよ春を迎えつつあるシカゴに参りまして、皆様からの温かい歓迎を頂いております今の私の気持ちを日本の和歌に求めてみました。

 「石走る(いわばしる)/垂水(たるみ)の上の/さわらびの/萌え出づる(もえいづる)春に/なりにけるかも」

 実はこの日本の有名な和歌につきましては、米国内におきましても、この難しい訳語を気持ちをそのままに英語でお伝えのできる方が大変多くおられると聞きまして、私自身感銘を受けている次第でございます。

 この和歌は、万葉集という8世紀に編纂された歌集にある、志貴皇子(しきのみこ)というその頃の日本のプリンスの歌であります。この歌のように、長い冬を耐えていた日本も、21世紀に向けて再び力強く芽を出そうとしているのであります。

 最後に、本日は私から皆様それぞれにささやかな記念品を持って参りました。それは、私の地元である群馬県の有名なダルマの置き物であります。ダルマは、我慢と幸運のシンボルであります。それは、群馬県の小さな一つの選挙区から、日本の政治史上、空前絶後のことでありますが、この25年間で福田総理、中曽根総理に続き、私を含め3人の総理大臣が生まれたことに証明されております。是非皆様にも、このすばらしい幸運が訪れることをお祈り致したいと思います。

 また、取引所の話に戻らせて頂きますが、先ほど取引終了の鐘を鳴らさせて頂きました際に、このジャケットを記念に頂きました。見て頂きたいと思います。「Keizo Futures」とあります。シカゴで日本株、小渕株の将来を買って頂きたいと思います。

 さて、名残りは尽きませんが、そろそろお別れする時間が近づいてきたようであります。

 長い間にわたってのご静聴を、心から感謝申し上げます。

 Thank you very much and good night.

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