外務省 English リンクページ よくある質問集 検索 サイトマップ
外務省案内 渡航関連情報 各国・地域情勢 外交政策 ODA
会談・訪問 報道・広報 キッズ外務省 資料・公開情報 各種手続き
トップページ 報道・広報 演説
演説

小渕総理大臣演説

ロスアンジェルス日米協会等主催夕食会における小渕総理大臣スピーチ

平成11年4月29日

 トーマス・デッカー・日米協会会長、

 ただ今の心温まるご紹介のお言葉、誠にありがとうございます。

 9ヶ月前に今の職に就きましたとき、お国の一流新聞から、もちろん東海岸の新聞ですが、私に対して「冷たいピザ」とだけ紹介されたことを思い出すと、私のことを本当に理解して下さる方々が西海岸におられ、大変な喜びを今、かみしめておるところでございます。
 デッカー会長、それから本日司会の労をおとり頂いたジョージ・タケイさんの御経歴を伺いましたところ、私と同じ1937生まれでありました。政治の世界では、この年に生まれた人は有能な人ばかりでありまして、私のよく知るオルブライト国務長官、フランスのジョスパン首相や、またフィリピンのエストラーダ大統領達と共に「1937年生まれの政治家クラブ」を結成しておりますので、デッカー会長とタケイさんにも是非名誉会員としてお入り頂こうと思っております。但し、一人だけ我々が入会を拒否している人がおります。イラクのサダム・フセインであります。

 トーマス・レヴィン・ビバリーヒルズ市長、ドン・クナーベ・ロサンゼルス郡参事会議長、夕食会主催者の皆様、
 偉大なロサンゼルス市の皆様、そして美しいカリフォルニア州の皆様、そしてご臨席の皆様、
 小渕恵三であります。

 紀元2000年という大きな時代の節目にあたりまして、日本の内閣総理大臣としては12年ぶりの米国公式訪問となる6日間の旅行を、このロサンゼルス市から始めることができましたことは個人的にも、また、日米関係の観点からも、まことに感慨深いものがあります。けさ当地に到着致しまして以来、既に市民の皆様から大変温かい歓迎を頂いておりますことに感激を致しております。家内、娘、そして日本政府代表団一行に代わりまして、皆様に心からお礼を申し上げる次第でございます。 ありがとうございます。

 ご列席の皆様、

 個人的なことから話をさせて頂くことをお許し頂ければ、今回カリフォルニアを訪れるに際しましては、36年前の「恋人」に会うために非常にわくわくする思いでありました。もちろん、「恋人」と呼ぶにはあまりにも高貴すぎる、クイーン・メリー、すなわち「クイーン・メリー」号のことであります。

 私は、けさ到着後、空港からまっすぐにロング・ビーチに向い、1963年の夏以来の再会を果たしたところであります。

 この船は、私が学生の頃、見聞を広めるために当時極めて珍しかった世界一周の一人旅を致しておりました時に、イギリスから初めてアメリカに渡るために乗った豪華客船であります。私はこの船に乗りたいがために、ヨーロッパの各地で一生懸命にアルバイトをしてお金を貯め、当時確か250ドルだったと思いますが、その切符をやっと買い求めることができたのであります。船中、あの映画「タイタニック」の美しきヒロイン、ケイト・ウィンスレットさんのような方にはお目にかかれる幸運には全く恵まれませんでしたが、一週間の船旅ののち、氷山にぶつかることもなく、ついに朝靄に煙るニューヨークの港に入ったとき、クイーン・メリー号の上から、目にした摩天楼の美しさに息をのんだあの感動は今でもはっきりと覚えております。

 私が泊まっておりましたキャビンは当時の姿のまま残されておりまして、青雲の志に燃えていた25歳の自分に一瞬戻ったような気が致しました。そして、あの世界一周旅行から帰国し、直後の国政選挙に打って出て、26歳という最年少で議席を得て以来、36年間にわたり、12回の選挙で連続当選してまいりました訳でありますから、今回、日本の国政の最高責任者として日米両国の深い絆を一層強めるために、米国を公式訪問致しますことに、深い感慨と責任の重さを感じておるところであります。

 さて、ご列席の皆様、

 広い米国の中でも、カリフォルニア州が日米関係の歴史にとって特に重要であることは、改めて申すまでもありません。140年前に日米両国が正式に国交を結んで以来、数え切れないほど沢山の政府の使節団、そして移住者の方々が、太平洋を越えて日本からこのアジア・太平洋への大きな玄関に到達してきたのであります。

 本日ご列席の日系人の方々は、過去に大変なご労苦を経験されながらも、勤勉さと努力によって困難を乗り越えられ、多くの分野で米国の発展に貢献する活躍をしてこられると共に、日米両国間の友好と協力の架け橋となってこられました。先ほど、全米日系人博物館を訪れ、皆様方のご苦労ぶりをつぶさに拝見して参りましたが、私は、日本政府を代表いたしまして、日系人の皆様方のご功績に対し、心から敬意と感謝の気持ちをお伝え致したいと思います。また、私達が、先の大戦後に生活物資の窮乏に苦しんでおりましたときや、4年前に6000人を超える犠牲者の方々を出した阪神・淡路大震災の際に、多くのアメリカ国民の皆様と共に日系社会の方々から頂きました暖かいご支援とご激励を日本国民は決して忘れておりません。この機会をお借りして、あらためて深くお礼申し上げる次第であります。

 また、カリフォルニア州では7万人以上の在留邦人の方々が、ビジネスなど各方面で活躍しておられ、本日も多数の在留邦人の皆様が出席されていると伺っておりますが、皆様がアメリカ社会の良き一員として日米の友好関係の促進に種々貢献されていることに対しまして、厚く御礼申し上げたいと思います。

 そして、今日なお、カリフォルニア州と日本の結びつきの強さには格別のものがあります。たとえば、貿易の面で、カリフォルニア州の第一の輸出先は日本であります。今日本は外国産のワインが大変高い人気を博しております。年間5億ドルも輸入されておりますが、その中で特に人気が高まっておりますのは、カリフォルニア産のワインであります。また、日本からカリフォルニアへの直接投資は、外国からの投資全体の40パーセントを占め、15万人に上る雇用創出に貢献しております。さらに、日本からは年間130万人近くが、カリフォルニアを訪れており、観光をはじめとするこの州のサービス産業の繁栄に寄与させて頂いております。

 新しい世紀に向けての日米間の企業の協力につきましても、カリフォルニアの占める地位は極めて重要であります。今日、カリフォルニアでは、ハイテクや情報産業など、正に時代の先端を切り拓いていく分野で、米国経済を力強くリードしております。それは、学問と産業の密接な連携と協力の中で、若くて柔軟な発想をもつ企業家達が次々とリスクを恐れずに新しいビジネスを起こし、技術革新と成長の原動力となっているからであります。米国の若い世代の挑戦心と活力には日本としても学ぶべきところが多いと感じるとともに、日米両国の若い優秀な人達が新たな協力関係を作り上げる可能性も広がりつつあると感じるのでございます。

 ご列席の皆様、

 日本人の多くがアメリカの文化に強い親近感を持っている背景の一つには、カリフォルニアの文化的な開放的多様性、そして包容力の大きさがあります。ロサンゼルスでも、また、シリコン・バレーでも多種多様な文化的、歴史的背景を持つ人たちが、それぞれの分野で能力を十分に発揮して活躍し、産業や社会の発展に重要な役割を果たしておられます。

 カリフォルニア、特にこのロサンゼルスは、米国が誇る映画産業の中心地でもあります。米国の映画産業が世界にメガ・ヒットの作品を送り出し続けておられることは、米国の文化の力強さの何よりの証明であります。本日のこの夕食会には、本年のアカデミー賞の短編ドキュメンタリー賞を獲得された日本人監督の伊比恵子さんと昨年の短編実写部門賞を獲得されたクリス・タシマさんが出席されていると伺っております。この機会をお借りして、お二人にお祝いを申し上げ、また、今後のますますのご活躍を期待致したいと思います。

 実は、私は日本の国会におきましての映画議員連盟の会長も務める大の映画ファンでございますことは、皆様あまりご存じないかもしれませんが、本当のことでございます。

 勿論それは、総理大臣の仕事よりもはるかに楽しい仕事であることは間違いないと思っております。

 そういう私が、尊敬してやまない日本の偉大な映画監督、黒沢明さんの作品が、ハリウッドでも高い評価を受けておりますことを、大変うれしく、また誇らしく思っております。例えば、ジョージ・ルーカス監督は、「クロサワ」の名を冠したスタジオを母校である南カリフォルニア大学に寄付されました。そして、現在ルーカス監督やスティーヴン・スピルバーグ監督ら30余名の映画人の手によりまして黒沢映画の保存運動が当地で進められておられることは、日米間の文化交流として大変喜ばしいと考えております。日本政府としても何らかのご協力をさせて頂きたいとも考えております。

 ご列席の皆様、

 折角の機会でありますので、このロサンゼルスというカリフォルニア州最大の町から眼を太平洋に、そして更に向こうのアジアに向けながら、日米両国がパートナーシップを組んで、この地域の平和と繁栄のために出来ること、すべきことは何であるかについて私の思うところを皆様と共有させて頂ければ幸いであります。

 たとえばAPECというアジア太平洋地域の経済協力体に参加している国と地域の数は21に及び、その人口合計は全世界の42%、GDPは世界の58%、貿易量は世界の48%に上ります。この数字が示すように、この地域が現在有する重要性は一目瞭然であり、そして21世紀におけるこの地域の発展と繁栄の可能性は引き続き随一のものがあると考えます。

 また、我々は20世紀の100年間がこの地域にもたらした光と陰、すなわち、一方における発展と繁栄、他方における対立と戦争、という歴史の教訓をしっかり学びながら、21世紀がこの地域にとって真の意味で「平和と繁栄の世紀」となるように協力して行かなくてはなりません。その際特に重要なことは、米国と日本の「二人三脚」の取り組みであると考えます。

 ご列席の皆様、

 アジア・太平洋地域の平和と安定に不可欠なものは何か。それはまず日米両国が確固たる安全保障上の同盟関係を維持していくことであります。そしてその上に、この地域で大きな責任と役割を共有する国々とのパートナーシップを築き、更に、様々な対話を通じた信頼システムの強化を図っていくことであります。たとえば昨年秋、韓国の金大中大統領と私は、21世紀を前に日韓両国関係を前向きに構築していくことで、大きな一歩を進めましたが、これは両国が既に成熟した民主主義国家の関係に入ったことを示す証左であると言えます。

 また、経済面においても、日米両国が協力してアジア・太平洋地域の繁栄に更に貢献する余地があります。ご記憶の通り、アジア諸国は2年近く前に大きな通貨経済危機に直面を致しました。その後各国による懸命の取り組みは続いておりますが、実体経済は依然として厳しい状況にあります。

 かつて「アメリカがくしゃみをすれば日本が風邪をひく」と言われたものでありますが、しかし今やアメリカ経済はくしゃみ一つしない、世界一の健康優良児であり、まことに羨ましい限りであります。そのような中で、近頃では「日本が風邪をひけばアジアは肺炎にかかってしまう」と言われるほど、日本経済というものが大きくなってまいっております。日本は自らくしゃみや咳や熱があるにも拘らず、アジアの友人達が肺炎にかからないよう懸命に約800億ドルを超える支援を実施致しております。そして米国も又、アジアの友人達からの輸入を維持することによって、彼らの景気が二番底、三番底に落ちないよう一生懸命くい止めようと努力して頂いていることを高く評価したいと思います。

 アジアの国々の経済困難は、特に貧困層、障害者、高齢者、子供といった社会の中での弱い立場の人々を直撃致しました。これらの人々の生命や生活、そして尊厳をいかに守るか、言い換えれば、人間の安全保障に関わる諸問題に対してどう取り組んでいくかは、喫緊の課題であり、日米両国の一層の協力が求められ、又、可能であると考えております。

 私は真に平和と、繁栄、安全、そして安心を21世紀のアジア太平洋にもたらすために、日本と米国が是非とも力を合わせて行かなくてはならないと考えますが、その前にまず日本自身がしっかりしなければならないと考えております。

 私は就任以来、日本経済を立ち直らせるためにあらゆる施策を果断にとってまいりました。その効果に下支えされて、景気は下げ止まりつつあります。また、昨年まで沈滞したムードに覆われていた日本の産業界も前向きの意欲・姿勢に転じつつあります。私は、不退転の決意で、問題があれば克服していくことにより、日本経済の再生を確実に果たしたいと考えております。

 先週の「タイム」誌アジア版の表紙で、私がピザを配達している写真が出ておりましたのを、あるいはご覧になった方もおられると思います。私はもちろんピザの配達は致しませんが、必要な政策をスピーディーにデリバーする事が自らの仕事であると心得ておるところでございます。

 ご列席の皆様、

 私は、総理大臣に就任致しまして以来、日本人が21世紀の国際社会の中でどういう国として、また、どういう国民として生きていくべきかを問いかけてきております。人間には、寿命がありますが国にはありません。従って、自分の次の世代にいかなる松明を引き継ぐかによって国の未来は栄えもすれば、衰えると思います。

 私は経済困難に直面して、ともすれば自信を失いかけている感のあります日本国民に対して、建設的な楽観主義に拠って立ちながら、21世紀に向かって橋を架けようと呼びかけました。それは、世界への架け橋、繁栄への架け橋、安心への架け橋、安全への架け橋、そして未来への架け橋という5本の橋であります。

 この橋を渡って向こうにある21世紀の日本。それは、明るい希望に満ちた、そして思いやりのある、志の高い、世界に貢献する堂々たる日本と日本人であってほしいという願いによるものであります。賢人たちの助けを借りながらその橋を架けることに尽くすのが私の仕事であります。

 ご列席の皆様、

 日本と米国のおつきあいは、1853年に4隻の黒船が日本浦賀沖に現れてから実はまだ146年しか経っておりません。その間、両国の関係には晴れた日もあれば嵐の日もありました。しかし私は、今、両国の関係は本当に最高の状況にあると自信をもって断言できます。勿論、どんなに仲の良い夫婦の間でも時々口論することがあるように、同盟国である我々両国の間でも時に貿易上の問題とかで諍いが生じることは避けられないことであります。しかし、我々にとっていかなる困難であっても、これを乗り越えられないものでは決してないというのが私の強い信念であります。

 我々は、世界一、二の経済大国であり、文明大国でもあります。我々がお互いの立場に思いをやりつつ、学ぶべきことは学び合い、それぞれのすばらしい力を組み合わせて手を取り合っていけば、日米両国のパートナーシップは21世紀において、史上最高最強のものとすることができると確信致しております。

 最後に本日は私から皆様に小さな記念品を持って参りました。それは、私の出身地である群馬県の有名なダルマの置き物であります。ダルマは、がまんと幸運のシンボルであります。それは、群馬県の小さな一つの選挙区から、即ち私の選挙区でありますけれども、この25年間に日本の首相、福田、中曽根の両氏が生まれ、私を含めて3人の総理大臣が生まれたことに証明されるものと考えております。皆様にも、是非このすばらしい幸運をお渡し致したいという気持ちでまいりました。皆様に素晴らしい幸運が訪れますことを最後に心からお祈り致しまして、私のスピーチを終わらせて頂きます。

 ありがとうございました。

小渕総理大臣演説 / 平成11年 / 目次

外務省案内 渡航関連情報 各国・地域情勢 外交政策 ODA
会談・訪問 報道・広報 キッズ外務省 資料・公開情報 各種手続き
外務省