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橋本外交最高顧問演説
21世紀に向けたアフリカと日本のパートナーシップ
平成11年1月29日
本日は、伝統ある「国際問題研究所」において、日本の対アフリカ政策についてお話する機会を与えられたことを光栄に思います。私は総理大臣在任中、アフリカへの訪問を願ってきましたが、今回、長年の願いが叶い、アフリカ大陸に足跡を記せたことを非常に嬉しく思っています。ムベキ副大統領は昨年4月に訪日された際、「歴史の中で新しいことは全てアフリカから始まっている」と指摘されましたが、まさにアフリカは、ひたむきでたくましい人々と豊富な資源に支えられた可能性を秘めた21世紀の大陸であると実感しています。実は、今を去る40年前の1959年に、衆議院議員であった私の父は日本を代表してアフリカを歴訪し、独立前夜の熱気と人々の活力に強い印象を受けて帰国いたしました。今の国の数で言うとちょうど10か国の勘定になります。そのようなわけで、私のアフリカへの関心と共感は学生時代から培われたものであります。 私は、アフリカには必ず明るい未来が来ると信じています。これまでの4世紀にわたり「歴史」はアフリカに対して心優しくはありませんでした。また、「地理」は今なおアフリカに対して厳しく接しています。にも拘わらず、私は声を大にして申し上げたい。奴隷貿易が終わり、植民地支配が終わり、冷戦が終わり、そしてアパルトヘイトの終わった今こそ、アフリカ人の手でアフリカの未来を築く時が来たのではないでしょうか。 「モロッコから南アまで、今やアフリカ人は立ち上がり、アフリカの再生を叫んでいる。たとえ如何なる犠牲を払おうともアフリカは真に解放されねばならない。アフリカ人には、貧困や飢餓、後退や疎外化から自らを解放する能力があり、この能力を証明する正統な権利がある」。これはムベキ副大統領が昨年4月に訪日された際に東京にある国連大学で行ったスピーチの一節です。私は、汚職や独裁を排し、健全な経済政策と優れた指導力に立脚した国民本位の国造りを行おうとするアフリカの「新しい潮流」に勇気づけられています。昨年10月東京で開催された第二回アフリカ開発会議(TICAD II)に参加した元首・首脳と意見交換をしながら、私はアフリカのリーダー達が進めようとしている新しい潮流を直接肌で感じることが出来ました。これは、日本での改革を強く推進して来た私として大変に勇気づけられることであります。 しかしながら、コインには必ず両面があるものです。昨年後半以降、コンゴー民主共和国の紛争において見られるような各国を巻き込んだ地域紛争が深刻化していることも事実であり、これがアフリカの発展に対する大きな障害となってもいます。これは即ち、21世紀を目前にしてアフリカが歴史の転換期を迎えていることの証左でもあると考えます。アフリカ諸国が転換期に伴う混乱を一致団結して克服し、「希望に満ちたアフリカの再生」を現実のものとされることを心より願っております。我が国としては、再生・復興に向けてのアフリカ自身の努力をアジア諸国やその他の国際社会をも巻き込みながら支援して行く決意です。しかし、再生・復興のための大前提として平和と秩序達成のためのアフリカ自らの努力が必要とされています。今日、一歩後退しても、明日、また二歩前進すれば良いーそんなねばり強さと意気込みが必要ではないでしょうか。これが再生への情熱の灯を絶やさないようにするこつではないでしょうか。これは日本における経済的苦境から何とか脱却するために、六大改革を導入した私の実感でもあります。 アフリカの安定と発展は、国際社会にとり主要な課題です。グローバリゼーションの中でアフリカが更に疎外されることは、国際社会全体にとって不幸なことであり、何人の利益にもならないと確信しております。更に、環境、開発、国連改革等より良い21世紀を築いてゆくためには、アフリカの人々と共に取り組む必要があると認識しております。こうした認識に基づいて、日本は心からアフリカに対する支援を行って参りましたし、これからも行って参ります。これは、単に、アジアでの経済危機に拘わらず、今なお世界のGNPの6分の1は日本が生み出していること、あるいは世界のODAの5分の1はトップ・ドナーたる日本が供与しているという数字の次元の話ではありません。この日本の「心」にまつわる考え方を、やや回りくどくて恐縮ですが、敷衍させていただきます。 まず、申し上げたいのは、21世紀の新生アフリカの飛躍の鍵は、第一にグローバリゼーションの中で独自の豊かな伝統文化や自らのアイデンティティーを大切にすることであります。第二に、その上で、欧米からであれ、日本を含むアジアからであれ、あるいは他のアフリカの国からであれ、参考になる点を取り入れ、アフリカの文化と社会をより豊かで力の漲ったものにしてゆくことであると考えます。我が国は、国際社会がアフリカ各国のそうした自助努力に対してより積極的に協調を図って行くことが何より肝要であると、強く呼びかけております。こうした呼び掛けを通じて、アフリカ諸国の文化、経済、政治等の多様性を生かした独自の国造りへ向け、アフリカ各国と国際社会の双方向かつ平等な努力の中で、我が国は触媒としての役割を担って行きたいと考えて来ました。 次に申し上げるべきは、私が、一青年として、次いで一政治家として生きてきた第二次大戦後の日本の姿であります。南アフリカの皆様は、現在の繁栄している日本の姿しか知らないかと思います。特に、日本はアパルトハイト体制下の南アフリカとは外交関係を持たなかった唯一のG7の国だったことも過去の日本があまり知られていない一因かと思います。私がここで申し上げたいのは、日本は第二次大戦で国土が灰燼に帰して以来、国の再建に当たって、うまく達成したことも、大変な失敗もしたこともあって今日の日本の姿にたどり着いたということであります。 では、まずは成功例から申し上げましょう。今日、日本は平均余命が80歳を越す世界一の長寿国であります。しかし、50年前まで、日本でも「人生わずか50年」と言われていたことをご存じでしょうか。もとより、これはあくまで皆様のご参考のためであって、日本の自慢をするためのものではない点、誤解なきようお願い致します。さて、日本が長寿国になった秘訣は三つあります。第一に医療保険の導入により、先駆的な医療が周ねく国民一人一人に行き届くようになりました。第二に、簡易水道を含めて水道の普及に伴い感染症が激減しました。健康の基礎的な条件には、安全な飲料水の確保が極めて重要です。第三は寄生虫対策です。回虫から住血吸虫にいたる寄生虫の撲滅を図ることは、人間の基礎的な健康確保に極めて重要であります。以上申し上げた三点とともにシステマティックに福祉を積み上げて行った結果、日本は気がついて見ると世界最高の長寿国となっておりました。日本は、今日、気をつけていさえすれば、健康を損なうことのない社会となりました。因みに、この健康と国民皆教育の組み合わせが日本の繁栄の礎であると指摘されていることを付言いたしましょう。
次は失敗例です。その第一は、なんと言っても環境問題だと思います。敗戦後10年かかってようやく戦前の国民総生産のレベルに戻した日本人は、その後も、わき目もふらずに働き、1964年にはIMF八条国への移行、OECD加盟、そして東京オリンピック開催を成し遂げ、国際社会へのいわば完全復帰を成し遂げました。ところが、ふと気がついてみると、美しかった日本列島は汚染列島と化し、尊い人命が、大気汚染や化学物質による水の汚染等によって失われるという事態すら現れたのであります。自然の持つ自己浄化の限界に気がついていなかったのです。これが30年前の話です。それから、公害対策をとった結果、今日、例えば日本の工場の煙突の脱硫装置は、世界で他に例を見ない高い水準ですし、自動車もハイブリッド・カーといって電気自動車とガソリン・エンジンを組み合わせた低公害車が既に市場で成功を収めております。しかし、それは、長く、犠牲の多い回り道でした。 この様に考えて参りますと、国民の一人一人の生きてきた姿、あるいは生きていく幸せということを考える上で、国境を越えて経験を分かち合うことの重要性が改めて浮かび上がるのではないでしょうか。それは、先進国間においても同様であります。私が、G7サミットにおいて「世界福祉構想」を提案したのもこの様な考え方が背景にあるのです。各国が、国内的に取り組んでいるいわゆる福祉問題、すなわち広い意味での社会保障制度に関する問題についてのお互いの「知恵」、「経験」を分かち合いながら、それぞれの悩みや問題を解決し、お互いがより良い社会を築いて次の世代に引き継いでいけるよう貢献しあうという考え方です。この考えは、各国首脳の支持を得て、高齢化と感染症に対する本格的な取り組みへとつながりました。私の提案が現在WHOや各国での具体的活動につながっていることを喜ばしく思います。また、この構想の観点から、日本と南アフリカ両国間では既に小泉厚生大臣(当時)とズマ保健大臣の相互訪問が実現していることは喜ばしいことであります。 さて、国造りは人造りから始まると申しますが、確かに健全な体をもった人がきちんとした教育を受けられることが国の発展のためには何より重要でありましょう。また、教育と健康は、男女がともに分かち合うべきものであることも申すまでもありますまい。この様に、国民の健康、教育、女性の社会参画、そして、国民一人一人の経済活動や政治的な自由と社会の平和、この様な要素が、一国の発展にとっての基礎的な要件ではないでしょうか。まさに、昨年10月に東京で開いた第二回アフリカ開発会議(TICAD II)の結論として、打ち出された東京行動計画の主張と軌を一にするものであります。第二回アフリカ開発会議は、96年に私が開催を決断し、当時の池田外務大臣を南アフリカで開かれたUNCTAD総会に派遣してその場で開催について発表した経緯があります。会議には、ムベキ副大統領が出席して下さり、積極的に議論をリードして下さいました。また、ジンワラ下院議長も「アフリカのためのグローバル連合」の共同議長として参加下さいました。会議には、80か国、40の国際機関、22のNGOが参加し、アフリカ諸国のオーナーシップと世界とのパートナーシップに基づいたアフリカ開発につき議論したのです。自己責任と対等な関係、まさに心と心の関係の前提が共通認識として生まれたのではないでしょうか。 これからは、この東京行動計画の具体的なフォローアップが極めて重要であります。そのために我が国としては、対アフリカ協力を推進します。そのうち、幾つかの例を申し上げます。第一に、教育・保健医療・水供給分野で向こう5年間を目途に900億円の無償資金協力を行い、200万人の児童生徒への新たな教育施設の提供と1500万人以上の生活環境の改善を図ります。また、寄生虫病対策を進めるためのセンターをケニア及びガーナに設置する他、人口やエイズ、ポリオの問題への支援も進めて行きます。第二に、民間セクターが活発になれば、一国の経済開発は加速されるとの観点からアフリカにアジアの中小企業の関心をアフリカに向けるため、「アジア・アフリカ投資情報サービスセンター」を東南アジアに設置します。また、外貨収入獲得のためアフリカの観光産業も応援します 。第三に、紛争後の開発を促進するために、例えばモザンビークの地雷撤去に協力しております。これは、世界の対人地雷撤去と犠牲者支援のために日本が行っている5年間を目途に100億円程度の支援の一環であります。もう一つ言及すべき重要なことは、アフリカの債務問題です。これまで日本は債務救済無償資金協力を実施してきており、その額はこれまでに世界全体で約3000百億円、その内サブ・サハラ・アフリカ向けは約300億円に達しています。これを今後さらに拡充します。 南アフリカと日本との関係に目を向けて見ますと、新政権の発足以来、両国間の関係は大きく進展しました。昨年4月には、ムベキ副大統領が訪日した際に当時総理であった私と副大統領との間で「日・南ア・パートナーシップ・フォーラム」(二国間委員会)の設置に合意しました。今般、同フォーラムの事務レベル会合がプレトリアにおいて行われましたが、このフォーラムにおいては、日・南ア両国間の幅広い分野での関係強化をどのように図るかを検討しております。今後、このフォーラムを通じて両国の友好協力関係がなお一層強化されることを念じております。 両国間の貿易・投資関係については、我が国の厳しい経済状況にもかかわらず依然として堅調であり、南アフリカをアフリカとの経済交流の拠点と見る日本企業の認識は揺らいでおりません。南アフリカ政府は、最も大きな課題である雇用創出のために、ギア(GEAR・マクロ経済戦略)という健全な経済政策を推進していると承知しております。日本はギアを強く支持しています。そのため、例えば南アフリカの中小企業振興に協力します。また、治安の改善についても可能な範囲で技術協力を推進しております。 私は、アフリカ大陸が、歴史的な試練とも言える転換期を乗り切り、平和と繁栄の道を歩まれることを切に希望するとともに、アフリカ諸国の独自の改革努力こそが、21世紀のアフリカの開発と発展を支える源泉であると確信しております。日本は、80年前の第一次大戦後のヴェルサイユ会議において、世界で初めて人種差別撤廃条約の締結を唱えました。欧米列強の反対で同条約は日の目を見るに至りませんでしたが、すべての人種、すべての国家の平等こそ、私共の信念であります。アフリカと平等・対等な関係の中で、日本はアフリカの国民一人一人が「明日は今日より良い日に違いない」との信念を持てるようになるために、謙虚さの中でパートナーとしての連帯の手を差しのべたく存じます。自分は、このためにも日本国内で指導力を発揮して行く覚悟であります。 ご静聴有り難うございました。 |
橋本外交最高顧問演説 / 平成11年 / 目次 |
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