(1) | 1976年、マルコス政権(当時)とMNLFは、リビアの仲介により、ミンダナオ島南部13州の自治(但し外交、国防及び鉱物資源は中央政府に帰属)を定めるトリポリ協定に合意。その後協定の細目につき交渉がまとまらず、86年の2月革命後に実施された住民投票で4州のみが自治を受け入れた。 |
(2) | 92年以降、ラモス大統領はMNLFを相手に積極的に和平交渉を進め、インドネシアの仲介もあり、これまでに3回(第1回:93年10月、第2回:94年9月、第3回:95年11月)の正式交渉がいずれもジャカルタで開催された結果、停戦協定が締結され、自治政府の概要につき概ねの合意が得られたものの、自治政府設置の手続き及び範囲、MNLF兵士の国軍への編入等主要な懸案事項が残されていた。 |
(3) | 今回の第4回交渉においては、双方の歩み寄りの結果、南部14州の平和と開発に関する諸活動の監督・調整にあたる「南部フィリピン平和開発評議会(SPCPD)」の設置、同地域における自治政府の受け入れに関する住民投票の3年以内実施、MNLF兵士のフィリピン国軍への編入条件等につき合意がなされるなど主要な懸案事項が解決された。 |
(4) | 今回の和平合意については、SPCPD対象地域住民、議会内で若干の反対が見られるものの、上院において賛成多数で和平合意賛成決議が採択されるなど、和平合意を支持する動きが大勢となっている。 |