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-日本の国際平和協力の現実- 収録:平成16年8月27日
平成4年6月に「国際連合平和維持活動等に対する協力に関する法律」(国際平和協力法)が制定されて以来、「日本と国際平和協力」は日本外交の一つのテーマとなりました。日本は、国際平和協力法制定以降、可能な範囲内で最大限の貢献をし、着実に経験を積んできました。「日本と国際平和協力」が日本外交のテーマとなって約10年が過ぎた今、日本が現地でどういった活動し、それがどのように評価されているかを十分に理解したうえで、これからの日本の協力のあり方を考える必要性が出てきています。 今回は、日本の国際平和協力業務について第16次ゴラン高原派遣輸送隊長としてUNDOFに派遣された吉浦健志2等陸佐及び連絡調整要員として日本のUNDOFでの活動を支えた内閣府国際平和協力本部事務局の篠原賢治主査並びに大江耕太郎事務官にお話を伺いました。(大村) <UNDOFの概要> <日本の国際平和協力の実績>
吉浦:平成12年4月に、UNDOFへの参加を部内の人事担当者から打診されました。もともと国連平和維持活動(PKO)への参加を希望していまして、それも日本隊の隊長での参加ということで、私も非常に光栄に思い参加を志願しました。そして、面接等を受けまして派遣が決定しました。私が隊長を務めた第16次ゴラン高原派遣輸送隊は、平成15年8月から16年3月まで約6ヶ月間UNDOFに派遣されました。
吉浦:日本のゴラン高原派遣輸送隊は、いわゆる後方支援部隊としてUNDOFの活動に必要な食料品などの輸送、物資の保管、道路の補修、道路等の補修に必要な重機材等の整備を主たる業務としています。また、ゴラン高原は冬になると雪深くなるため、除雪作業も輸送部隊の重要な業務となっています。 中でも輸送業務は、非常に神経を使う業務でした。ゴラン高原は雨季において、時折濃い霧に覆われます。5メートル先が見えるか見えないかという環境に加えて現地の人はスピードも出しますし、交通ルールも違いました。 大村:篠原さんと大江さんは、連絡調整要員として、日本のUNDOFでの活動を支えていたわけですが、連絡調整要員は具体的にはどういった業務を行っているでしょうか。また、連絡調整要員として自衛隊の業務を間近で見ていたわけですが自衛隊の仕事振りはどうでしたか。
篠原:連絡調整要員から見た自衛隊の仕事振りは、日本人ならではの几帳面さが発揮されており、現地の住民や国連からも非常に高い信頼を得ていました。 大村:ゴラン高原は日本とは大きく環境が違ったと思います。大きく環境の違う場所での業務は非常に大きな負担がかかると思いますが、生活面で不便を感じることはなかったですか。 吉浦:部隊要員として参加する者達は、厳しい選考規準をクリアしまして、どのような環境でも業務及び生活できるスキルを持った者達です。また、自分達が行っている業務の重要性と自らの立場を非常に強く認識していますし、プロ意識も高くもっています。そのため、不便等を感じることは少なかったです。 ただ、6ヶ月という期間は非常に厳しいものですので、電話や手紙で家族と連絡を取り合ったり、隊員同士で体を動かしてリフレッシュしたり業務に支障がでないように努めていました。 大村:余談ですが、私自身、以前に陸上自衛隊の駐屯地で数日間生活体験をしたことがあるのですが、その時は活動開始を知らせるラッパが吹かれました。ゴラン高原でも活動開始の時間になるとラッパが吹かれたのですか。 吉浦:ゴラン高原では、業務開始時間は隊員によってバラバラでした。早朝から業務を行う者もいれば深夜業務を行っている者もいます。また、他国の部隊も同じ宿営地で活動しています。そのため、ゴラン高原では活動開始を知らせるラッパは吹かれていませんでした。ただし、国旗掲揚・降下の時にラッパを吹くことはありました。 大村:そもそもUNDOFが展開しているゴラン高原はどのような状況でしょうか。停戦ラインやUNDOF展開地域に現地の住民等が訪れることはあるのですか。 吉浦:ゴラン高原は、シリア側から見ると高低差が少ないため高原というより「平野」の端という感じです。一方、イスラエル側から見ますと、ゴラン高原は900mもの標高があるため、「壁」のように見えます。 UNDOFが監視している地域はAライン(イスラエル側)とBライン(シリア側)とありまして、その間が兵力引き離し地帯ということになります。兵力引き離し地帯にはイスラエル・シリア両国の軍人は入ってはいけないことになっています。また、イスラエルはAラインの西側、つまり自国よりにテクニカルフェンスという壁を作り物理的にゴラン高原への往来を遮断しています。他方、シリアにはそういった物理的に人の往来を遮るものはないためシリアの人は兵力引き離し地帯に普通に入ることができますし、そこに住んでいる人もいます。その人達は戦争が起こる前、UNDOFが派遣される前からそこに住んでいたわけですから、現在では再び土地に戻り普通に生活を営んでいます。ちょうどUNDOF司令部が発行している「ゴランジャーナル」にも兵力引き離し地帯に住んでいる羊飼いの人が写されています。この「ゴランジャーナル」の副編集担当しているのが日本から副広報幕僚として司令部に派遣された者です。 ただし、ラインの外側では、両国とも軍隊を配備しており、軍事演習を定期的に実施しています。このような状況の中で、ゴラン高原の平和は、UNDOFによって維持されているわけです。 <国連UNDOF展開図>
吉浦:やはり、日本での訓練で身につけた基本があれば自衛隊員もどの国の要員にもひけをとらないのだと再確認しました。 篠原:PKOについては、新聞やテレビ等でイメージが無かったわけではないですが、ゴラン高原に行って自衛隊員がブルーヘルメット(注:PKO要員が着用するヘルメットのこと)をかぶってUNDOF要員として活動しているのを見ますと、本当に現実のものとしてPKOを実感することができました。 また自分自身、現場でPKOの業務に携わっていくにつれてPKOについての知識や考え方が深まっていきました。特に、隊員が現地で活動するために、現地を含め世界各地でそれを暖かく支えて下さっている人達が多数いらっしゃることを知ることができ、「PKO=隊員」のイメージからより幅の広い認識へと変わりました。 大江:行く前は、PKOについてのイメージというものがなかなか掴めないでいました。そのため、現地に行ってみて初めてPKOについて実感をもてるようになりました。 行ってみて思ったことですが、日本がゴラン高原に派遣していることや現地での活動が、非常に高く評価され感謝されているのを感じました。 大村:今回の派遣で、最も印象深かったことは何でしたか。 吉浦:UNDOFでは、日本文化紹介や各国部隊要員間の交流行事を行っています。第16次ゴラン高原派遣輸送隊も、編成された地域(青森県)の特色を生かしたものを出したいと思いまして、ねぶた囃子を披露しました。他には、書道、茶道体験等の機会を設けまして各国要員と交流を行いましたが、この時の交流行事は、ゴランジャーナルにも非常に大きく載りました。この時の交流は、派遣期間の中でも非常に印象深かったですね。
大江:私も、連絡調整員としてテルアビブに赴任してすぐのことだったので非常に驚きました。 大村:その時、吉浦さんはゴラン高原に居たわけですが、緊張感や警戒のレベルが高くなりましたか。 吉浦:やはり、外出禁止の指示が出まして、その日は日曜日だったため数人が外出していたのですぐに呼び戻しました。 大村:今回の派遣は、自分自身に何をもたらしたと思いますか。 吉浦:海外に出たら日本人としての誇りを持つことが必要だと思いました。物怖じすることなく、自信をもって臨めば世界でも十分に通用すると確信しました。今後、海外に出る機会があれば、その時は今回の派遣で得た経験を活かしていきたいと思っています。 篠原:私は、今回の派遣を通してよりいっそう日本が好きになりました。私が赴任したシリアの人々は基本的に親日的ですが、それを差し引いても現地の人にはPKOや援助について非常に感謝される機会が多かったです。日本の国際平和協力や政府開発援助(ODA)、国際協力機構(JICA)あるいは非政府組織(NGO)や民間企業の活動等といったオール・ジャパンとしての政策がシリアの人達の役に立っていることを実感しました。 大江:私も篠原さんと同じで、日本のことを改めて好きになりました。私は、連絡調整員としてシリアとイスラエル両国に行ったのですが、シリアだけでなくイスラエルもまた非常に親日的です。両国における日本の存在感は我々が日本国内で感じているよりも大きいものだと思いました。日本が世界で非常に強い影響力を持った国であることを再認識しました。 大村:本日はどうもありがとうございました。
質問に対する答えの所々に垣間見る日本への「誇り」と「自信」が、任務で得た「自信」と高い評価と感謝に支えられた「誇り」であることは実際に聞いてみなければ知りえなかったことです。3名とも今回の経験を「次」に生かすことを考えていることを聞き、国民の一人として、日本の国際平和協力についていっそう考える必要性を感じさせられたインタビューでした。(大村) |
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