(1) 概要
ラトビアは1991年9月、ソ連からの独立を達成した。2004年3月に「緑と農民連合」のエムシス氏を首班とする「国民党」「ラトビア第一党」からなる少数与党連立政権が成立した。同年3月末には北大西洋条約機構(NATO:North Atlantic Treaty Organization)に、5月には欧州連合(EU:European Union)に加盟し、独立以来の悲願であった「欧州への復帰」が実現した。
西欧の東の辺境に位置するラトビアにとっての最大の内政、外交上の課題はロシアとの関係である。全人口の約4割はロシア語系住民であり、全人口の約3割、即ち、ロシア語系住民の大半が非国籍保持者となっている。また、ロシアとの間では、国境線も確定していない。但し、2004年9月に実施された教育改革後は、ラトビアへの帰化申請が大幅に増加して来ている。国境画定問題については、1997年、国境画定案は確定したが、現在まで署名には至っていない。
経済面では、ラトビアは木材加工、輸送機器、軽工業製品、加工食品などの製造業を主要産業としている。独立後、国際通貨基金(IMF:International Monetary Fund)の勧告に沿って経済改革を進め、価格の自由化、農産物に対する補助金の撤廃等の措置が採られ、1992年に960%に達していたインフレ率は1993年には35%に下がり、その後安定的にインフレ抑止が継続され、2002年では2.5%に低下した。2004年5月のEU加盟後消費者物価が上昇し始めた。同年8月の対前年比消費者物価上昇率は7.8%となり、景気の過熱が危惧されている。
1994年には国内総生産(GDP:Gross Domestic Product)成長率が独立後初めてプラスに転じた。1995年の銀行危機は経済全体に悪影響を及ぼし、成長率は再びマイナスとなったが、金融引き締めにより経済は回復し、1996年のGDP成長率は2.8%となった。1998年のロシア経済危機の影響を受け、GDP成長率が大きく落ち込んだが(1999年:0.1%)、貿易相手国の多角化等が功を奏し、2000年以降急速に回復している。2001年のGDP成長率は8%、2002年6.4%、2003年7.5%と、経済は順調に拡大してきている。
貿易は1994年に入超に転じ、1995年以降は貿易収支の赤字を記録している。1995年のEU諸国との自由貿易協定発効後、EU諸国との貿易が飛躍的に拡大した。主要貿易国としてはEU諸国が約7割を占めている。
(2) 開発課題
ラトビアの2003年の一人当たり実質GDPは2,300ラット、3,450ユーロであり、これはEU平均の41.5%に相当する。これを早急にEU平均に引き上げることがラトビアの課題である。政府はこれを20~30年間に達成するため、2010年にはEU平均の62%まで引き上げることを計画しており、このために年間8%のGDP成長を目標としている。
(3) 経済政策の特徴
EU加盟を果たしたラトビアは、開放経済政策を推進している。すなわち、安定的なマクロ経済環境の維持、インフレの抑制、生産性の増加、教育制度の改革、研究開発の促進、企業活動に合致した環境の整備、中でも、関連法規の簡素化、各国との経済関係の強化、税負担の低減、品質管理強化、環境保護、消費者保護、民営化の促進、汚職・腐敗の除去、情報社会の構築を目標として掲げている。
また、これらの実現のためにはEU構造改革基金及び調整基金を最大限に活用する計画である。また、それと同時に、経済発展のためには外資導入が不可欠として、ラトビア投資開発公社の強化発展を目指している。