[5]スロバキア

1.スロバキアの概要と開発課題

(1) 概要
 1989年のチェコ・スロバキアにおける民主革命後、1993年1月、スロバキアとチェコは平和裡に分離・独立し、別々の国家となった。
 独立後は、1994年秋の総選挙においてメチアル党首の民主スロバキア擁護運動(HZDS:Hnutie za Demokraticke Slovensko)が勝利し、右派と左派を取り込みメチアル政権が発足した。しかし、その権威主義的な政治手法等は西側諸国から批判を受けた。1998年9月の総選挙においては、HZDSに対抗する形で旧野党が連合し、ズリンダ首相を首班とする中道右派連立政権が成立した。同連立政権は、欧州連合(EU:European Union)、北大西洋条約機構(NATO:North Atlantic Treaty Organization)加盟を最優先課題として改革を進め、2002年9月の総選挙を経て、一部連立構成を変えながら現在も政権を担当している。
 経済面では、1993年の独立後、一時成長が落ち込んだが、1994年には積極的な民営化と緊縮財政政策を進め、成長率は上向きに転じた。スロバキア経済はその後も高成長を維持しており(2003年の国内総生産(GDP:Gross Domestic Product)成長率は4.2%)、インフレ率も東欧諸国の中では最も安定している。他方、内需拡大に伴う貿易赤字の増大、財政赤字拡大の問題が顕在化し、銀行の不良債権の増大等構造的問題も深刻化した。ズリンダ政権は、2009年のユーロ導入を目指し、財政赤字・経常赤字削減、銀行民営化等による経済基盤強化と失業率の低下のための施策を進めている。
 スロバキアは「欧州への復帰」を標榜し、安全保障の観点からのNATOへの加盟とともに、EUへの加盟を国家的目標としてきた。メチアル内閣時代には、政治面で民主化が遅れているとの理由で両機構の拡大の対象にはならなかったものの、その後成立したズリンダ政権は市場経済・民主化定着のための種々の改革を進め、2000年12月に経済協力開発機構(OECD:Organization for Economic Cooperation and Development)、2004年3月にNATO、2004年5月にはEUへの加盟をそれぞれ実現させた。

表-1 主要経済指標等

表-2 我が国との関係

表-3 主要開発指数


2.スロバキアに対するODAの考え方

(1) スロバキアに対するODAの意義
 我が国は、スロバキアに対し、同国の民主化、市場経済化を援助する観点から支援を実施してきた。他方、スロバキアのEU加盟(2004年5月)及びドナー国への移行をもって、これまで我が国が行ってきた経済協力の目的はほぼ達成されたと考えられる。このため、技術協力を中心とした当国への経済協力は漸進的に規模が縮小されつつある。
(2) スロバキアに対するODAの基本方針
 スロバキアの民主化・市場経済化が概ね達成されたと考えられることから支援分野等の絞り込みを行っていく必要がある。このため、2004年には、それまで実施されていた専門家(生産性向上)派遣も終了し、研修員受入れのみ受入れ人数を絞り実施している。
 当国は中進国にあたるところ、円借款での支援を検討する場合には、基本的に4分野(環境・人材育成・地震対策・格差是正)に限定されることになる。
(3) 重点分野
 スロバキアは、日系企業を含む外国企業誘致を積極的に進め、経済成長を促進しようとしていることから、進出日系企業の間接的支援につながるものや、同国のドナー国としての能力開発への支援となる分野が望ましいと考えられる。

3.スロバキアに対する2003年度ODA実績

 2003年度のスロバキアに対する技術協力は0.66億円(JICA経費実績ベース)であった。2003年度までの援助実績は、円借款110.94億円、無償資金協力4.15億円(以上、交換公文ベース)、技術協力14.69億円(JICA経費実績ベース)である。

4.留意点

 対スロバキアODAの実施に際しては、スロバキアは依然世界銀行の援助等を受けているものの、OECD加盟国として、2003年に策定された、2008年までの「中期ODA戦略」に基づき、2003年よりドナー国として第3国に対し援助を開始していることも念頭に置く必要がある。

表-4 我が国の年度別・援助形態別実績

表-5 我が国の対スロバキア経済協力実績

表-6 諸外国の対スロバキア経済協力実績

表-7 国際機関の対スロバキア経済協力実績

表-8 我が国の年度別・形態別実績詳細


プロジェクト所在図


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