(1) 概要
第二次大戦後、共産主義政党の一党体制が続いていたが、1990年に入り東欧の民主化の影響を受けて民主化が進められた。1992年3月の選挙後に戦後初の非共産主義政権となるベリシャ大統領の民主党政権が成立した。1997年6月に行われた総選挙では、旧体制下で政権にあった社会党が圧勝し、以来、同党は、党内対立による首相の交代を繰り返しながらも継続して政権についている。
アルバニアは1970年代後半から半鎖国的政策をとってきたが、1991年には欧米諸国と国交を回復、世界銀行、国際通貨基金(IMF:International Monetary Fund)に加盟した。民主党政権は親西側路線を明確にし、その後の歴代社会党政権も欧州への統合を目標としている。
経済面では、1993年以降は体制転換後の混乱を切り抜け国内総生産(GDP:Gross Domestic Product)も年率10%近い高成長を記録していたが、1997年はネズミ講倒産による混乱(注)で?8%の成長率となった。1999年3月のコソボ危機では40万人の難民が流入し影響が懸念されたが、国際社会の援助もあって経済は好調であり、近年は平均7%のGDP成長率を達成している。しかし、共産主義時代の統制経済と鎖国政策による経済の遅れを克服するに至っておらず、依然として欧州最貧国の一つである。
注)1997年1月以降、ネズミ講の破綻を発端として反政府市民の争乱が南部地域を中心に頻発し国内が混乱。イタリアを中心とする多国籍防護部隊等が治安回復に努力し、6月に議会選挙を実施することによりようやく事態は収束。
(2) 「国家社会経済開発戦略」
アルバニアの貧困削減戦略文書(PRSP:Poverty Reduction Strategy Paper)に該当する計画で、2001年11月に作成された。貧困削減のほか中期的な国家開発目標として策定されており、2015年までに達成すべき目標として以下につき具体的に数値を掲げている。
(イ) 実質GDP成長率(2003?2006年の3年間に24?26%、15年間で倍増)。
(ロ) 貧困層人口比率を削減。
(ハ) 乳幼児死亡率の削減。脱水症状疾病率の削減。
(ニ) 基礎教育就学率の向上。
これらの目標達成のため、以下の分野でのアクションが必要とされている。
組織とガバナンス、民間・金融部門開発、インフラ開発、人的資源開発、社会政策、環境保全、総合的農村開発、都市開発。