(1) 概要
バヌアツは、1980年に英国・フランスの共同統治下より独立し、大統領を元首とする共和国として出発した。他方、独立以来、英国系、フランス系の政党が政権争いを繰り返しており、内政は不安定な状態が続いている。
2002年に実施された総選挙の結果、ナタペイ首相(当時)率いるヴァヌア・アク党(VP、英国系)とボオール副首相兼外相(当時)率いる穏健政党連合(UMP、フランス系)との連立政権が成立したことにより、内政の安定化が期待できる状況となった。しかし、その後ボオール副首相兼外相と親密な関係にあるとされるソペ元首相の補欠選挙当選を受け、ナタペイ首相が先手を打ってUMPを政府与党から排除すべく内閣改造を実施し、UMPとの連立を解消した。2004年5月、内閣不信任動議可決を阻止すべく、ナタペイ首相は議会を解散し、7月に総選挙が実施された結果、ボオールUMP党首が首相に選出され、新政権を樹立した。新政権樹立後も、与野党の水面下での引き抜き工作が激しく行われ、最大野党である国民連合党(NUP)が与党側に加わることになり、ボオール政権は、議会において安定多数を獲得した。
外交面では、1991年まで、非同盟主義を外交政策に掲げていたが、その後は西側諸国及び地理的に近接している太平洋島嶼国との友好関係維持に努めている。2004年8月、ボオール首相が、オーストラリアの援助関係者をスパイとして非難し、オーストラリア連邦警察関係者に対し国外退去を命じたことにより、オーストラリアとの関係が一時緊迫化した。
我が国との関係は、種々の経済協力を背景に極めて良好であり、2003年5月に沖縄で開催された第3回太平洋・島サミットには、ナタペイ首相(当時)が参加した。
(2) 国家開発計画
経済面では、経済的自立、人的資源開発、国内天然資源の効果的開発等を目的とした第三次国家開発計画(1992~1996年)を導入し、社会・経済開発に取り組んできたが、国内経済が農林水産業等の第一次産業に依存(国内総生産(GDP:Gross Domestic Product)の約5分の1)しており、輸出額が輸入額の約22%(1999年)に止まるなど多額の貿易赤字を抱えている他、国内インフラ基盤が脆弱であるため外国援助に対する期待が大きい。構造改革の一環としてアジア開発銀行(ADB:Asian Development Bank)の協力を得て1997年半ばより開始された包括的改革計画(CRP:Comprehensive Reform Programe)の下、投資誘致、輸出促進、小規模企業の育成、農村部の経済活動の奨励等を通じ、民間セクター活性化を図っている。、最近では、外貨獲得手段の一つとして観光業の振興・促進に力を入れている。