10年間続いたフジモリ政権からパニアグア暫定政権を経て2001年7月に現トレド政権が発足した。トレド大統領は貧困撲滅と雇用の創出を最大の目標と位置付け政策を実施したが、政権発足後3年を過ぎても失業率、貧困状況とも改善が見られず、汚職等の問題もあって国民の不満は解消されず、2002年6月の南部アレキパ市での電力公社民営化に対する抗議行動、非常事態宣言発出にまで至った。2003年6月の教職員労組の全国スト、2004年7月のゼネスト等が発生している。
外交面では、トレド政権は貿易の最大の相手国でもある米国との関係を最重視する一方、中国や我が国を始めとするアジア諸国との間でも貿易、投資等の経済関係を中心に関係を強化しており、1998年にはアジア太平洋経済協力会議(APEC:Asia Pacific Economic Cooperation)に加盟した。また、同年に隣国エクアドルとの間で紛争の原因となった国境問題につき和平合意を遂げ、チリとは領海線確定のため交渉中である。また、ペルーはコロンビア、ベネズエラ、エクアドル、ボリビアとともにアンデス共同体(CAN:Comunidad Andina)を構成し、域内の貿易や協力関係の促進に努めている。
経済面では、1980年代後半の保護主義経済により一時はインフレ率年間7千%を記録したものの、1990年代のフジモリ政権下におけるネオリベラリズム経済政策によりインフレは鎮静化している。トレド政権もフジモリ政権の経済政策は基本的に踏襲している。1990年代後半にアジア経済危機等の影響もあり経済は停滞したが、世界規模のアンタミナ鉱山(銅、亜鉛)開発(我が国の企業も資本参加)等もあり、2002年と翌2003年には経済成長率は4%を超えている。鉱物資源価格の高騰による輸出の好調に伴う外貨準備高の増加と低いインフレ率、為替の安定などマクロ経済上では中南米の中でも最も安定した国の一つとなっている。
対外経済面では、ペルーは米国のアンデス貿易促進麻薬根絶法(ATPDEA:the Andean Trade Promotion and Diug Eradication Act.)の恩恵を受け、多くのペルー産品が関税無しで対米輸出されている。同法が2005年に期限切れとなるため、現在米国との二国間FTAを交渉中。アンデス共同体内の経済自由化はかなり進んでいる。
ペルーは、1873年、中南米で我が国と最初に外交関係を結んだ国で、現在、世界第3位の約8万人の日系人の努力もあって我が国との間に伝統的に友好関係が存在する。
(1) ペルーに対するODAの意義
同国は鉱物資源や農水産物資源に富むことから、資源に乏しい我が国とは経済的補完関係にあり、安定した協力関係を維持しつつ発展を遂げることは我が国にとっても重要である。ペルーでは民主化と市場経済化を推し進めるとともに、麻薬やテロ問題にも繋がる貧困対策にも意欲的に取り組んでいるところ、こうした取組を支援することは、ODA大綱の重点課題の一つである「貧困削減」や「地球的規模の問題への取組」の観点からも意義は大きい。
(2) ペルーに対するODAの基本方針
我が国のペルーに対する経済協力は、民生向上のための上下水道整備、教育、保健医療等の社会分野での協力、潅漑施設整備、農業技術移転等の農業分野での協力、首都圏及び地方幹線道路等のインフラ整備への協力、自然災害時の緊急援助等幅広い分野で実施しており、同国の経済発展及び貧困緩和に貢献している。
(3) 重点分野
2000年8月、我が国は対ペルー国別援助計画を発表し、以下の分野を対ペルー援助重点分野としている。
(イ) 貧困対策:農業生産インフラ・生産方法の近代化支援、上下水道整備、コカ葉代替作物の栽培
(ロ) 社会セクター支援:教育(研修、機材整備)、母子保健、家族計画の推進、保健・医療施設(機材供与)
(ハ) 経済基盤整備:運輸、電力、通信・放送等の経済インフラ整備、農林水産業の体質強化・改善、鉱山開発及びエネルギー開発の推進、観光開発
(ニ) 環境保全:大気汚染・水質汚濁対策や廃棄物処理、産業公害対策等の公害問題対策や温暖化等の地球環境問題対策を中心とした支援
(1) 総論
2003年度のペルーに対する無償資金協力は3.16億円(交換公文ベース)、技術協力は9.68億円(JICA経費実績ベース)であった。2003年度までの援助実績は、円借款は3,583.45億円、無償資金協力は542.42億円(以上、交換公文ベース)、技術協力は418.51億円(JICA経費実績ベース)である。
(2) 無償資金協力
草の根・人間の安全保障無償資金協力では、「リマ市貧困地区における女性のためのケア施設改善計画」他33件、文化無償資金協力を2件実施した。
(3) 技術協力
開発計画、インフラ分野の専門家を派遣し、2003年には150名の研修員の受入れを行った。また、防災、水産分野で第3国研修を実施している。
トレド政権下では、「民主化への移行支援」を目標として、政府及び、ドナー間の協調・連携を進めるため2002年に新援助庁(APCI:Agencia Peruana de Cooperacion Internacional)が設立された。しかし現在ペルーにおいては包括的開発の枠組みを中心とするようなある一定のルールの下、全ドナーが参加する規模の援助協調は存在しない。度重なる機構再編により援助窓口機関が弱体化したこと、国際援助(借款・無償資金協力)がGDP比に比して1.8%程度に過ぎないという援助のインパクトの問題や、有償、無償援助の担当部署の二極化が援助協調の具現化を阻んできた。
貧困削減戦略文書(PRSP:Poverty Reduction Strategy Paper)に相当する貧困克服国家計画(PNSP:Poverty National Strategy Paper)は、大統領令の下2003年1月より策定が開始された。同時に政府が各方面との基本合意を模索するツールとして設立した国民合意会議が重点政策を打ち出す一方で、その実施計画は別途首相府において策定されている。さらに政府の2002-2006国家戦略や各省庁の政策ラインも別途存在するなど、国策の重点事項が見え難い状況にあり、現地タスクフォースとして情報収集・分析に努めている。また、財政支援型援助やバスケットファンドの例はまだ存在しないため、援助協調は個別プロジェクトを囲む二国間レベルに止まる。
現在、メンバー国間での重複を避けるために援助配置マトリックスを策定中の欧州連合(EU:European Union)の例や米国国際開発庁(USAID:United States Agency for International Development)を議長とする地方分権化促進サブ・グループのような例がある。
(1) 治安
1991年7月のJICA専門家殺害、1996年12月の大使公邸占拠事件により、専門家の派遣等については、安全対策面に慎重な配慮を要する。
治安については、日本大使公邸占拠事件後は、2002年3月に在ペルー米国大使館付近で爆弾事件があったほか、山岳地帯やテロ活動の資金源と連動していると見なされている一部麻薬栽培地帯での小規模な治安部隊との衝突があるものの、大規模なテロ活動は発生していない。
しかし、依然貧困問題は、解決されないことなどから、一般治安面の悪化傾向が指摘されている。