(1) 概要
1989年12月の米軍によるパナマ侵攻後に発足したエンダラ政権は、混乱した国内治安・経済の再建、中南米諸国との関係正常化等に努め、1994年に発足したペレス・バヤダレス政権は貧困の大幅削減、貧富の格差是正に取り組んだが必ずしも十分な成果が得られなかった。1999年9月に発足したモスコソ政権は4つの基本方針(貧困緩和、人権擁護、社会正義の実現及び環境保全)の下、各種政策を通じ国民生活の改善を図ることを目標とした。同政権の下、同年末パナマ運河が米国から返還され、米軍も完全に撤退したことを受けて、港湾関連施設や観光施設の建設や、学術都市(CIUDAD DE SABER)としての開発など返還地域の開発が進められている。2004年の大統領選挙では、トリホス候補が大統領に就任、前政権からの課題を引き継いでいくことになり、今後の政策に関心が集まっている。
経済面では、国内資本が十分蓄積されていないことから、外国投資の誘致に積極的に取り組み、中継貿易関連のサービス業振興やコロン・フリーゾーン(自由貿易地区)の活性化、国際金融センターの発展を実現した。経済構造は、サービス産業の割合が大きく、中南米最大の物流・金融センターとして中南米貿易に大きな影響を与える一方、同地域の情勢変化の影響を受けやすい構造となっている。
また、近年は国際システムへの参加に積極的であり、1997年には世界貿易機関(WTO:World Trade Organization)に加盟した。また、我が国を中心とする東アジア諸国への接近、関係強化にも努めている。米州自由貿易地域(FTAA:Free Trade Area of the Americas)構想にも積極的であり、自由貿易協定(FTA:Free Trade Agreement)に関しては、2003年1月、初めてのFTAがエルサルバドルとの間で発効した他、2003年8月に台湾とのFTAを締結、2003年4月には米国との交渉が開始された。
米軍侵攻後の1990年以降、マクロ経済は堅調に推移し、1997、1998年には比較的高い経済成長を記録したが(1997年6.4%、1998年7.4%)、モスコソ政権においては、中南米経済の不振により、フリーゾーンから中南米諸国への再輸出が落ち込んだこと、病害・干魃により農水産業が打撃を受けたこと、1999年の米軍撤退により基地経済が消滅したこと、2001年9月の米国同時多発テロ事件による観光業へのマイナス影響などにより、経済成長が鈍化した。2003年より回復を見せ始めたものの、失業率は12.8%(2003年)と依然として高い水準にあり、今後、雇用対策も含めた産業構造調整計画の円滑な実施や、国際金融機関からの新規融資獲得などに向けた自助努力が必要である。
我が国は米国、中国に次ぐパナマ運河の利用国(2003年米国会計年度、運河通行総貨物量の16.3%は我が国発着地)である。中でも特に、パナマ運河の主要なルートである北米東海岸からアジアへ向かう貨物(主に、大豆やとうもろこし等の穀物)の約4割は我が国に向かう貨物であり、我が国の対米・対中南米貿易におけるパナマの重要性は非常に大きい。また、同国の便宜置籍船制度の利用や海運、国際通商面において、我が国とパナマは緊密な関係を有する。