(1) 概要
ガイアナは、1966年に英国より独立し、1980~1985年にかけて社会主義政策を推進したが、1985年以降経済自由化、民主化、西側先進国との関係強化を推進するようになった。1997年末の大統領選挙では、敗れた野党が選挙に不正があったとして抗議行動を起こし、1998年1月には大規模なデモが行われるなど治安情勢が悪化した。カリブ共同体(カリコム)の仲介により、デモの中止、大統領任期の3年への短縮を含む憲法改正及び選挙結果の審査に関する国際的検証の実施等につき与野党間で合意が成立し、情勢は沈静化した。翌1999年8月には健康上の理由で大統領が辞任し、ジャグディオ新大統領が就任した。2001年3月に行われた総選挙の結果、同大統領が再選を果たし、野党党首との党首会談も実現したが、与野党協力は現在まで不調に終わっている。
外交面では、米国をはじめとする西側諸国との関係強化に努めつつ、非同盟諸国との連帯関係を維持している。また、近年、同国を含むカリコム加盟諸国は、外交政策で共同歩調をとるなど国際社会における発言力を強めてきており、国連を始めとする国際機関等においては共同体内で意思統一や政策調整を行っている。なお、カリコム事務局はガイアナに所在している。
経済面では、主要産業である農業及び鉱業の他、漁業も盛んである。1980年代には、主要輸出品である砂糖や米、ボーキサイトの国際価格の低落及び経済政策の失敗もあって経済は低迷を続けたが、1992年以降公営企業の合理化・民営化等に努め、為替切下げ・経済自由化を柱とする経済復興計画を推進した。その結果1997年まで7%を超える高い経済成長率を記録した。しかしながら、同年末の総選挙を巡る政局混迷と金及び米の価格低落により1998年に経済が落ち込んだ。1999年に「重債務貧困国」(HIPCS:Heavily Indebted Poor Countries)に認定、2003年12月に拡大HIPCイニシアティブの完了時点に到達し、債務救済が実施されることとなった。
(2) 貧困削減戦略文書(PRSP:Poverty Reduction Strategy Paper)
ガイアナが策定した貧困削減戦略文書(PRSP)は、2002年5月に完成した。同文書では、マクロ経済、制度・規制、民間セクター開発、貧困に資する経済基盤、伝統的セクター、グッド・ガバナンス、教育、保健、水道、公衆衛生、住宅、直接的貧困対策、社会安全ネットワークプログラムの設計、PRSPを実施する政府機関の強化等、成長を支えるインフラの諸分野での取組が取り上げられている。