(1) 概要
ドー大統領政権下での政権腐敗、国内対立等を主因として1989年の反乱軍の武装蜂起により始まった内戦は、断続的にその後14年以上続いた。1995年のアブジャ合意に基づき和平プロセスが徐々に進展し、内戦がいったん終結した1997年に、国連、西アフリカ諸国経済共同体(ECOWAS:Economic Community of WestAfrican States)等の国際監視団の下、大統領・副大統領選挙及び上院・下院選挙が実施された。この選挙の結果、チャールズ・テーラー国民愛国党議長を大統領とする新政権が発足した。しかし、その後、ギニア国境における戦闘の発生を端緒に政府と反政府勢力との戦闘に発展し、不安定な状態が続いた。
2003年8月、チャールズ・テーラー大統領はナイジェリアに亡命し、リベリア政府と反政府勢力諸派の間の和平会議、国連PKO(国連リベリア・ミッション(UNMIL: United Nations Mission in Liberia))の展開の設立を経て、10月にブライアント議長の下で移行政府が発足した。今後は、2005年に選挙、2006年に本格政府が発足する予定。
外交面では、内戦以前は、非同盟中立の立場をとりつつ、米国をはじめとする西側諸国との基本的には良好な関係を保つとともに、近隣アフリカ諸国との関係強化を図っていた。1997年に内戦がいったん終結し新政権が発足すると、先進諸国はリベリアに対し、民主化の促進、保健・医療等の分野での支援を実施する意向を示したが、2001年3月、リベリア政府がシエラレオネの反政府勢力を支援し、同国の内戦状況に介入しているとして、国連安保理は同国に対する制裁を決議。リベリア産ダイヤモンド原石の禁輸及びリベリア政府関係者の渡航禁止等からなる措置を講じ現在に至っている。
経済面では、内戦以前は、天然ゴム、鉄鉱石、カカオ、木材等の一次産品の輸出を主たる柱としていたが、内戦で推定15万人の死亡者、220万人以上の難民が出たと言われ、国内総生産(GDP:Gross Domestic Product)総額も1989年の11億ドルから近年は2.5億ドルへと激減するなど、経済は著しく疲弊している。