(1) 概要
1975年の独立以降内戦が続いていたが、イタリアの仲介の下で和平交渉が行われ、1992年10月モザンビーク包括和平協定が調印された。独立後初の複数政党制の下で実施された1994年10月の大統領選挙では、シサノ大統領が選出された。シサノ政権の下、長年の内戦等で流出した170万人の難民は帰還を終え、和平は定着した。1999年12月、第2回総選挙は平穏に行われ、シサノ大統領が再選され、同国における民主化及び復興・開発への努力は着実に進んでいる。また、2004年12月に第3回総選挙が実施され、ゲブーザ大統領が選出されている。
外交面では、独立以来非同盟主義を掲げつつ旧社会主義諸国との親密な関係を保持してきたが、1983年頃を境に、経済開発を進める必要から英国等の先進諸国(モザンビークは1995年に英連邦加盟)との関係強化に努めている。近年は南部アフリカ開発共同体(SADC:Southern African Development Community)及びアフリカ連合(AU:African Union)の加盟国としての活動にも力を入れている。
経済面では、肥沃な土地に恵まれた農業国であり、漁業を含む第一次産業は国内総生産(GDP:Gross Domestic Product)の3分の1を占める。輸出用換金作物(カシューナッツ、綿花、砂糖等)の生産が多いのが特徴である。
内戦、干ばつ、経済政策の失敗等により、1980年から1986年の間に国民総生産(GNP:Gross National Product)は30%、輸出は75%減少したが、1987年以降、国際通貨基金(IMF:International Monetary Fund)世界銀行の支援の下、構造調整計画に取り組んでおり、農業開発に重点を置く一方、財政・税制改革を行い、民間部門の活性化、経済の自由化、貧困の撲滅等を目標に経済再建計画を実施している。
近年、モザンビークのマクロ経済は、年平均8%以上の経済成長を示す等好調な成果を上げ、南アフリカ共和国その他の諸国からの直接投資が増加している。2000年度の成長率は洪水災害の影響で2%台に落ち込み、石油輸入に伴う外貨事情の悪化、内戦で破壊された経済インフラ復旧の遅れ、南アフリカ共和国に対する経済的依存等の構造的問題を抱えてはいるものの、アルミや天然ガス等の大規模プロジェクトの貢献も相まってモザンビーク経済は着実に成長している。
(2) 「絶対貧困削減行動計画」(PARPA:The Action Plan for the Reduction of Absolute Poverty)
モザンビークは貧困削減戦略(PRS:Poverty Reduction Strategy)として2001年-2005年の5年間を対象にPARPAを策定した。
同計画策定の背景には、1996/1997年の家計調査の結果、人口の約70%が絶対的貧困という実態が浮き彫りになったことがあげられる。その原因としては、1990年代に入るまでの低経済レベル、
経済活動適齢人口の教育レベルの低さ、
国民の大多数が従事する家族農業の低生産性、
低就労率、
特に農村地域でのインフラ整備の遅れ等が指摘されている。
2005年までに総人口の60%以下、2010年までに総人口の50%以下にまで貧困率を削減することを目標としている。重点分野は教育(初等分野のみならず職業訓練や識字教育、中等教育等を含む)、
保健(HIV/AIDS及び感染症。女性、子ども、妊産婦が主な対象)、
農業及び農村開発(生産性の向上及び市場へのアクセスの確保による収入機会の向上)、
基礎インフラ(給水システム及び道路等)、
グッド・ガバナンス(地方分権化、公共セクター改革、法律・司法制度改革及び、汚職追放)、
マクロ経済及び公共財政管理(財政・金融・為替政策、予算資源の配分、財政支出管理、国際貿易の促進及び、債務管理の強化等)の6分野である。