(1) 概要
独立以降長年の間、軍事政権もしくは一党支配が続いていたニジェールでは、1989年以降、民主化の流れの中で、大統領選挙、国民議会選挙等が実施されたが、1995年1月の選挙の結果過半数を占めた野党側が成立させた内閣と大統領の対立が顕在化した。こうした中、1996年1月マイナサラ国軍参謀長が民主化プロセスのやり直し等を求めてクーデターを起こし、2月には民政移管宣言、7月には大統領選挙が実施され、マイナサラ新大統領が誕生した。1999年の同大統領殺害後、軍部によって設置された国家和解評議会議長のワンケ少佐が暫定国家元首となり、2000年1月からの民政移管を目指すスケジュールを発表した。1999年11月の大統領選挙の結果、ママドゥ・タンジャ大統領が選出され、2000年1月新内閣が発足した。
就任5年目を迎えたタンジャ大統領は当初公約した地方診療所拡充、就学率向上のための小学校建設及び村落開発用治水ダム建設など、国民の基礎生活分野の充実に積極的に取り組み、その手腕は国民からも高く評価され、多くの支持を集めている。同大統領による政権運営の成功はニジェールの民主化が着実に根付きつつあることの証左であり、2004年11月13日に実施される大統領及び国民議会選挙は、今後のニジェールにおける民主化を見極める上でも重要なものとなる。
外交面では非同盟中立を標榜しつつ、近年の厳しい経済状況を背景に旧宗主国であるフランスをはじめ、米国、ドイツ、我が国等主要先進諸国との関係強化に努めている。また、イスラム会議機構、サヘル諸国干魃対策委員会、西アフリカ諸国経済共同体(ECOWAS:Economic Community of WestAfrican States)等の地域機構に参加し、現在タンジャ大統領は西アフリカ経済・通貨同盟(UEMOA:West African Monetary & Economic Union)の議長として積極的な活動を行っている。
ニジェール経済は、主に伝統的な農牧業と1970年代から急成長したウラン産業により成り立っているが、ウラン市況の低迷、天候不良による農作物の生産の落ち込み等により低迷している。
(2) 「貧困削減戦略文書(PRSP:Poverty Reduction Strategy Paper)」
ニジェールは、1996年7月より世界銀行・国際通貨基金(IMF:International Monetary Fund)支援の下で開始された構造調整政策の着実な実施が求められている。拡大重債務貧困国(HIPCイニシアティブの対象国であることから、PRSPが策定されており、同文書では、マクロ経済・財政的安定、
農村地域における生産セクターの開発、
貧困層の社会サービスアクセス向上、(
政府内外及び都市・農村レベルでの制度・個人のキャパシティ強化の4つを重点の柱としている。2004年4月、ニジェールは完了時点(CP:Completion Point)に到達し、債務救済を受けることとなった。