[24]赤道ギニア

1.赤道ギニアの概要と開発課題

 1979年のクーデターによりオビアン・ンゲマ政権が成立して以来、長期政権が続いている。1991年に複数政党制が導入され、国民議会選挙、地方選挙及び大統領選挙が実施されたが、選挙結果の透明性を巡り、野党との対立が発生した。その後も、選挙を実施するたびに選挙プロセスの透明性等に対して、野党や諸外国から批判が寄せられており、2004年4月に実施された国民議会選挙及び市町村選挙においても、与党赤道ギニア民主党 (PDGE)の大勝に対して同様の疑義が呈された。また、同国においては、表現の自由の侵害や反体制派に対する人権侵害が問題視されてきたが、1997年には選挙法改正・人権尊重を目的とする国民合意が成立するなど、民主化に向けた取組みは継続している。2004年3月にはクーデター未遂事件が発生し、関係者がハラレ(ジンバブエ)及び首都マラボにて逮捕され、現在裁判が進行中である。
 外交面では、善隣外交を基本に、先進援助国との友好関係増進に努める現実路線をとっている。1985年にフラン圏に加入し、1997年9月に仏語を第二公用語とする等フランスとの友好関係の強化を図っており、人権問題により悪化していた旧宗主国スペイン及び欧米諸国との関係は徐々に改善されつつある。特に米との関係は、石油開発を背景とした経済関係の強化とともに急速に改善されてきており、2003年10月には1995年以降閉鎖されていた在赤道ギニア米国大使館が再開された。また、中部アフリカ経済通貨共同体、中部アフリカ諸国中央銀行等の地域機構に加盟し、近隣諸国との協力にも努めている。
 1992年にビオコ島沖合のアルバ油田で原油生産が開始されて以来、従来よりのカカオ、コーヒー、木材に加え、原油が新たに輸出産品に加わった。1996年にはマラボ沖合のザフィーロ油田、2000年には大陸沖のセイバ油田でも原油生産が開始され、現在ではサブサハラ諸国では、ナイジェリア、アンゴラに次ぎ第三位の産油国となっている。しかしながら、国民大多数は依然貧困に喘いでおり、石油収入によりかえって貧富の格差が拡大したとの指摘もある。

表-1 主要経済指標等

表-2 我が国との関係

表-3 主要開発指数

2.赤道ギニアに対するODAの考え方

 赤道ギニアでは、原油生産により国民所得は上昇したが(1人当たりの所得水準は、1995年が380ドル、2001年が700ドル)、国民の多くは貧困に直面していると見られており、援助需要は大きい。他方、我が国としては、同国の民主化の進捗、人権問題等にかんがみ、研修員受入れ等の技術協力を中心に実施するにとどまっている。
 今後は、同国の民主化の進展、人権問題の改善状況を見極めつつ、援助実施を検討していく必要がある。

3.赤道ギニアに対する2003年度ODA実績

(1) 総論
 2003年度の赤道ギニアに対する技術協力は0.03億円(JICA経費実績ベース)であった。2003年度までの援助実績は、無償資金協力11.70億円(交換公文ベース)、技術協力2.89億円(JICA経費実績ベース)である。
(2) 技術協力
 職業訓練、人的資源開発分野で2名の研修員受入を行った。

表-4 我が国の年度別・援助形態別実績

表-5 我が国の対赤道ギニア経済協力実績

表-6 諸外国の対赤道ギニア経済協力実績

表-7 国際機関の対赤道ギニア経済協力実績

表-8 我が国の年度別・形態別実績詳細


プロジェクト所在図



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