[17]サントメ・プリンシペ

1.サントメ・プリンシペの概要と開発課題

 1975年の独立以来、ダ・コスタ大統領の独裁が続いていたが、1990年に複数政党制を導入、1991年の大統領選挙でトロヴォアダ候補が当選した。1994年10月の総選挙でダ・コスタ大統領率いる「サントメ・プリンシペ開放運動」(MLSTP)が第一党となったため大統領と政府与党の政党が異なる状況(コアビタシオン)が続いていたが、2001年7月の大統領選でトロヴォアダ大統領派のデ・メネゼス元外相が当選、同年9月には内閣を改造し、コアビタシオンを解消した。2002年3月の国民議会選挙により、複数政党制導入以来初の挙国一致内閣が誕生した。2003年7月にクーデター未遂事件が起こったものの無血終結し、引き続きデ・メネゼス大統領政権が継続している。しかしながら、大統領派の野党改革民主運動(MDFM)と与党MLSTPとの対立が激しく、2004年3月には大統領派MDFM4閣僚がダス・ネイヴィス首相(当時)の要求を受ける形で辞任、9月にはダス・ネイヴィス首相が外国援助に絡むスキャンダルの疑いで更迭され、新内閣が任命される等、政治的不安定は続いている。
 外交面では、旧宗主国ポルトガルと緊密な関係にある他、フランス等を中心とする先進国寄りの現実的外交(1997年11月仏語圏諸国会議機構に加盟)を推進している。特に、近隣諸国及びポルトガル語圏アフリカ諸国との友好関係は緊密であり、地域内の経済開発に関する相互協力体制の確立を図っている。
 経済面では、輸出収入の約9割を占めるカカオ生産以外主たる産業がなく、1980年代に始まった一次産品価格の低迷により経済は大打撃を受けた。1987年から世界銀行・国際通貨基金(IMF:International Monetary Fund)の支援の下、構造調整に着手したものの、内政混乱による不適切な財政政策もあり、大量失業、多額の対外債務残高を抱える等経済状況は芳しくない。一方、近年の調査により同国周辺海域において石油鉱床の存在が確認され、2003年10月にはナイジェリアとの共同開発鉱区の入札が行われた。ただ、実際の石油生産の開始は2010年以降になるであろうと見られている。
 我が国は、サントメ・プリンシペに食糧品等の再輸出品を輸出し(2002年輸出額1億418万円)、同国から整流器類、建築用石材等を輸入している(同年輸入額3214万円)。

表-1 主要経済指標等

表-2 我が国との関係

表-3 主要開発指数

2.サントメ・プリンシペに対するODAの考え方

(1) サントメ・プリンシペに対するODAの意義
 サントメ・プリンシペの経済はカカオ生産に過度に依存する脆弱なものであり、1980年代の一次産品価格低迷により大打撃を受け、その後も経済不振が長期化し、1人当たりの国民総生産(GNP:Gross National Product)は280ドルに過ぎない。このような状況にかんがみ、同国に対し、ODAにより基礎生活分野を中心に支援を実施することは、ODA大綱の重点課題の一つである「貧困削減」の観点から意義が大きい。
(2) サントメ・プリンシペに対するODAの基本方針
 今後とも、サントメ・プリンシペの民主化と経済改革努力に呼応する形で、同国の貧困削減等への取組を支援する方針である。同国は拡大重債務貧困国(HIPC)イニシアティブの対象国であることから無償資金協力と技術協力を中心に支援を実施していく。
(3) 重点分野
 我が国は、食糧援助、水産分野等の無償資金協力、保健医療、通信(電化)、農業分野での研修員受入れ等の技術協力を中心に援助を実施してきている。

3.サントメ・プリンシペに対する2003年度ODA実績

(1) 総論
 2003年度のサントメ・プリンシペに対する無償資金協力は1.50億円(交換公文ベース)、技術協力は0.05億円(JICA経費実績ベース)であった。2003年度までの援助実績は、無償資金協力38.29億円(交換公文ベース)、技術協力6.38億円(JICA経費実績ベース)である。
(2) 無償資金協力
 慢性的な食糧不足を改善するために必要な米を購入するための資金につき、1.5億円の食糧援助を実施した。
(3) 技術協力
 農業、保健医療などの分野における第三国研修を含む8名の研修員を受け入れた。

表-4 我が国の年度別・援助形態別実績

表-5 我が国の対サントメ・プリンシペ経済協力実績

表-6 諸外国の対サントメ・プリンシペ経済協力実績

表-7 国際機関の対サントメ・プリンシペ経済協力実績

表-8 我が国の年度別・形態別実績詳細


プロジェクト所在図



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