(1) 概要
1997年5月、ローラン・デジレ・カビラ議長率いるコンゴ・ザイール解放民主勢力同盟(ADFL:Alliance of Democratic Forces for the Ciberation of Congo)は首都キンシャサを制圧し、この結果、同議長が大統領に就任し、国名をザイール共和国からコンゴ民主共和国に変更した。しかし、1998年8月初めに、再度、同国東部地域で反政府勢力が武装蜂起し、ルワンダやウガンダ等周辺国が介入した複雑な国際紛争に発展した。1999年8月に紛争当事国間で停戦合意が成立したが、その後も断続的に戦闘が行われ、不安定な状態が続いた。2001年1月、カビラ大統領が殺害され、息子のジョゼフ・カビラ将軍が新大統領に就任すると、同大統領の下で国内和平交渉(国民対話)が進展し、2002年12月プレトリア包括和平合意が成立、2003年6月に金紛争当事者が参加しての暫定政権(2年間)が発足した。今後、2005年6月を目標に国民議会選挙・大統領選挙を実施し、独立後初の民主的政権への移行を予定しているが、2004年3月及び6月には首都キンシャサでクーデター未遂事件や6月には国連コンゴ民主共和国ミッション(MONUC)に対する暴動が起きるなど東部地域での治安も完全に回復しているとはいえず、不安定要因が残っている。
外交面では、南部アフリカ開発共同体(SADC:Southern African Development Community)、中部アフリカ諸国経済共同体(CEEAC:Economic Commuunity of Central African States)諸国との友好を掲げ、敵対していたルワンダ、ウガンダとの関係改善にも意欲的であり、西側諸国の支援も本格化しつつある。
経済面では、基本的に銅、コバルト、ダイヤモンド、石油、木材等の輸出により外貨収入を得ている。1970年代末期以降、銅価格の低迷等により経済困難に直面しており、1991年来のモブツ政権末期の情勢混乱、1996年から1997年5月のカビラ政権誕生に至るまでの紛争、1998年8月からの紛争等で経済インフラは大きな被害を受け、後退した。1999年より、国際通貨基金(IMF:International Monetary Fund)、西側諸国等の支援もあり、為替相場の安定、インフレの抑制にも成果が見られている。2003年12月にはパリにおいて支援国会合が開催され、大湖地域における同国の安定の重要性から国際社会の関心も高く、各国ドナーから予期した以上の支援表明がなされた。2004年11月にも、首都キンシャサにて同様の支援国会合が行われた。
我が国は、コンゴ民主共和国から原油、コバルト、銅等を輸入し(2002年輸入額38.93億円)、自動車等を輸出している(同輸出額15.37億円)。
(2) 貧困削減戦略文書(PRSP:Poverty Reduction Strategy Paper)
コンゴ民主共和国は、拡大重債務貧困国(HIPC)イニシアティブの適用を受けるに当たり、貧困削減戦略文書(PRSP)を作成し、2002年6月に暫定版(I-PRSP)の策定を完了し、現在、最終版(F-PRSP)を策定中である。