コンゴ共和国では、1991年1月に複数政党制を導入したが、1997年6月、同年7月実施予定の大統領選挙を巡ってリスバ大統領派とサス・ンゲソ前大統領派との間で紛争が発生した。同年10月、軍事的勝利を収めたサス・ンゲソ前大統領が大統領に就任した。
その後、1998年1月に「統一と国民和解に関するフォーラム」が開催され、さらに1999年12月には政府軍と旧政権の民兵との間で停戦合意が署名されたことにより、難民の帰還、旧民兵の武装解除が行われるなど治安は回復に向かった。2001年3月から旧反政府勢力を含めた「除外なき国民対話」が開催され、同年12月に新憲法草案に関する国民投票、2002年3月に新憲法下での大統領選挙が行われ、同年8月にサス・ンゲソ大統領は民主的に選出された国家元首として大統領に就任した。
しかしながら、大統領選挙の後、プール州においてニンジャ兵が再起し、プール州各地で散発的戦闘行為が繰り返された。2003年3月、政府はニンジャとの間で停戦合意協定に署名したが、同年12月、2004年3月に元民兵との間の衝突事件が発生している。リスバ前大統領、コレラ元首相は海外に亡命したままとなっている。
外交面では、従来の旧社会主義諸国との関係重視から、経済関係を中心にフランスやアメリカをはじめとする先進諸国との関係強化へ移行している。
主要産業は石油、農業、林業及び畜産業である。労働人口の約60%は農業に従事しているが、国内総生産(GDP:Gross Domestic Product)の約66%、輸出の約95%は石油に依存している。1997年に勃発した内戦等により経済は大きな打撃を受けたが、1999年の停戦合意以降、内戦で破壊された橋の再建や鉄道輸送の再開等が行われている。
我が国は、コンゴ共和国から石油、木材等を輸入し(2002年99億2210万円)、同国に自動車、鉄鋼板等を輸出している(同輸出額8億8992万円)。2003年9月に東京で開催された第3回アフリカ開発会議(TICADIII:The Third Tokyo International Conference on African Development)にはサス・ンゲソ大統領が出席(初訪日)した。
(1) コンゴ共和国に対するODAの意義
コンゴ共和国では、内戦による難民の発生、インフラの破壊等が見られるところ、治安状況や同国政府の援助受入能力に留意しつつ、紛争下の緊急人道支援、紛争終結後の平和の定着や国造りのための支援を行うことは、ODA大綱が掲げる「平和の定着」の観点からも意義が大きい。
また、政情が不安定なコンゴ共和国では政府による十分な保護が期待できず、難民等は正に人間に対する直接的な脅威に直面しているところ、ODAを活用してこれら難民等に対する支援を実施していくことは「人間の安全保障」の観点からも重要である。
(2) コンゴ共和国に対するODAの基本方針
日本の対コンゴ共和国に対する経済協力は、1993年に同国の政情・治安が悪化したことに伴い、研修員受入れを除き実質的に停止され、さらに1997年の内戦により政情が再び不安定となったことから、実際には国連難民高等弁務官事務所(UNHCR:The Office of the United Nations High Commissioner for Refugees)経由の緊急援助及び世界食糧計画(WFP:World Food Programme)経由の食糧援助を実施するにとどまっている。ただし、1999年末に停戦合意の成立を受け、2000年に研修員受入れを再開したほか、同国の内戦によって荒廃した国内状況にかんがみ、現在、人間の安全保障分野における支援を検討している。
更なる援助の可能性については、2003年3月に署名された政府と反政府組織との停戦合意協定を受けた同国の和平プロセスの進展、治安状況の推移及び同国行政機構の援助受入能力等を見極めつつ慎重に検討していく。
(3) 重点分野
コンゴ共和国に対しては、これまで国際機関経由で食料援助等を実施してきている。今後、紛争が終結すれば、平和の構築の観点から、基礎生活基盤の復旧、元兵士の動員解除や社会復帰、行政能力向上等についても検討されることになる。
(1) 総論
2003年度のコンゴ共和国に対する無償資金協力は2.00億円、技術協力は0.02億円(JICA経費実績ベース)であった。2003年度までの援助実績は、無償資金協力19.02億円(交換公文ベース)、技術協力2.01億円(JICA経費実績ベース)である。
(2) 無償資金協力
WFP経由の食糧援助でツナ缶を供与した(2億円)。
(3) 技術協力
人的資源開発、保健医療分野で4名の研修員受入を行った。