(1) 概要
コートジボワールでは、1999年のクーデターと2000年の大統領選挙を経て、翌2001年バグボ政権が誕生した。同政権の下で順調に民主化プロセスが進むかに思われたが、2002年9月、一部軍隊が武装蜂起し、国土の約4割に当たる北部・西部地域を反乱軍グループが占領・支配するに至った。
2003年1月旧宗主国フランスのイニシアチブによりいわゆる「マルクシ」合意が得られ、3月に全勢力が参加した国民和解政府が樹立され、また、この合意の適用を促進させるべく、5月には国連コートジボワールミッション(MINICI)が設置された。しかし、「マルクシ」合意の適用は必ずしも順調に進んでおらず、今後の和平プロセスの進展が再び危惧されている。
経済面では、コートジボワールは、西アフリカ経済・通貨同盟(UEMOA:West African Monetary & Economic Union)8カ国の国内総生産(GDP:Gross Domestic Product)の約40%を占めるなど、経済面において西アフリカの牽引的役割を果たしている。
同国の基幹産業は農業であり、GDPの26%、輸出総額の約60%、農業就業人口は労働人口の68%を占める。主な農業産品は、コーヒー(2003生産量世界7位)、カカオ(2003生産量世界1位:全世界の約40%)である。この他、主な輸出産品として、石油製品(近年急激に増加)、木材などがある。
1970年代にカカオにより潤った経済は、1980年代以降の国際価格の低迷、膨大な対外債務により経済的危機に陥り、1989年から、国際通貨基金(IMF:International Monetary Fund)・世界銀行の下で構造調整計画を開始した。しかし、経済改善策が不十分であるとしてIMFの融資が停止され、ガバナンス問題によるEUの援助停止、1999年のクーデター発生に伴う他の主要ドナーの援助凍結等によって再び経済状況は悪化した。2002年には民主化プロセスの進展に伴い、世界銀行、IMF、欧州連合(EU:European Union)等が援助の再開を決定したものの、同年9月に発生した危機により国土が二分されることとなり、経済活動は大きな制約を受けている。開発援助も緊急人道支援を除き大幅に縮小されている。
(2) 開発基本計画
(イ) 貧困削減戦略文書(PRSP:Poverty Reduction Strategy Paper)については、コートジボワールの開発基本計画となるべく策定作業が進んでいたが、2002年9月の危機により、完成直前で中断を余儀なくされた。現在、水面下でPRSP策定再開準備が進められているものの、当面、策定作業再開の目途は立っていない。2002年9月時点の重点取組事項は次のとおりとなっている。
力強く持続的な経済成長、貧困者を対象とした財政分野の強化
富と雇用を創出する観点からの農村開発、民間セクター、経済構造の強化
公共サービスへの公平なアクセス及びその質の改善、環境保全、弱者・女性の参加促進
開発プロセスへの住民参加及び地域間格差を緩和による地方分権
良い統治の促進、資源の利用・分配を保証に向けた能力向上
人間の正義、安全及び財産の強化
(ロ) 2002年の危機では大きな社会的・経済的損失が発生したが、これら損失に対する復興・開発計画については、現時点で事実上国が二分された状況が続いており、まとまった計画の策定には至っていない。
他方、同危機以降、ストップしていた西北部における行政機能の再開を目指し、行政再展開国家委員会(CNPRA)において、復興にかかる教育、保健、インフラ等必要な行政投資計画等が議論されるなど、一部に国家復興計画の策定の動きも見られるようになっている。