(1) 概要
ヨルダンは、東西南北を域内強国に囲まれており、中東情勢が国内の安定に直結している。全人口の約3分の2がパレスチナ人であること(全人口の約31%がパレスチナ難民)からパレスチナ情勢の影響を最も受けやすく、特に隣国イラクとの経済関係はヨルダンにとって死活的に重要である。1999年3月、フセイン国王が死去して長男アブドッラー王子が国王に即位した。新国王は、国民の生活レベル向上を最優先課題と位置付け、自ら経済政策の決定過程に深く関与し、行財政、教育、メディア、司法等の各方面での改革を推進してきている。2001年に見送られた下院選挙は2003年6月に実施され、政党政治の確立に向けた政治改革も着手されつつある。
ヨルダンは中東和平プロセスの主要なプレーヤーであり、1994年にイスラエルとの和平条約を締結し、2000年9月末のイスラエル・パレスチナ間の衝突発生後も一貫して、和平プロセス再開を目指して積極的かつ建設的な外交努力を展開してきている。2002年3月のアラブ和平構想の発表に際しては中心的な役割を果たし、ブッシュ政権に対して中東和平問題への積極的関与を促してきている。2001年9月の米国での同時多発テロ事件発生を受けて、アブドッラー国王は米国のメディアに繰り返し登場し、国際的なテロとの戦いには、過激派を育む民衆感情の根源である政治的・経済的問題への対処が必要であり、特にパレスチナ問題の公正な解決が不可欠であると主張してきた。2003年の対イラク戦争に関しては、アブドッラー国王は中東全体に重大な結末をもたらすと事前に警告し続けてきたが、戦争が不可避と判断すると、湾岸戦争での教訓も踏まえ国益を究極的に検討した結果、米国の行動を非公式に支持し、戦後はイラク復興支援に独自の貢献を行っている。
ヨルダンは、1980年代末から国際通貨基金(IMF:International Monetary Fund)の構造調整政策を受け入れ、マクロ経済バランスの維持に努力してきている。特にアブドッラー国王即位以降、経済のグローバル化の推進に積極的に取り組み、2000年にWTOへの加盟を実現し、米国と自由貿易協定を締結し、2001年には欧州連合(EU:European Union)との自由貿易協定を締結した。一定の経済成長を遂げているが、年率3%前後という高い人口増加率を反映して一人当たりの国内総生産(GDP:Gross Domestic Product)の伸びは2000年以降も1~2%と低迷している。水資源のポテンシャル(国民一人当たりの水資源腑存量)は世界で二番目に低く、都市人口の急増に伴う飲料水や農業用水の確保が恒常的な課題となっており、最近では下水の再利用を含めた統合的な水資源管理に本格的に着手している。人口増加率と若年層の人口割合が高いことから雇用の確保が重要課題である。失業問題に加え貧困問題も深刻であり、特に地方の生活水準及び生産性の向上が課題である。首都圏では生活基盤が優先的に整備されてきたが、南部3県(マアーン、カラク、タフィーラ)をはじめとする地方においては社会資本の整備が遅れている。
(2) 経済・社会開発計画
「国家社会経済開発行動計画」(The National Social and Economic Action Plan:2004-2006)は、全ての国民の所得の向上、生活水準の向上、外国からの援助依存体制からの脱却を目指して、人的資源開発、基本的公共サービス、地方開発と貧困緩和、制度・構造改革の4つの視点から政府の取組を明記している。
同計画は、地域的、外的要因に左右されない自律的成長が可能な経済とするため、ヨルダンを資源略奪型経済から知識経済型経済へと転換することを最大の課題と位置付けている。これは社会・経済的に持続可能な開発の達成と基礎的社会ニーズの改善を通じて全ての国民の生活水準を向上させるための取組を、公共投資、民間投資、構造改革の3つの視点から示した「社会経済転換計画」(The Social and Economic Transformation Program: 2002-2004)の実施を継承したものである。
なお、2002年には水・灌漑分野の国家戦略及び教育部門の開発戦略が発表されている。