(1) 概要
1991年12月、ソ連の解体とともに独立国家となった。現職のコチャリャン大統領は、1998年の選挙で当選し、2003年に再選されている。1999年10月、国会内で銃撃事件が発生し、首相、国会議長等が死亡する事態となったが、その後政治情勢は安定化しつつある。
アルメニアにおいて最大の課題は隣国アゼルバイジャンとのナゴルノ・カラバフ紛争の解決である。アルメニアは、隣国トルコとは歴史的な理由から外交関係をもたず、アゼルバイジャンとは紛争が解決していないため、軍事面を含めロシアとの関係が強い。グルジア、イランとも良好な関係を維持しているほか、移民が海外に多く居住していることもあり、欧米諸国との結びつきも緊密である。
1988年12月に同国北部をおそった大地震で産業施設などに壊滅的な打撃を受け、さらに、ナゴルノ・カラバフ紛争やグルジアでの民族紛争等を背景とした周辺国による経済封鎖に大きな影響を受けたが、いずれの紛争も沈静化した結果、経済的に必要な物資はやや安定的に輸入されるようになっている。同国は早くから改革路線を打ち出し、国際通貨基金(IMF:International Monetary Fund)とも協調して1992年には価格自由化、国営企業の民営化など、市場経済化に向けての改革努力を行ってきており、これを背景にインフレが大幅に収束し、2002年、2003年は2年連続して2桁の経済成長率を実現するなど、経済的に立ち直りはじめている。
(2) 貧困削減戦略文書(PRSP:Poverty Reduction Strategy Paper)
2003年11月にPRSPが策定された。重点分野としては、各種社会保障制度(社会扶助、社会保障、所得政策)、公共投資プログラム(農道、給水、灌漑)、農村貧困の軽減、教育サービス、保健サービスの向上、難民と国内避難民の貧困削減等が挙げられている。
(1) アルメニアに対するODAの意義
アルメニアはソ連崩壊後の新たな自由主義国家であり、また、同国の積極的な民主化、市場経済導入の動きはODA大綱の基本方針の一つである「開発途上国の自助努力支援」の観点からも望ましいものである。
(2) アルメニアに対するODAの基本方針
我が国は、アルメニアが1994年1月開発援助委員会(DAC:Development Assistance Committee)リストパートIに掲載されODA対象国となる以前の1991年から、研修員受入れ等の協力を開始している。旧ソ連諸国に対する緊急人道支援の一環として、1993年以降同国に対して医薬品や難民向けの生活必需品の供与を中心に499万ドル相当の支援を実施している。さらに、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR:Office of the United Nations High Commissioner for Refugees)を通じた難民支援の実施に当たり、1993年以来同国に総計430万ドルを拠出している(一部はナゴルノ・カラバフ紛争関連)。我が国は、同国が人材不足や経済インフラの老朽化、環境悪化等の問題に効率的に対処し、経済的な困難を克服して国造りを行えるよう、支援を行っている。
(3) 重点分野
1996年7月に実施した政策協議を踏まえ、以下を重点分野としている。
(イ) 経済構造の基礎固め
(ロ) エネルギーセクター
(ハ) 運輸インフラの整備
(ニ) 灌漑・給水システムの改善
(ホ) 社会セクター(保健医療、教育、失業者・貧困対策)
(1) 総論
2003年度のアルメニアに対する無償資金協力は2.20億円(交換公文ベース)、技術協力は2.38億円(JICA経費実績ベース)であった。2003年度までの援助実績は、円借款53.99億円、無償資金協力47.58億円(以上、交換公文ベース)、技術協力10.23億円(JICA経費実績ベース)である。
(2) 円借款
1998年度には、初の円借款として「送配電網整備計画」に対する円借款の供与を行った。
(3) 無償資金協力
1997年には初の無償資金協力として食糧増産援助及びノンプロ無償を供与し、また、2000年度には、初の一般プロジェクト無償案件「アルメニア医療センター医療機材整備計画」を供与した。2003年度は食糧増産援助を実施した。
(4) 技術協力
当初は行財政、マクロ経済等の分野での研修員受入に限定されていたが、医療分野、教育分野、市場経済分野、各種行政分野等を中心に研修員受入れを行っている。
対アルメニア支援のトップドナーである米国が同国をミレニアム挑戦会計の対象国に選定したことを踏まえ、今後の米国の援助動向につき留意する必要がある。