(1) 概要
1991年12月、ソ連の解体とともに独立国家となった。独立後しばらく混乱が続いたが、1995年11月の大統領選挙の結果、元ソ連外相であるシェヴァルナッゼが選出され、2000年4月に行われた大統領選挙においてもシェヴァルナッゼ大統領が再選された。しかし、解決の目処のたたない民族紛争、農業を中心とする経済の低迷に加えて、エネルギーの恒常的な不足、汚職の蔓延により、シェヴァルナッゼ政権に対する国民の不満は高まった。2003年11月に実施された国会議員選挙に際して、野党勢力が選挙の不正を訴え抗議行動を激化させた結果、シェヴァルナッゼ大統領は辞任を余儀なくされ(いわゆる「バラ革命」)、2004年1月に実施された大統領選挙においてサーカシヴィリ現大統領が圧倒的支持を受けて当選した。2004年3月に実施された国会議員再選挙(比例区部分)においても、政権与党が大多数を獲得した。
外交面では、サーカシヴィリ政権は腐敗撲滅、民主化の促進を標榜し、EU加盟を目標としていることから、欧米諸国との関係が強化されつつある。一方で国内の民族問題(アブハジア及び南オセチア地域)や隣接するチェチェン地域を巡る対応などで利害が対立するロシアとの関係は複雑である。
経済面では、元来牧畜、農業を主要産業としており、資源に乏しい。独立直後、国内総生産(GDP:Gross Domestic Product)が前年比で半減するなど、 極端な経済不振に陥る一方、アブハジア及び南オセチアにおけ1998年夏以降のロシアの金融危機の影響、慢性的なエネルギー不足等により対外債務や財政赤字が拡大してきた。サーカシヴィリ政権は、2003年6月策定された「経済発展・貧困削減計画」に基づく経済社会政策を実施する一方、西側からの支援の増加、行財政改革などを梃子にこうした経済的困難を克服しようと努めている。また、アゼルバイジャンのカスピ海石油開発に伴う、グルジア経由黒海へのパイプライン稼働による通過料収入の経済波及効果への期待が高まっている。2004年6月、ブラッセルにおいて支援国会合が開催され、欧米や我が国及び国際金融機関より総額約10億ドルの支援表明がなされた。
(2) 貧困削減戦略文書(PRSP:Poverty Reduction Strategy Paper)
グルジアでは2003年にPRSPが策定された。戦略目標として、持続可能な経済開発と貧困削減を掲示。優先事項として、ガバナンスの向上、
マクロ経済の安定、
構造的・組織的環境の改善、
人的資源開発、
社会リスク管理と社会保障の改善、
経済的優先セクターの開発、
天然環境の改善、
ポスト紛争地域の社会的・経済的リハビリ、
科学・情報技術の開発、が挙げられている。