(1) 概要
スリランカは、1948年に英国の植民地から独立し、1952年に我が国との外交関係を樹立した。スリランカは、サンフランシスコ講和条約において、我が国に課された戦後賠償を他国に先駆けて自発的に放棄し、戦後における我が国発展のための政治的・経済的な国際環境の形成に大きく貢献した伝統的な親日国であり、また、1948年の独立以来、基本的に民主選挙による政権選択を維持している民主主義国である。
経済政策においては、1977年に成立したJ.R.ジャヤワルダナ政権は市場開放経済を導入し、1978年には憲法により国名を「スリランカ民主社会主義共和国」に変更し、国際社会の一員として市場経済に対応すべく経済構造改革への努力を進めた。1980年代後半には、肥大化した公的部門の整理、対外債務の削減、財政改革の推進等を国際通貨基金(IMF:International Monetary Fund)、世界銀行等より強く指摘された。
この背景から、1994年-2001年のクマーラトゥンガ大統領による人民連合(PA:People's Alliance)政権時代にも、開放経済が維持され、民営化を含む構造調整が進められた。また、2001年-2004年の統一国民党(UNP:United National Party)政権時代には、2002年12月に「リゲイニング・スリランカ」と題して、民間市場経済を活性化し、国内の生産性を高めて経済発展を目指す経済構造改革政策が発表された。このように、当国政府は、1977年以降、政権交代が行われても一貫として市場経済を基軸とした経済構造改革を進め、市場経済育成、財政改善等に努めている。これまで伝統的にコメと三大プランテーション作物(紅茶、ゴム、ココナッツ)に依存していた形態から、繊維産業等の工業化や経済多角化に努力し、1990年代より概ね年平均約5%の経済成長率を維持してきた。
なお、2004年4月の総選挙により、大統領派を主軸とする新政権(統一人民自由連合(UPFA:United People's Freedom Alliance))が誕生したが、新政権においても、当国の中長期的な経済成長を確保するために、引き続き経済構造改革を進めることが表明されている。スリランカは、地政学的な地の利を活かして南西アジア諸国、東南アジア諸国連合(ASEAN:Association of Southeast Asian Nations)との外交・経済面での関係強化に努めており、自由貿易協定をインドと締結し、更にシンガポール、タイ等との間で締結に向け調整を進めている。
(2) 和平への道筋と国際社会
スリランカにおいては、多数民族シンハラ人と少数民族タミル人との民族対立が内政上最大の問題となっている。約20年間にわたりスリランカ政府と北・東部の分離独立を目指す「タミル・イーラム解放の虎(LTTE:The Liberation Tigers of Tamil Eelam)」との間で内戦が続いてきたが、ノルウェー政府の仲介を得て2002年2月に停戦合意が結ばれた。我が国は、和平交渉への積極的な役割を明確にするため、同年10月に「スリランカの和平構築及び復旧・復興に関する日本政府代表」として明石元国連事務次長を任命し、さらに、2003年6月に、我が国において51か国・22国際機関の参加を得て「スリランカ復興開発に関する東京会議」を開催した。
同会議で採択された「東京宣言」の中で、国際社会は、今後4年間で約45億ドル(我が国は3年間で10億ドル)の支援を表明した。また、この中で、和平プロセスを前進させるため「平和の配当」としての人道復興支援は迅速に行いつつも、北・東部等の本格的な復興開発支援のためには、スリランカ政府及びLTTEの両当事者による和平交渉進展への明確なコミットメントが必要なこと、また、国際社会による支援は「和平の進展と密接にリンク」されるべきことが合意された。
「東京宣言」を受けて、同年7月に政府側の暫定行政機構案が、同10月にLTTE側の対案が提出された。しかし、当時、野党PA出身であるクマーラトゥンガ大統領とその対立勢力であるUNPのウィクラマシンハ首相率いる政府との間で、いわゆる政治的ねじれ現象が生じていたため、クマーラトゥンガ大統領は、UNPの和平プロセスへの対応が不十分として、同年11月に国防大臣、マスコミニケーション大臣、内務大臣を罷免し大統領自らが任に当った。更に、政治への国民の信を問うとして2004年2月に国会を解散し4月に総選挙を実施した。その結果、大統領派を中心とする統一人民自由連合(UPFA)政党が政権与党となる等政権交代がおきた。こうした内政の混乱等により和平プロセスが、現在、一時的に停滞している状況にある(2004年9月現在)。
(3) 国家開発計画
2002年12月に、同国の5年間の開発の枠組みを示した経済再生政策「リゲイニング・スリランカ」が発表されたが、2004年4月の総選挙によって誕生した新政権下においては、新たに「強力な国家経済のための新経済規律」を発表している。