(1) 概要
1988年、全国的な民主化要求デモにより26年間続いた社会主義政権が崩壊したが、国軍がデモを鎮圧するとともに、国家法秩序回復評議会(SLORC:The State Law and Order Restoration Council)を組織し政権を掌握した(1997年、SLORCは国家平和開発評議会(SPDC:State Peace and Development Council)に改組)。1990年には総選挙が実施され、アウン・サン・スー・チー女史率いる国民民主連盟(NLD:National League for Democracy)が圧勝したが、政府は民政移管のためには憲法が必要であるとして政権移譲が行われないまま今日に至っている。
2003年8月、キン・ニュンSPDC第一書記(当時)が首相に任命され、その際の就任演説において、新憲法起草のための国民会議再開や総選挙実施を柱とする7段階からなる民主化のためのロードマップを発表した。ミャンマー政府は、ロードマップの第一段階にあたる国民会議を2004年5月17日より7月9日まで開催した。2004年11月末、次回会合についてミャンマー政府は2005年2月に実施する旨発表した。また、2004年1月には、ミャンマー政府と同国最大の反政府少数民族武装勢力であるカレン民族同盟(KNU:Karen National Union)との間で和平交渉が行われ、暫定的な停戦合意に達した。2004年10月には、政府内で穏健とも目されていたキン・ニュン首相が汚職事件の責任を問われて解任され、ソー・ウインSPCD第一書記が首相に就任した。
1962年以来、農業を除く主要産業の国有化等社会主義経済政策を推進してきたが、その閉鎖的経済政策等により外貨準備の枯渇、生産の停滞、対外債務の累積等経済困難が増大し、1987年には国連より後発開発途上国(LLDC:Least among Less Developed Countries)の認定を受けるまでに至った。
1988年に成立した現政権は、社会主義政策を放棄する旨発表すると共に、民間貿易の自由化、外国投資法の制定、国境貿易の合法化等開放的経済政策を推進してきた。このような経済政策を受けて1992年から1995年まで高い経済成長率を達成したが、1997年のアジア通貨危機以降、経済成長が鈍化した。同国経済は、非現実的な為替レートや硬直的な経済構造、電力、道路、通信等の経済インフラの未整備、外国投資の低迷、先進国からの援助の停止、米国による経済制裁等多くの制約を抱えている。
他方、最近では、経済構造改革を通じて経済成長を実現しようとするミャンマー政府の新たな動きも見られる。2003年には、コメの取引自由化を発表したほか、空港における外貨兌換券(FEC:Foreign Exchange Certificate)への強制両替を停止し、公務員・軍人向けのコメ及び食料油配給制度を廃止した。2003年12月末には、バングラデシュと国境を接するラカイン州沖合の海中で大規模なガス田が発見されている。また、タイ、中国、インド等の近隣諸国はミャンマーに対して積極的に経済交流・経済協力を行う姿勢を明確にしている。
(2) 第3次5か年計画(2001-2005年度)
(イ) 1988年に政権を掌握したSLORC(1997年、国家平和開発評議会(SPDC)に改称)は、それまでの計画経済体制を放棄し、種々の開放的な経済政策を採用した。1992年度には「第1次経済計画」(1992-1995年度)が発表された(年平均国内総生産(GDP:Gross Domestic Product)成長率7.5%(実績値))。次に「第2次経済計画」(1996-2000年度)が発表され(年平均GDP成長率8.4%(実績値))、現在は、「第3次経済計画」(2001-2005年度)が施行されている。「第3次経済計画」では、目標を年平均GDP成長率6%、一人当たりGDP伸び率4.9%としている。
(ロ) 重点課題
(a) 農業を基礎とした産業の発展
(b) 産業発展を支える電力・エネルギーセクターの発展
(c) 農業・水産業の発展による国内需要の充足と輸出促進
(d) 植林と緑地化の推進
(e) 教育と保健医療改善による人的資源開発
(f) 農村開発
(g) 全セクターにおける発展
(h) その他
・経済成長の促進
・財政赤字の縮小と2003年度からの黒字転換
・インフレの抑制
・2004年度からの対外経常収支の黒字転換