2002年10月10日、下院及び州議会選挙が実施された。同総選挙は、99年10月の無血クーデターによりムシャラフ政権が発足して以来、初めての選挙であり、パキスタンの「民政復帰」への分水嶺と位置づけられた。
同下院選挙の結果、ムシャラフ大統領を支持するムスリム連盟カーイデ・アーザム派(PML‐Q)が第1党となったが、過半数を獲得するには至らなかった。
その後、各党による連立協議が難航したが、2002年11月、下院においてジャマリPML‐Q幹事長が首相に選出され、ジャマリ政権が発足した。また、ムシャラフ大統領は、99年10月のクーデター以降掌握してきた行政権を同政権に移譲する旨表明した。
外交面では、非同盟やイスラム諸国との連帯を重視しつつ、インドとの対抗上、中国との関係を重視し、西側諸国との友好関係を強化する路線をとっている。98年5月の核実験、99年5~7月のカシミール・カルギルでの戦闘、99年10月の無血クーデター後、米国始め主要国との関係が悪化したが、2001年9月の米国同時多発テロ以降、「テロとの闘い」の前線国家として国際社会への協力姿勢を示したことから、関係を改善してきている。
対インド関係は、パキスタンの外交上最大の比重を占めている。2002年5月、印側カシミールにおいてテロ事件が発生し、再びインドとの関係が緊迫化した。国際社会は印「パ」両国間の全面戦争や核戦争へのエスカレーションの可能性が懸念された。米国を中心とする国際社会による緊張緩和に向けての働きかけもあり、6月中旬以降、緊張が若干緩和したが、管理ライン及び国境での両国軍の対峙した状況に変わりなく、危険な状況が続いた。
膠着状態が続くなか、昨年10月16日、インド政府は「パ」国境付近に展開する自軍の再配置の決定を発表し、翌17日、パキスタン政府は印国境付近に展開する自軍の撤退を決定しており、その後、撤退はほぼ完了した模様。
2003年4月以降、印「パ」両国は、大使の交換や交通の再開等を発表し、両国関係改善に向けた前向きな動きが見られる。7月には両国大使の交換や両国間のバス運行が再開された。
経済面では、農業部門が、GDPの約1/4、就労人口の約半分を占めるが、天候に左右されやすい脆弱性を有している。同国は、一人当たりGNPが約450ドルの開発途上国であり、開発需要は多いが、恒常的な財政赤字と貿易赤字を抱え、外国援助に大きく依存した経済となっている。
ムシャラフ政権は、2000年に史上最悪の干魃の影響により産業・経済界に多大な損出を受けながらも、疲弊した経済の再生に取り組み、IMF主導の緊縮財政を誠実に履行。国際金融機関やドナーの信頼を取り戻すことに成功した。
2001年9月の米国同時多発テロは、パキスタン製品の注文取り消しや輸送コストの大幅増加等により、貿易面で深刻な影響を及ぼしたが、国際社会と協調してテロと闘うパキスタンに、多くの国が財政支援等を表明した。また、2001年12月には、約13億ドルのIMF融資の承認を受けるとともに、パリクラブで約125億ドルを対象債権とする寛大な条件での公的債務の繰延が合意された。