90年の民主化運動を経て国王親政体制から複数政党制による議会制民主制に移行した。94年の第2回総選挙以降、下院で過半数を制する政党がなく、頻繁に連立政権が変わる不安定な政局が続いたが、99年の第3回総選挙では、コングレス党が単独過半数を獲得した。しかしながら、2002年5月、コングレス党内の確執を原因に下院解散となった後、同年10月、ギャネンドラ国王はデゥバ首相が当所の予定通り同年11月に選挙を実施できないことを理由として同首相及び内閣を解任し、新たにチャンド首相及び新閣僚を任命した。なお、2003年5月のチャンド首相辞任後、国王はタパ氏を新首相に任命した。
ネパールは、マオイスト(毛沢東主義過激派)による武装闘争の問題を抱えてきた。マオイストは2001年7月に一旦武装闘争を停止し、政府と3回の交渉を行った後、同年11月に闘争を再開したが、これに対し政府は軍を動員して治安回復を図りつつ、マオイストに対し停戦と対話を呼びかけてきた。その結果、2003年1月、政府及びマオイスト双方による停戦合意に至り、同年4月及び5月に第一回及び第二回の和平交渉が開催された。
外交面では、中国、インド両大国に挟まれているという地政学上の事情もあり、非同盟中立主義及び近隣諸国との友好関係の維持を基本方針としている。南アジア地域協力連合(SAARC)の常設事務局はカトマンズに設置されている。また、58年から国連PKOに参加しており、2002年11月現在までに延べ約3万9,000人を派遣した。
経済面では、輸出の伸び悩み、治安悪化による観光業の不振を主因に、2000年度に5%に達した経済成長率は、2001年度には0.8%まで低下した。主産業は農業(GDPの約4割、就業人口の約8割)であり、その他の主要産業は観光業と繊維加工業である。財政は恒常的な歳入不足による赤字構造を呈しており、不足分を借入と外国援助で補っている。加えて最近は治安維持活動費の増加が財政悪化要因となっている。貿易赤字は財政赤字と並びネパール経済最大の懸案である。なお、主要輸出品目はカーペットと既製服であり、主要輸入品目は石油製品、金、糸、化学肥料、輸送用機械等である。
2002年から開始された第10次5カ年計画は、経済の活性化を促す投資、環境整備に加え、教育・保健分野や女性・社会的弱者の支援に注力する内容となっている。なお、97年より、貧困撲滅、地方開発に重点を置き、土地改革、農業設備の近代化灌漑整備を通じた農業生産性の向上に取り組むべく、今後20年の長期的視野に立った「農業展望計画(APP)」が開始されている。
我が国との関係では、我が国皇室とネパール王室の間の往来に加え、ネパールの民主化後は国会議員間の交流も盛んであり、両国関係は極めて友好裡に推移してきている。97年2月には、日・ネパール外交関係40周年記念行事の一環として秋篠宮・同妃両殿下がネパールを御訪問され、2001年には故ディペンドラ国王(当時皇太子)が訪日された。また、98年11月にコイララ首相が訪日し、99年3月には橋本元総理が、2000年8月には我が国の首相としては初めて森総理(当時)がネパールを訪問している。2006年は日・ネパール国交樹立50周年を迎える。