スリランカは、48年の英国からの独立以来、政権の交替が全て選挙を通じて行われている民主主義国家である。2001年に実施された国会議員選挙では、最大野党であった統一国民党(UNP)が与党人民連合(PA)に大差をつけ勝利し、ウィクラマシンハUNP総裁が首相に任命された。
民族構成は、シンハラ人74%、タミル人18%、その他8%であり、多数民族シンハラ人と少数民族タミル人の民族対立が内政上最大の問題となっている。スリランカでは、約20年間にわたり、スリランカ政府と、北・東部の分離独立を目指すタミル過激派「タミル・イーラム解放の虎(LTTE)」との間で内戦が行われていたが、2002年2月にノルウェーの仲介を得て、スリランカ政府とLTTEとの間で停戦合意が成立し、この停戦合意に基づいて北欧諸国からなる停戦監視委員会がスリランカに派遣され、活動を開始している。
また、2002年9月には、ノルウェーの仲介により、スリランカ政府とLTTEの間の第1回和平交渉がタイで開催され、これまで6回(2003年3月31日現在)開催されている(第6回は我が国で開催)。
外交面では、非同盟路線を基本としつつ、全ての国との友好関係維持に努めている。スリランカ外交の基軸は南西アジア諸国に置かれており、インドをはじめ他の近隣諸国との関係も緊密かつ良好である。
また、我が国を始めとする先進国からの経済援助は、スリランカの経済社会開発に不可欠であり、スリランカは一貫してこれら諸国との関係強化に努めている。更に、近年のASEAN諸国の経済成長に伴い、スリランカはASEAN諸国との経済関係強化を強く望み、投資を誘致するためのセミナーを開催する等精力的な外交活動を展開している。
経済面では、伝統的に米と三大プランテーション作物(紅茶、ゴム、ココナッツ)を中心として農業に依存していたが、近年工業化による経済多角化に努力している。スリランカ経済は、内戦の激化により大きく影響を受けたものの、91年~2000年には外国資本の流入増加とこれに刺激された内需の拡大、衣料品を主とする工業製品輸出の拡大等を背景に平均5%台の成長を維持していた。しかし、2001年は、48年に統計をとり始めて以来初めてのマイナス成長を記録した。
世銀・IMFより指摘されている財政支出の合理化は、軍事・福祉予算の削減が難しいためその達成は容易ではなく、また経常収支赤字も経済活動の活発化に伴う輸入材の増加により改善は難しい状況にある。
2001年の経済は、世界経済の景気減速による製造業の輸出の減速、降雨不足による国内農業の低調に加え、7月に起きたLTTEによる国際空港襲撃事件、政情の不安定化、水力発電供給量の減少による計画停電の実施等の要因により、実質GDP成長率は-1.4%、一人当たり名目GDPは836ドルと独立後初めてマイナス成長となった。財政面では、福祉関連支出の増大等により財政赤字は拡大した。失業率は低下傾向で推移していたが、2000年から2001年にかけてはほぼ横ばいである。