マーシャルは、47年以来、ミクロネシア、パラオ、北マリアナとともに、米国を施政権者とする国連の太平洋諸島信託統治地域の一部を構成していたが、86年に米国との自由連合国家に移行した。米国との自由連合の下で、防衛、安全保障については米国が権限と責任を有するが、外交は独自に行っており、諸外国との外交関係拡大に努力している。91年には国連に加盟した。国内のクワジェリン環礁には、米軍基地が存在している。
伝統的大首長という伝統的権威をも有するアマタ・カブア大統領の下で79年の自治政府発足以来17年間内政は安定していたが、96年12月同大統領が逝去し、97年1月その従兄弟に当たるイマタ・カブア氏が、接戦の末に後継大統領に選出された。2000年1月に、第3代大統領になった平民出身のノート大統領は、民間セクターの開発促進やインフラ整備、外国資本導入等、従来の施策を踏襲している。
経済面では、伝統的自給経済と貨幣経済が混在しており、農業(コプラ)と漁業を除き見るべき産業は存在していないため、自由連合盟約(コンパクト協定)下での米国からの財政援助及び基地関連収入に依存している。同援助が継続する自由連合盟約期間(86年から15年間)の間に経済的自立を達成することを最大の目標に置いていたが、国家予算の半分以上を依然米国の援助に頼っているのが現状である。2003年に米国との間で援助期間を20年間(2004~2023)延長する協定改定が合意された。
我が国との関係では、古くは14年以来45年まで我が国が南洋群島の一部として統治していたという歴史的関係に加え、政府間漁業協定が締結されているように漁業関係でのつながりも深く、国造り、経済開発における我が国経済協力への期待は大きい。88年、我が国と同国との外交関係が開設された。96年10月にはアマタ・カブア大統領がSPF議長として訪日した。97年にはイマタ・カブア大統領が第1回「太平洋・島サミット」に出席するため訪日した。2000年にはノート大統領が第2回「太平洋・島サミット」出席も含め、3度訪日した。2003年5月には、ノート大統領が第3回「太平洋・島サミット」に出席するために、また6月には公式実務訪問賓客として来日した。我が国からは96年6月及び98年8月には、長谷川元駐豪大使を代表とする政策対話ミッションを同国に派遣し、また2001年9月には森前総理が同国に立ち寄り、ノート大統領と会談した。
(参考1)主要経済指標等