[1]キリバス

1.概   説

 79年に英国より独立した。日付変更線及び赤道の両側に広がる広大な水域に散在する島嶼国で、域内で国際市場からの地理的隔絶及び国土の拡散性が最も顕著であり、社会経済開発には多くの困難を伴っている。2002年11月末から12月にかけ行われた総選挙では、与党は敗北し、野党が議席数を伸ばした。続いて2003年2月に行われた大統領選挙でも野党側が善戦し、シト大統領は3選を果たしたが、3月に国会で不信任となり、辞任、議会は解散した。同年5月の総選挙を経て、7月にアノテ・トン大統領が就任した。11月、同大統領は台湾と国交を結ぶことを決定し、中国は国交を断絶した。
 キリバスは従来から英連邦の一員として英国、豪、NZとの関係が深いが、近年、我が国や米国との関係を強化している。また、シト大統領は、中部太平洋諸国(マーシャル諸島、ナウル、ツバル)との地域協力を重視している。更に、太平洋共同体(PC)及び太平洋諸島フォーラム(PIF)の活動にも積極的に参加しており、2000年10月には議長国としてタラワでPIF総会を開催した。99年9月に国連に加盟。
 経済面では、79年に燐鉱石が枯渇して以来主要な輸出産品はコプラと魚類であるが、天候等の要因により大きく影響を受けるため経済状況は安定していない。政府は旧宗主国である英国からの財政援助と、燐鉱石枯渇後に備え設立していた収入均衡準備基金等により国家財政を支えてきたが、英国からの経常予算に対する財政援助が86年に打ち切られたことから、援助源の多元化を図っている。また、キリバスは過去8次に亘って国家開発計画を策定・実施してきている。


(参考1)主要経済指標等
(参考2)主要社会開発指標

 我が国との関係は、政府間漁業協定が78年より存在しており、同国の広大な200海里経済水域は、我が国のかつお・まぐろ漁業にとり重要な漁場になっている。また、2000年2月に宇宙開発事業団とキリバス政府の間でHOPE X(宇宙往還技術試験機)着陸実験計画のため、キリバスのクリスマス諸島の土地利用契約が締結されている。シト大統領(当時)は、97年10月の第1回「太平洋・島サミット」及び2000年4月の第2回「太平洋・島サミット」に参加するため、更に2001年2月にPIF議長として訪日した。我が国よりは、日・PIF域外国対話に出席するため、2000年10月、浅野外務政務次官(当時)がキリバスを訪問した。2002年8月、植竹外務副大臣(当時)がフィジーにおける日・PIF域外国対話に出席した際、シト大統領と会談した。2003年5月の第3回「太平洋・島サミット」には、オタン国政評議会議長が出席した。

2.我が国の政府開発援助の実績とあり方
(1) 基本方針
 キリバスは、広大な水域を有する島嶼国であることから、これまで水産分野、人材育成及びインフラ整備に対する協力を中心に援助を実施してきている。
(2) 2001年度の実績
(イ) 無償資金協力
 かつての主要輸出品であった燐鉱石が枯渇した現在、水産業が同国の主要産業として経済を支えている状況に鑑み、広大な200海里経済水域に恵まれ、また基幹産業である水産業の底上げを図るべく、水産無償を供与してきている。2001年度案件ではないが、97年度から4カ年にわたる「ベシオ港整備計画」を実施し、岸壁、陸上施設等の整備を行い、同国の島嶼国海上輸送の改善に貢献した。また、2001年には「タラワ環礁電力供給施設建設計画」を実施し、首都タラワ島の発電設備等の老朽化への対応を行った。
(ロ) 技術協力
 研修員受入を中心に実施しているが、2001年度は漁業分野の専門家を派遣している他、99年度から継続して輸出振興、投資促進分野の広域専門家を派遣してきている。
(ハ) その他
 国際機関を通じて行った過去の援助として、我が国は91年より94年までUNDPへの拠出を通じ、太陽光発電を基礎にした電力供給システムの構築に協力した。また、98年1月には、ADB主催の支援国会合を東京で開催し、各国の援助の調整に努めている。

3.政府開発援助実績
(1) 我が国のODA実績
(2) DAC諸国・国際機関のODA実績
(3) 年度別・形態別実績
(参考)2001年度実施草の根無償資金協力案件
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