リトアニアは91年9月、ソ連からの独立を達成した。98年1月アダムクス大統領が選出され、同大統領のもと、第二次ヴァグノリュス政権が発足したが、99年5月にヴァグノリュス首相は大統領との確執から辞任した。以降、99年6月パクサス政権、11月クビリウス政権、2000年11月パクサス政権(再任)、2001年7月ブラザウスカス政権が成立するなど、頻繁な政権交代が繰り返されてきた。いずれの政権でもEU、NATO加盟への課題認識は共有されており、加盟に向けた諸改革は一貫して行われてきた。
経済面では、農業、繊維、加工食品、木材加工等が主要産業である。ソ連からの独立後、リトアニアは民営化等の経済改革を実施し、市場経済体制推進を図っている。他のバルト諸国に比べその進展が遅れていたが、GDP成長率は94年にプラスに転じた。98年のロシア危機の影響による一時的なマイナスはあったが、その後、並外れた高い成長率ではないものの、堅調な成長軌道に乗っている。インフレ率も96年に15%と大幅に低下した後は低く維持され、2001年には1.3%となっている。一方で、緊縮財政による失業率は2000年以降、深刻な問題となり、年率10%を越え続けている。また、イグナリナ原発閉鎖問題を受けての電力網再構築も喫緊の課題となっている。貿易面では、95年1月に、EUとの自由貿易協定が発効し、西側との貿易が年々増加傾向にある。現在の主要貿易相手国はドイツ、英国、ロシア等となっている。
外交面では、政治、経済、安全保障での欧州への統合のため、EU、NATOへの加盟に向けた動きを加速させると共に、バルト諸国をはじめとする近隣諸国との有効関係の維持に努めている。98年1月「米国、エストニア、ラトビア、リトアニア間のパートナーシップ憲章(いわゆる米・バルト憲章)」の調印をはじめ、バルト三国側のNATO加盟に向けた体制を整えている。EU加盟交渉は2000年2月に開始された。同国イグナリナ原発の段階的閉鎖に向けた合意の成立、2002年の米ドルペッグ制からユーロペッグ制への移行等を経て、EU加盟に向けた体制も整えている。
ロシアとの関係では、エストニア、ラトビアとは異なりロシア語系住民の比率が低く、ロシア語系住民を巡る問題は他のバルト諸国と比べて少ないが、ロシアの飛び地であるカリニングラード州への通行問題は、NATO加盟招請に向けた最大の懸案とされている。
我が国との関係では、96年1月ビルジスキス運輸相、97年5月ブラザウスカス大統領、99年3月にサウダルガス外相、2001年4月にアダムクス大統領が訪日している。