89年のチェコ・スロバキアにおける民主革命により共産党の独裁体制が終焉。93年1月、スロバキアと分離、独立した。独立後は、クラウス市民民主党(ODS)党首を首班とする中道右派連立内閣の下、内政は安定し、経済改革も順調に進んでいるかに見えたが、97年、経済状況の悪化を背景にクラウス内閣が総辞職した。その後実務者から成るトショフスキー内閣を経て、98年6月に繰り上げ選挙を実施した結果、社会民主党(CSSD)が第一党となり、ODSの協力を取り付け、同年7月にゼマンCSSD内閣が成立した。
外交面では、欧州への復帰を目指し、95年12月に旧共産主義国で初めてOECD加盟を実現、また、99年3月にはNATOへの加盟が実現した。EUとの関係では、98年3月から加盟交渉を行っている。
経済面では、クラウス内閣の下で緊縮的なマクロ経済安定化政策が進められ、経済成長率が94年にプラスに転じ、95年4.8%、96年4.1%の成長率を記録した。インフレ率、失業率も比較的低い水準にあり、旧共産主義国の中では改革先進国と見られていた。
しかし、97年に入り経済は転機を迎え、特にドイツの景気停滞の影響を受けた工業生産が落ち込み、貿易収支赤字が増大した。政府は財政支出削減と賃金抑制を柱とする内需抑制策を導入したが、過去5年にわたり安定的に推移した通貨コルナは急落し、同年5月に変動相場制へ移行した。その後チェコ経済は、強い引き締め策の副作用により、98年第一四半期以降5四半期連続のマイナス成長という深刻な不況を経て、99年第3四半期以降プラス成長に転じ、現在も緩やかな成長を記録している。(経済成長率は2000年3.3%、2001年3.1%、2002年2.0%)
95年12月ハベル大統領、96年9月クラウス首相、97年12月ピトハルト上院議長、99年5月カバン外相が訪日している。我が国からは96年10月には清子内親王殿下が、97年8月には池田外務大臣、斉藤参議院議長、2001年には田中外務大臣が同国を訪問した。