[4]クロアチア
1.概 説
(1) 旧ユーゴ時代の90年に実施された初の民主選挙を経て政権の座に就いたトゥジマン大統領の率いるクロアチアは、91年6月に旧ユーゴからの独立を宣言し、独立に反対する国内セルビア系勢力との戦闘に突入、セルビア系勢力はクロアチアの約3分の1を支配することとなった。92年初頭に停戦合意に至り、国連PKOが展開したものの、93年には停戦が破られ、その後、数度にわたり停戦と戦闘が繰り返された。特に、95年の2度にわたるクロアチア軍によるセルビア系支配地域制圧により、多数のセルビア系住民が難民として流出した。クロアチア軍による武力制圧を免れた東スラボニアは、95年11月の和平合意に基づく新たな国連PKOが展開し、98年1月にクロアチアに平和的に統合された。
(2) 外交面では、92年に国連及びOSCE、96年に欧州評議会への加盟を実現したものの、トゥジマン政権の民族主義的・非民主的政策及びボスニア紛争への介入により、国際社会から半ば孤立の状態にあった。しかし、99年末のトゥジマン大統領の病死を受けて2000年初頭に実施された議会及び大統領選挙で民主的な野党連合が勝利した結果、2000年にNATO平和のためのパートナーシップに参加及びWTOに加盟、2001年にEUとの安定化・連合協定に署名、2002年にNATO加盟のためのアクションプランに参加、2003年にEU加盟申請を実現するなど、最大の外交目標であるEU及びNATOへの加盟に向けて前進している。ただし、少数民族の権利保護、難民・避難民の帰還、旧ユーゴ国際刑事裁判所(ICTY)との協力など課題は多い。
(3) 経済面では、紛争により経済が大幅に落ち込んだが、94年以降はプラス成長に転じ、2002年には旧ユーゴ解体以前の経済水準を回復しつつある。2001年1月に発足した現政権は、減税、財政削減等による公共部門縮小と民間部門活性化を経済改革の柱とするとともに、透明性のある民営化や汚職撲滅の方針を示している。
(4) 我が国は、旧ユーゴ紛争に関連した人道支援及び地雷除去支援を行った他、97年以降は技術協力及び文化無償を実施している。我が国のクロアチア国家承認10周年にあたる2002年には、紀宮清子内親王殿下がクロアチアを御訪問、ピツラ・クロアチア外相が訪日した。
(参考1)主要経済指標等
(参考2)主要社会開発指標
2.我が国の政府開発援助の実績とあり方
(1) クロアチアに対する政府開発援助の基本的考え方
クロアチアにおいては、政府開発援助実施以前に我が国のNGOが我が国のNGOに対する事業補助金を受けて、病院施設や医療機材を充実させ、難民等に対する医療事業を行っていたが、96年11月の欧州評議会加盟、12月のグラニッチ副首相兼外相の訪日を機に、クロアチアを我が国の技術協力、文化無償の対象国とすることを決定した。この決定を受け、97年3月には経済協力政策協議を実施し、同国の協力ニーズが避難民の帰還・再定住、環境、行政機関の機能強化と市場経済化支援であることを確認した。
また、97年度より研修員受入れを開始し、98年度からは草の根無償を実施し、2000年から開発調査として、サバ川流域水質改善に係る調査を通じて、水質改善計画の策定及び下水処理施設に係るフィージビリティスタディを実施する等、環境・産業政策等の分野を中心に実施している。
(2) 2001年度の援助実績
(イ) 総論
2001年度のクロアチアに対する援助実績は2.12億円。うち、無償資金協力は1.27億円(交換公文ベース)、技術協力は0.85億円(JICA経費実績ベース)である。2001年度までの援助実績は、有償資金協力は7.72億円、無償資金協力は3.46億円(以上、交換公文ベース)、技術協力4.88億円(JICA経費実績ベース)である。
(ロ) 技術協力
我が国のクロアチアに対する技術協力は96年に開始し、市場経済移行支援や環境保全分野を中心に実施しており、2001年には、中小企業振興、貿易促進、投資環境法整備、省エネ対策等について12人の研修員を受け入れたほか、南東欧地域投資促進セミナーを開催している。
また、国際河川であるサヴァ川流域は、河川全体的に汚染が進行しており、環境悪化が深刻な状況にあるため、旧ユーゴ時代から環境対策を重点課題として取り組んでいるクロアチア政府に対し、開発調査「サヴァ川流域水質改善計画調査」を実施し、サヴァ川流域内のザグレブ近郊都市の下水処理施設整備を中心とした水質改善に貢献している。
3.政府開発援助実績
(1) 我が国のODA実績
(2) DAC諸国・国際機関のODA実績
(3) 年度別・形態別実績
(参考1)2001年度実施開発調査案件
(参考2)2001年度実施草の根無償資金協力案件
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