エストニアは91年9月、ソ連からの独立を達成した。翌年、独立後初代大統領に選出されたメリ大統領は2期10年を務めた。2001年、大統領の三選禁止を受け、新大統領に旧ソヴィエト・エストニア最高議会議長であったリューテル氏が就任した。98年のロシア危機による経済の悪化と政策実施の停滞によりシーマン首相率いる政権への支持が低迷し、代わって99年にはラール祖国党党首(独立後初代首相を務めた)が首相に再任された。ラール首相は改革党、穏健党との連立政権を組織したが、2001年タリン市政での連立与党の組替えを受け、連立政権内での亀裂を解消できず、2002年1月同政権は総辞職した。代わって、カッラス改革党党首を首班とする連立内閣(改革党、中央党)が発足した。
経済面では、農業の他、木材加工、繊維、加工食品、軽機械などの製造業が主要産業である。一方、近年は運輸・通信、金融等を中心に拡大を続けている。エネルギー関連ではオイル・シェールを産出し、一定の自給力を有している。
財政収支の均衡や通貨の安定等を背景とし、99年にインフレ率は3.3%にまで低下した。通貨クローンの安定は投資家の信頼を得て、国営企業の民営化も順調に進んでいる。独立後に急落したGDP成長率は95年よりプラスに転じ、97年には10.6%と大幅増を記録した。98年のロシア危機の影響で一時的にマイナス成長となったが、2000年の段階的税制改革が効を奏して成長率は回復した。従来ロシアに大きく依存していた貿易も、近年は北欧諸国を中心とした西側諸国との貿易の比重が高まり、2001年の対ロシア貿易は全輸出の8.9%、全輸入の12.5%となっている。また、経済面での近年の懸案として、生産性を上回る急激な賃金上昇があり、2000年以降は年10%以上の上昇が続いている。
外交面では、政治、経済、安全保障での欧州への統合のため、EU、NATOへの加盟に向けた動きを加速させると共に、バルト諸国をはじめとする近隣諸国との友好関係の維持に努めている。98年1月ワシントンでの「米国、エストニア、ラトビア、リトアニア間のパートナーシップ憲章(いわゆる米・バルト憲章)」の調印をはじめ、バルト三国側のNATO加盟を整えている。EU加盟に関しては、97年7月欧州委員会が「アジェンダ2000」の中で新規加盟交渉を開始すべき国としてバルト三国の中からは唯一エストニアを選出するなど、エストニアのEU加盟交渉については早期から検討されていた。実質的には98年3月より交渉が開始され、99年11月にはWTO(世界貿易機関)への加盟を果たすなど、EU加盟に向けた体制も整えている。
対ロシア関係では、住民の約3割を占めるロシア語系住民への国籍付与問題及び国境画定問題が大きな課題となっている。これに対し、ロシア語系住民に対する人権侵害の批判については、OSCE(欧州安保協力機構)の勧告を受け入れるなど少数民族の社会統合に積極的な態度を見せている。また、東部国境地域(エストニア領土の5%)をめぐるロシアとの国境問題については、96年末に国境協定が一度合意され、99年3月に仮調印を行った。
96年3月カッラス外相(現首相)、同年12月レイマン経済相、97年3月メリ大統領、98年2月シーマン首相が訪日している。