[6]フィリピン

1.概   説

 2001年1月の政権交代により就任したアロヨ大統領は、政情安定化、治安改善、経済改革等の諸課題に取り組んでいる。アロヨ大統領の支持率は、2002年8月には就任以来の最高支持率55%を記録して以降徐々に下落傾向となっている。議会での与党勢力は上下両院ともに過半数を確保している。
 2004年5月に予定されている次期大統領選挙については、当初、アロヨ大統領の出馬が確実視されていたが、2002年末、アロヨ大統領は、党派的争いから離れ、残りの任期を政権運営に専念するためとの理由から、大統領選への不出馬を突然表明した。今後、アロヨ大統領が最後まで不出馬の姿勢を貫くか否かを含め大統領選挙に向けた与野党各陣営の動向が注目される。
 国内の反政府勢力については、イスラム反政府勢力の主流派であるモロ民族解放戦線(MNLF)とはラモス政権下の96年9月に和平合意が成立し、同合意に基づき、2001年2月に「ミンダナオ自治地域設置基本法」の修正法を制定、同年8月には、自治地域への参加の是非を問う住民投票をミンダナオ地域の15州14市を対象に実施した。更に同年11月には、自治地域の公職選挙を実施し、アロヨ政権公認のパルーク・フシンMNLF外交担当が新知事に選出された。
 エストラーダ前政権下で中断されたモロ・イスラム解放戦線(MILF)や共産主義勢力(NDF:民族民主戦線)との和平交渉は、アロヨ政権発足後に共に再開された。MILFとは、2001年8月に「停戦に関するガイドライン」、2002年5月に「人道・復興・開発に関するガイドライン」に合意した。NDFとは、2001年4月に交渉を再開し、18ケ月間での和平達成に努力することに合意したが、同年6月に共産ゲリラ(NPA:新人民軍)が要人暗殺事件を起こしたため交渉が中断している。
 イスラム過激派組織「アブ・サヤフ・グループ」(ASG)は、ミンダナオ南西部を中心に誘拐や爆弾事件を引き起こしており、国内治安上の大きな不安定要因となっている。2001年9月の米国同時多発テロ以降、フィリピン政府はASGの掃討作戦を強化、米国もフィリピンへの協力を表明し、その一環として、2002年1月より約半年間、フィリピン国軍の対テロ能力向上を目的とする米軍との合同軍事演習を実施した。
 フィリピンの外交は、安全保障、経済外交、フィリピン人海外労働者の保護を外交政策の3本柱に位置付けている。アロヨ政権は経済外交を重視する姿勢を一層明確にするとともに、ミンダナオ問題解決の観点から、イスラム諸国やイスラム諸国会議機構(OIC)などとの関係強化を打ち出している点が特徴である。また、アロヨ大統領は精力的に諸外国を訪問し、安全保障や経済面での関係強化のため積極的な首脳外交を展開している。米国との関係では、上述のテロ対策協力の他、2002年11月、軍事演習等の際の燃料供給、輸送、施設利用などの役務提供を定めた「相互後方援助協定」(MLSA)が両国の軍当局間で署名された。

(参考1)主要経済指標等
(参考2)主要社会開発指標

 フィリピン経済は、ラモス政権下、経済構造改革を推進しつつ、外資導入と輸出主導による高度成長を実現したが、97年7月から始まったアジア通貨危機に加え、エル・ニーニョ現象による農業生産の不振の影響もあり、98年のGDP成長率はマイナス0.6%と、91年以来のマイナス成長を記録した。しかし、99年には、天候回復等による農業生産の復調や製造業部門の好調もあり、GDP成長率が3.4%増、GNP成長率が3.7%増に好転し、貿易収支も11年振りの黒字(43億ドル)を記録した。2000年も、製造業部門の大幅成長、好調な個人消費と輸出に支えられ、GDP成長率4.0%増、GNP成長率4.5%増、貿易黒字67億ドルを達成した。2001年も、GDP成長率3.4%増、GNP成長率3.7%増を記録し、日米の景気低迷等から他の多くのアジア諸国が成長率を軒並み鈍化させた中、プラス成長となった。2002年もGDP成長率4.6%増を記録、政府目標(4.0%~4.5%)を達成し、フィリピン経済は総じて堅調である。
 他方、財政赤字(2002年は2,127億ペソの赤字)、治安等の問題に起因する投資の伸び悩みなどがフィリピン経済にとっての懸念材料であり、また、他のASEAN諸国と同様に、裾野産業の発達の遅れ、債務増大といった構造的問題も抱えている。アロヨ政権は、2009年の単年度財政均衡を目標に歳出削減と徴税の強化を掲げるとともに、電力部門改革など、経済構造改革にも積極的に取り組んでいる。
 アロヨ大統領は、2001年7月の施政方針演説において、「10年以内の貧困との闘いの勝利」を政策目標として掲げ、取り組むべき重点課題として、社会良心を伴った21世紀に相応しい自由な企業活動理念の追求(インフラ整備、生産性向上、貯蓄率の向上、IT産業の振興等)、社会的公平を基盤とする近代化された農業セクターの育成(農業・漁業近代化法の制定、農地改革の推進、ミンダナオ開発等)、社会的に均整のとれた経済発展計画の追求(税制改革、物価抑制、住宅建設、首都圏対策、中小企業の育成等)、政府と社会のモラル向上(汚職対策、国軍・警察の近代化、反政府勢力との和平交渉等)の4点を挙げた。同年11月には、上述の施政方針演説を反映した中期国家開発計画(2001―2004年)を発表した。
 貿易については、フィリピンから我が国への輸入は半導体や電気機器・部品を中心としており、また、我が国からフィリピンへの輸出は電気機器用部品や乗用車用部品を中心としている。フィリピンにとって、我が国は米国に次ぐ貿易相手国であるが、貿易収支は対日赤字基調である。投資については、我が国は主要投資国であり、フィリピン経済の復調に伴い、我が国の直接投資は92年以降から回復に向かい、94年頃からフィリピンへの投資ブームが加速したが、近年は伸び悩んでいる。我が国の投資の特徴は、経済特別区における製造業(自動車、エレクトロニクス等)に対する投資が多い点にあり、経済特別区への投資は他国を圧倒している。
 これらの全般的に良好な日比関係を反映する形で、要人往来も活発に行われている。2002年1月に小泉総理がフィリピンを訪問、アロヨ大統領は就任後既に4度来日しており、また、閣僚クラスの要人も頻繁に来日している。アロヨ大統領は2002年12月、国賓として来日したが、小泉総理との首脳会談において、両国が「平和と繁栄のために共に歩むパートナー」として関係を構築していくことを確認した。
 このほか、在日外国人の国籍別ではフィリピン人は第4位となっていることからもわかるとおり、草の根レベルの人的交流も大変活発であり、両国関係の緊密さを物語っている。

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