[1]インドネシア

1.概   説

 98年5月のスハルト大統領辞任、それに続くハビビ副大統領の大統領昇格を経て、新しい選挙制度の下で実施された99年6月7日の総選挙の結果、メガワティ総裁率いる「闘争インドネシア民主党」が第1党になり、次いで「ゴルカル党」、「開発連合党」、「民族覚醒党」が続いた。この選挙結果を受けて、同年10月20日、国権の最高機関である国民協議会において新大統領選出のための投票が行われ、アブドゥルラフマン・ワヒッド・ナフダトゥール・ウラマ(NU:最大のイスラム社会団体の一つ)総裁がメガワティ闘争インドネシア民主党総裁を破って第4代大統領に、また、翌21日にはメガワティ総裁が副大統領にそれぞれ選出された。
 しかし、アブドゥルラフマン・ワヒッド大統領の政治姿勢や汚職事件関与疑惑に対する批判が高まり、2001年7月23日、国会及び国民協議会本会議が開催され、満場一致で、アブドゥルラフマン・ワヒッド大統領を解任する決議案と、メガワティ副大統領を大統領として確定させる決議案を可決し、メガワティ第5代インドネシア共和国大統領が誕生した(任期は前大統領の残りの任期である2004年10月まで)。同年8月9日、メガワティ大統領は、各政党や国軍等各政治勢力に配慮しつつ、全体として実務型の内閣を組閣した。また、同年8月16日、メガワティ大統領は国政演説において、政治危機の克服を宣言し、憲法改正を含む今後の改革と民主化への取組姿勢、国家の統一の堅持や内閣の作業プログラム等につき包括的に説明し、清廉な政府を目指す姿勢を強調した。2002年8月1日~11日、国民協議会年次総会が開催され、第4次憲法改正が行われた。その結果、決選投票も含めた大統領選挙の直接投票の実施、2004年より国民協議会は全て選挙での選出議員より構成されること等が決定された。
 同年10月12日、バリ島において爆弾テロ事件が発生し、国内外の約200名が死亡、300名以上が負傷する等、テロの脅威を示すものとなった。これに対し、インドネシア政府は、「テロ撲滅政令」等を発布するとともに、国際社会からの支援等を受けつつ、同事件の容疑者の逮捕や事件の徹底糾明に向け努力している。
 地方情勢としては、分離・独立運動が続くアチェに関して大きな進展が見られ、その他の地域(マルク、パプア)でも治安は落ち着いており、目立った問題は発生していない。アチェについては、2001年8月に「ナングル・アチェ・ダルサラム特別自治法(NAD法)」が成立し、アチェ住民に配慮された法律が施行される中、インドネシア政府及び独立アチェ運動(GAM)の間で、対話が継続された。2002年5月、NAD法を出発点として受け入れることを前提とし、全アチェ社会が関与する民主的な包括対話を行うことに合意すること等の共同声明が発表された。同年12月3日、東京に於いて、日、米、EU、世銀を共同議長として「アチェにおける和平・復興に関する準備会合」が開催され、アチェの平和的解決のための対話の支持と和平に対する期待・支援の表明が行われた。同年12月9日、スイスにおいて、インドネシア政府とGAMによる「敵対行為停止の枠組合意」が署名され、停戦実現に向けて大きく前進した。こうしたことから、我が国は停戦監視活動に対する支援(120万ドル)及び国内避難民等に対する食糧援助(WFP経由500万ドル)を行った。

(参考1)主要経済指標等
(参考2)主要社会開発指標

 インドネシア経済は、アジア諸国の中で最も通貨危機の影響を大きく受けたが、98年のマイナス13.2%という大幅なマイナス成長を底に経済成長率は回復傾向にある。2002年1月初めに燃料価格を中心に公共料金が引き上げられ、最低賃金が大幅に引き上げられる等、庶民や企業経営者等の負担を増大させることになった。しかし、公共料金の引上げが社会的不安を生じずに実施されたこと、政府が保有する国有化銀行の半数の株式が売却される等、経済改革プログラムが概ね順調に実施されたことで、当面の間、重い債務支払負担が軽減された。加えて、中銀の政策金利が低下し消費者向け融資が大きく伸び、耐久消費財の販売が増加したこと等を背景に、インドネシア経済は安定軌道を確保した。しかし、バリ島の爆弾テロ事件が経済に与える影響は、資本が海外へ逃避する等の最悪の事態に発展することは免れたものの、バリ島をはじめとする観光業には未だ大きな影響を与えている。
 我が国との関係では、58年の外交関係開設以来、主として経済面での相互補完関係を背景として緊密な友好協力関係が築かれている。例えば、2001年9月にはメガワティ大統領が訪日し、2002年1月には小泉総理が東南アジア諸国歴訪の一環としてインドネシアを訪問した。
 また、我が国の対インドネシア投資額(投資調整庁認可ベース)は、67年~2001年累計で349.88億ドルと全体の14.0%を占めており、我が国はインドネシアにとって最大の投資国の地位を保っている。しかしながら、2002年の我が国からの投資は5.1億米ドルとなっており、我が国の対インドネシア投資額をピーク年(96年)の54.2億ルピアと比べると▲93%と激減している。単年度では経済危機の影響により、対インドネシア投資額は98年及び99年ともに激減しており、99年は対インドネシア外国投資総額109億ドルのうち、我が国が投資したのはわずか6億ドルであった。

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